暴力系ヒロインのメンタルは叩いて治せ
@ginsoul
第1話 ゼテス
「殺人は悪の特権だ」
低く、恐ろしい声。
「自らの意志も、理由も持たない……正義の歯車どもが」
大きくはないが、その場にいた全員の耳の中に、言葉の内容がはっきりと聞こえた。
「寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ……殺人が正義なわけあるかぁああああ!」
声の主の殺意が荒れ狂う。
「殺人の罪悪感を正義と信仰で誤魔化すような奴らが、他人の生命を害する資格はない! 半端な覚悟で悪人の聖域に土足で踏み込んじゃねえええ!! 殺人は悪の特権だあああ!!」
紅い影が、周りの人間を蹂躙していく。
「自称正義の殺人は生命への侮辱であり冒涜だ! イラつくぜええええぇぇぇ!! どいつもこいつも俺たち悪の特権を行使しながら正義だの神だの抜かしやがってえええええ!!!! 人殺しが正義なわけあるかあああああ!!!!」
とある街に向かう乗り合いの馬車の中、一人の少女が瓶を見ている。
瓶の中には小さい炎がゆらめいている。炎だけがなんの火種もなく、密閉された瓶の中で燃えている。
炎の色には濃淡がなく、炎全体が濃い紅色のまま燃えている。ただの炎と違う神秘的な輝きを放っていた。
少女にとってそれはまるで手の中にある星に等しく、宝物のように見つけていた。
「綺麗だね、それ。普通の炎じゃないでしょ?」
少女の目の前に座った男が、その炎に興味を示した。
「うん、特別な炎だよ。すごいでしょ」
少女が嬉しそうに笑った。
乗り合いの馬車が急に停止する。
大きく揺れた少女が、炎の入った瓶を落としかけたが、男が受け止めた。
「ありがとうおじさん!」
少女にとって瓶詰めの炎は大事なようで、今度は落とさないようにしっかりと強く持った。
「お兄さんだよ」
自分はおじさんと呼ばれる年齢にはまだ早いと、男は自負している。
「何かあった?」
男が外に出て、馬車が止まった理由を御者に聞いた。
「倒木だ。目の前でいきなり倒れやがった」
馬車の行く道を完全に塞ぐように、木が横たわっている。木の全長は長く、幹も太く、大人が数人がかりでも運べそうにない。
この木をどけない限り、馬車は通れそうにない。
「困ったなあ〜、回り道なんかできないってのによぉ〜。暗くなったら魔獣だって出るのによ〜」
御者が頭を抱えた。
「任せなおっちゃん」
男が肩を回しながら、馬車の前に出た。
「これどけたら運賃負けてくんね?」
「できんのかあんちゃん?」
「鍛えてっぜ俺は〜」
男が楽勝だとでも言わんばかりに笑った。意気込むにしても軽い感じだ。
他の乗客までもが馬車の外に出て、成り行きを見守っていた。皆、今の状況が心配なのだ。
男が木に向けて、人差し指を向ける。
自らの生命エネルギー、魔力を集中させ、指の先から火の玉として放出させた。
しかし、火の玉とはいっても大きくはなく、ビー玉ほどの大きさだ。
あの大きな木を燃やすには少し頼りない。息を吹きかければ消えてしまいそうだ。
小さな火の玉がゆっくりと大きな木に向かっていく。
「こんなもんかな~」
男は自分の役目をもう済ませたかのような態度で、馬車に乗り込む。
「あれ大丈夫なのかな……」
「さあ……」
他の乗客は火の玉を見つめたままだ。
火の玉の飛ぶスピードは遅い、人が歩く速度に近い。
「おいおいあんちゃん! こりゃなんかの冗談か!?」
御者が声を荒げた。あの火の玉が道を塞ぐ木を燃やすのは到底無理だ。そう確信している。
「あんな鼻くそみてえな火の玉で……」
御者の声は遮られた。ゴウ、と大きな音を立てて、小さな火の玉から炎が巻き起こる。
炎は一瞬にして巨大になり、大きな木を全て飲み込みんだ。
そして、炎が消える。後には炭も灰もなく、地面にシミを残すのみであった。
燃やしたというよりは、消したという表現の方がしっくりくるような一瞬の出来事だった。
「今のが……よくある無詠唱ってやつか?」
乗客の内の一人が、男が火の玉を無言でだしたことからそう推測した。
「いや……そんなんじゃねえ……」
御者が燃えた跡を見ながら呟く。
その言葉の続きに他の乗客全てが耳を傾ける。
「噂しか知らねえが……今のは無詠唱より……もっと上だ」
御者が喋り終わると、その場を静寂が支配した。ブスブスと燃えカスの音だけが残る。
道を通れるようにしてくれたことへの感謝よりも、木を消し飛ばした方法の得体の知れなさへの恐怖が大きかった。
この場の誰一人として、先ほど男が起こした現象を理解できる者はいない。
「あの兄ちゃん……何もんだ……?」
御者が乗客一人一人の顔を見た。
全員が首を振り、あの男と知り合いでないことを強調した。
「すご〜い!」
そんな中、一人の少女が素直に男の働きを称賛した。
「ありがとうお兄ちゃん! これでみんな帰れるね!」
その通りだった。男には底知れない何かがあるが、見ず知らずの人間を襲うような危険人物には見えなかった。
「おい兄ちゃん! まだ火が残ってるぞ!」
道の端の方で炎が燃え上がった。小さいが放っておくのは危険だ。
「マジすか!?」
男が慌てながら馬車から飛び降り、残った炎の方に走っていく。
はじめに降りた時とは違い、余裕がなく、どこか滑稽に見える走りだった。
「消えろ! ちゃんと消えろオラ!」
男は火を踏みつけて消火しようとしている。火の球を放つ時とは違い、今度は誰でもやるような方法で消火している。
未知の力で火を出したのだから、未知の力で火を消すかと想定していたが、思いっきり人力だった。
「よし! よし……よし!」
何回も踏みつけ、グリグリして火を消す。
しかし……
「あつッ!」
男が片足を抱えて飛び退いた。火はまだ消えていない。
皆がそれを固唾を飲んで見守る。
男が後ろを振り返る。
「みんなで力を合わせるんだ!」
力強い声で、叫んだ。
しかし、その表情には確実に焦りが見えていた。
火の玉が炸裂した時、男には底知れなさと神秘的な雰囲気すら生まれたが、たった今霧散した。
そこにいるのは、未知の力を使う得体の知れない男ではなく、自らの失敗を恥じる年相応の若者だった。
御者と乗客何人かが駆け寄った。
男と彼らが一緒に火を踏みつけながら、男に次々と文句をぶつけた。
「なんで火を消す時だけ思いっきり人力なんだよ!? 出す時みてえに一瞬で消したりできねえのか!?」
「すいません無理なんす」
「全く、素直に助けてくれって言えないのか!?」
「だってせっかくカッコつけたんだから、そんなこと言ったらダサくなるじゃないですか?」
「クソみてえな理由!」
「すいませ〜ん。火の玉を出してすぐに馬車の中に戻ったのも、結果を見ずともわかるみたいな感じにしたかったんです〜」
「カスの見栄張んなや!」
クソだのカスだの好き放題言われ、しょぼくれて気が小さくなっていく男。その様子にもはや誰も恐怖を感じなかった。なんなら情けなさすらあった。
数人がかりの行動で、やがて火が消えた。
「こんなことなら普通に持ち上げてどかせばよかった……」
男が後悔し、息をはいた。普通に持ち上げてどかす。簡単に言うかそれもすごい力仕事だ。
「あの木を一人で持ち上げれんのかよ?」
「いけましたね」
「なんでそうしなかった?」
「怪力男のイメージつくの嫌なんで……」
「セルフプロデュースが小賢しい!」
要するに、男は見栄を張りたかった。目立ちたかっただけなのだ。
しかしは消火に協力したおっさん全員に、若い頃はそういう見栄っ張りな部分があった。
「ま、ありがとよあんちゃん。約束通り運賃は負けてやるよ」
「あざっす!」
再び馬車が出発する。
瓶詰めの炎を持った少女が、嬉しそうにしている。
彼女だけが、乗客の中で倒木の騒ぎの前に男と会話していた。
少女ら瓶を目の前に持ち、炎越しに男を見ている。
「……おそろい! おじさんの出した炎もこの炎と一緒! みんなを助けてくれる特別な炎!」
「そうかなあ〜。俺のはそんなに大したものじゃないぜ」
とは言っても、男の顔は緩んでいた。おそろいといえ言葉の意味はよくわからないが、少女がすごいと言ってくれてるのは伝わった。
瓶の中の炎と男が出した炎は同じだと、少女は信じて疑わなかった。
「だからありがとう! これあげるね!」
「どういたしまして」
倒木を消し飛ばしたおかげで、少女は遅れずに故郷に戻ることができる。
少女が、何かを男の手に握らせた。手を開くと、キャラメルがあった
「やったァァァァ!!」
男は本気で喜んだ。少女に対する気遣いなどではない。本気でキャラメルという甘味が手に入ったことに、大きな喜びを感じていた。
「そ、そんなに嬉しい?」
キャラメルを上げた側の少女が少し恥ずかしくなるくらいの喜びようだった。
「長く旅を続けているとね。体に疲れが溜まっていくんだ。その体にとって甘味ってのはそれはもう美味いのなんの」
男は少女にわかりやすい言葉で説明をしながら、口調がじじい臭くなっていった。
「うんめ〜」
男はただひたすらにキャラメルの甘味を堪能した。
「あんちゃん! あんちゃん起きなって! もう着いたぜ!」
「もう食べられないよ〜」
「ベタな寝言言ってねえで起きな!」
御者が男の肩を強く揺さぶる。
「はっ! 飯は!?」
「自分の足で探しな」
ゼテスは強引に馬車から降ろされた。他の乗客はすでにいない。全員街に散った後だった。
「じゃあな、あんちゃん! 風邪引くなよ!」
「ああ! 元気でな!」
馬車が去っていく。
飯と寝床、その二つを求めて男は街に踏み入った。
「ハラ減った〜」
街をしばらく歩くと、何やら怒鳴り声が聞こえてくる。その方向を見て、立ち止まる。
怒鳴られているのはキャラメルをくれた少女だった。
怒鳴っている方も見たことはある。馬車に乗っていたおっさんだが、火を消す時には手伝ってはくれなかった。
「聖炎の火種を失くしたとはどういうことだ失くしたとは!」
怒鳴り声の主は男だ。相手は子供だというのにものすごい剣幕でまるで容赦がない。
「いつどこで失くなった! あれが悪人の手に渡ればどういうことになるのか、わかっているのか!?」
少女は俯いて、生気が抜けたような顔をしている。
瓶の中には炎はない。炎だけがない。
瓶ごと盗まずに、中の炎だけを気づかれずに盗むことなど可能なのか。
答えはでない。
犯人を今すぐ捕まえて叩きのめしたかったが、目の前の状況も見過ごせなかった。
「待ちな」
「なんだね君は」
「ゼテスだ」
おっさんがゼテスを睨む。
少女も聞き覚えのある声に顔をあげる。キャラメル一つで大喜びしていた顔があった。
「瓶の中に入ってたのは炎だろ? 悪ィな。俺が食っちまった。力使って腹減ってたもんでな」
「!!」
おっさんの表情が驚愕に染まった後、困惑になる。
「そんな馬鹿げたことを……」
「できる。俺の権能ならな」
権能、魔術の無詠唱よりも上の次元の業。神に似せて作られた人間が持つ、神に似た力。
魔術とは凡人が権能を再現するために編み出した技術にすぎない。
権能とは少なくとも、ゼテスの嘘を真実だと信じる程度には説得力のある言葉であった。
「なら貴様はもう罪人だな! ついてこい! 牢屋にぶち込んでやる!」
おっさんがゼテスを連れていく。
少女がゼテスの背中を、泣きそうな顔で見送る。
ゼテスがおっさんにバレないように振り向く。
少女の不安を吹き飛ばすように、明るく笑った。今から罪人として牢屋に連行されるとは到底思えないような余裕があった。
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