仕合わせに触れる

月井 忠

第1話

 遠くでガシャンと音がする。

 いよいよ、始まった。

 始まってしまった。


 俺は文字通り運命を握りしめる。


 周囲の喧騒とは隔絶された、静かな興奮の中にいた。

 あと数秒で、俺の運命は変わる。


 本来、俺はこんな場所にいる人間じゃない。

 きっかけは社長の一言だった。


「お前には失望した」

 その一言でお払い箱だった。


 会社のためにやったことだ。

 たった一度の失敗でここまでされるいわれはない。


「あなたとはやっていけない」

 妻はそう言って出ていった。


 家庭のためにやったことだ。

 何も出ていくことはないのに。


 全てが変わってしまった。

 だが、そんなどん底から救い出される唯一の場所がここだ。


 俺を見下してきた人間を見返してやる。


 汗と一緒に握った拳に力を込める。


 徐々に音が近づいてくる。

 周りのオヤジたちが色めき立つ。


 モニターに目を向ける。


 瞬間。


「クソがぁぁぁぁ」


 俺は手にした馬券を宙に投げる。


 これで帰りの電車賃もなくした。

 どうやって生活していけと言うのだ。


 だが、脳汁はドバドバと出て、恍惚としていたことも事実だ。


「誰に金を借りようかな」


 もはや、会社の金には手を出せないし、妻の金も使えない。


 周りを見ると、ところどころに歓喜を叫ぶオヤジがいる。

 彼らのズボンのポケットは膨らんでいた。


 あそこに、俺の運命が入っている。

 俺はそのポケットの膨らみに手を伸ばす。


 俺は仕合わせに触れたい。

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