番外編44 混沌のお茶3




 グレイのとんでも対応を聞いたリベラは、這(ほ)う這うの体でレヴィオール公爵家から逃げ出していた。


 これから行われるであろう、ジャスミンの教育的指導に立ち会う勇気はリベラにはなかった。



 そうして彼が向かったのは、フィオル公爵家だ。



「頼む、オレはどうしたらいい? はなはだ不本意ながら、もう頼れる人間がロジェしかいないんだ!」


「ふむ。そういうことならば任せてくれ。僕の得意分野だ。なに、君は大船に乗ったつもりでいたまえ」



 藁にもすがる思いで頼み込むリベラに、ロジェは鷹揚に頷いた。


 こんな状況でもなければ、リベラはロジェに何かを相談しようなどとは考えもしなかっただろう。



 得意分野などと言って大きく出たロジェは、小指を立てながら優雅にティーカップを傾けている。


 その様に不安を覚えながらもリベラは彼の助言を待った。



「とりあえずはそうだな。出されたお茶は飲み干すのは当然だ。妻の苦しみは夫の苦しみだからな。茶の味がわかって初めて一人前の貴族だと言うだろう?」


「一理あるな」



 意外にもまともな発言をするロジェの言葉にリベラは頷くと同時に、あることを思い起こしていた。


 ラッセル王国のことだ。



 リベラたちのロレーヌ移住の二年後、ラッセル王国のハイラス王子が近衛騎士団長の娘のティナ・ヴァセランを娶ったが、五公爵家に見限られたことであの国は国力を大きく削がれ、衰退の一途を辿っている。


 ハイラス王子はバカ舌で、茶の味もろくにわからない。


 もともと公女たちのサポートで保っていた彼の体面は今や地に落ちている。


 彼が王に即位するのが先か、国が滅びるのが先かと噂される有り様だ。


 滅亡へのカウントダウンは既に始まっている。


 一方で五公女たちはというと、ラッセルが衰退していくにつれて、以前より言われていた『幻惑の五公女』という呼び名に加えて、『傾国の五公女』と囁かれ始めている。



「……あとはそうだな。女性のことならば、ここは一つ、女性に意見を聞いてみるのはどうだろう?」


「なるほど! それは思いつかなかったな。エカテリーナ様、どう思われますか?」


「……何かしら?」



 思わぬ妙案に、善は急げとばかりにリベラがエカテリーナに顔を向けると、彼女は首を傾げた。


 どうやら話を聞いていなかったようだ。



「キャサリンが不機嫌なんです。朝食を共にした時には普通だったのに、執務室に篭っていたらとんでもない濃さのお茶が運ばれて来て。それでどうしたらいいかと、女性目線でのご意見をお聞きしたくて」


「……そうね。早く帰ってあげるといいんじゃないかしら」



 再度説明すると、エカテリーナは眠たそうに目を細めながら、膨らんだお腹をそっと撫でた。


 彼女はロジェの子どもを身篭っている。



「……そう仰る理由は?」


「私はロジェが傍にいてくれれば特に不満はないもの。キャサリンが何に対して不満を抱いているのかは知らないけれど、今聞いた話の中に彼女の不機嫌の原因があるとしたら、それは貴方の不在じゃないかしら?」



 エカテリーナの答えにリベラは考え込んだ。


 彼女の言うように、リベラが傍にいてキャサリンがあからさまに不機嫌になったことはない気がする。


 もともとキャサリンは短気だが、不平不満を周囲に零すよりも先に、手段を選ばず物が壊れることも厭わずに原因を排除しにかかるような女性だ。


 常人にはその思考はなかなか理解し難いが、ある意味で超合理的な思考の持ち主である。



 そんな彼女が、わざわざお茶を送って寄越したとなれば、その意図は何だろうか?



 リベラは急に家に帰りたくなった。


 妻と、幼い子たちが待つ家へ。



「エカテリーナ様、ありがとうございます!」



 さっと席を立ったリベラはエカテリーナに一礼すると、家路を急いだ。




*****



「キャサリン!」


「しっ、静かに。ようやく今、眠ったところなのよ?」



 帰宅後、リベラは執務室に寄ることなく一直線にキャサリンの元を訪れた。


 ノックも忘れ、帰宅した勢いのままに部屋に飛び込みながら名前を呼ぶリベラをキャサリンは囁き声で叱った。


 彼女のすらりとした形の良い白い人差し指が唇の前で立てられている。



「ああ、すまない……」



 声を落として、リベラは吸い寄せられるように部屋の中央に置かれた柵付きのベビーベッドに視線をやった。


 ベッドの上には、揃いの服を身にまとった双子の赤ん坊が並んで眠っている。


 数ヶ月前に誕生した、キャサリンとリベラの子どもだ。


 姉弟で寄り添って眠る姿は、とても可愛らしかった。



「遅くなってすまない。いったい、何だったんだ?」


「この子たちがなかなか眠ってくれなくて」


「……遅かったか」


「まあ、いいわ。この本を読み聞かせてあげたら、ぐっすり眠ってくれたの」



 項垂れるリベラの耳元でキャサリンが小さく笑った。



「何の本を読んであげたんだ?」


「『黒装束の死神』という本よ」


「……キャサリン。それは……その、赤ん坊に読み聞かせるにはどうかと思うよ? 少々、血生臭過ぎやしないか?」


「あら、貴方が早く帰って来ないからよ」



 勝ち誇ったように笑う妻を綺麗だと思いつつも、娘と息子の教育方針について話し合う必要性をリベラは痛感していた。



~完~


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