窓際のハーデンベルギア―4
「ほら、あそこのラーメン屋」
浅尾さんが指さす先に、いかにもという感じの赤暖簾が見えた。やっぱり、特にオシャレなお店ってわけではないみたい。まぁ、そうよね。ラーメン屋だしね。
「あんま混んでなくて、よかったな」
一番奥のふたり掛けが空いていて、そこに座りながら浅尾さんが言った。
「塩と醤油と味噌があるけど、一番おすすめは塩だな」
「あ、じゃあそれで」
「塩派?」
「うん。塩ラーメンが、一番好き」
「気が合うな」
浅尾さんも、塩が好きなんだ。そんなちょっとした共通点でも、嬉しくなってしまった。
店員を呼んで、浅尾さんが注文を伝えてくれる。
さっきのお店は照明が暗めだったけど、ここは明るくて、浅尾さんの顔がよく見える。
目は鋭いけれど、やっぱり全体的に整った顔立ちというか、少し彫りが深いのかな。横顔がすごく綺麗だなぁ。
ミディアムな長さのスパイラルパーマがよく似合っているし、黒髪の間からチラリと見えるシルバーのインナーカラーがとってもオシャレ。
結構ピアスをつけているんだ。左耳だけで……4個? 右耳は髪に隠れていて分からない。かっこいいチェーンピアスだけど、もしかしてクロムハーツ? なんだか高そう。
あ、しまった。目が合った。
「穴があきそうなぐらい見てくるね。オレのこと、好きになっちゃった?」
「なっていません。さっき知り合ったばっかりなのに」
「ふーん、ひとめ惚れはしないタイプか。オレとは違うね」
オレとは違う。それは、どういう意味で受け取ればいいんだろう。
私にひとめ惚れしたっていうこと?
「もしかして私、口説かれているの?」
「口説いているよ? なんのために誘ったと思ってんの」
「だって、ラーメン屋なのに……」
「やっぱり、ストレートにホテルのほうがよかった?」
「それは嫌です」
冗談なんだか本気なんだか、よく分からないけど。でも浅尾さんと喋っていて、嫌な感じはしない。私を見る目が、とても優しいんだもん。
下心がある人とない人は、やっぱり目が違う。恋愛経験がない私でも、そのくらいは分かる。いろいろな人の「目」を見てきたから。
言っていることは軽薄だし少し意地悪だけど、浅尾さんの根っこは誠実というか、真っすぐな人のような気がする。あくまでも「気がする」だけだし、まだ油断はしていないけど。
だって、チョロい女と思われたら終わりでしょ。
「浅尾さん、いつもこんなふうに女の子を誘っているの?」
「まさか、こんなのは君が初めてだよ。……って言ったとして、信じる? どうせ信じねぇくせに、そういう質問するのは不毛じゃね?」
じっと目を見て言われた。図星すぎて、返す言葉がない……。
信じられないくせに、否定してほしい。そういう私のずるさを見抜かれたような気がした。
「愛茉ちゃん、本当はほとんど食っていなかっただろ。腹減ってんじゃねぇかなって思ってさ。それに、こういう店のほうが気楽だし」
食べたって嘘をついたの、バレていたのね……。
もしかして、さっきの合コンで私があちこちに気を遣っていたのを、分かっていたのかな。だから疲れないかって訊いたの?
一緒に歩いているときもそうだったし、浅尾さんは人のことをよく見ている。マイペースで自由なようで、すごく心を配ってくれるし。
そのひとつひとつが嬉しいって思ってしまう私は、やっぱりチョロいのかな。
「ラーメン好きだから……ちょっと、嬉しかった」
顔を見るのが恥ずかしくて、少し俯き気味で言った。
「そんな可愛い言い方をされると、連れて帰りたくなるんだけど」
思わず顔を上げる。目が合うと、浅尾さんが微笑んだ。
どうしよう。私、絶対に顔が赤くなっている。
「まぁ今日のところは、ラーメンだけで我慢するけどさ。愛茉ちゃんが塩ラーメン好きって分かっただけで、十分だし」
軽い人なのか、それとも本当は誠実な人なのか。私の中の浅尾さんの評価は、全然定まらない。
見た目は軽そう。これは確実。軽いというか、チャラい。クラブとかに入り浸っていそうな感じ。
でもさりげなく優しいし、変に距離を詰めてきたりはしない。
どんな人なのかは分からないけれど、ただひとつだけ言えるのは、私は浅尾さんのことをもっと知りたいっていうこと。
おすすめされた塩ラーメンは、本当に美味しかった。いままで食べたラーメンの中で、一番かも。
それを伝えると、浅尾さんは嬉しそうな顔をしていた。
「自分のぶんは、払うから」
「気にしなくていいよ」
お会計で浅尾さんが全額払ってくれて、店を出た。そう言われても、当たり前のように奢られるのは気が引ける。
「気にするもん」
「自分で誘っといてラーメンをワリカンするなんて、ダセェことさせないでよ」
「でも……」
「いいんだよ。今日のところは、黙って奢られてくれる? そんなに気にするなら、今度はオレが奢ってもらうからさ」
浅尾さんの口から「今度」っていう単語が出てくるたびに、胸の奥が締めつけられる。
私は大人しく、お財布をバッグの中に入れた。
「……ありがとう。ごちそうさまでした」
「家、どのへん? 送るよ」
「い、いい、大丈夫。まだそんなに遅くないし、駅から近いし……」
「警戒するね。別になにもしねぇって」
「本当に大丈夫だから。帰り道は明るいし」
これ以上一緒にいると、なんだか危ない気がする。浅尾さんがというより、私のメンタルが。
「じゃあ、駅まで一緒に行くわ。それぐらいはさせてよ」
本当は、もっと一緒にいたい。でも、自分が自分じゃなくなりそうで。感情のブレーキが壊れる前に、浅尾さんから離れなくちゃ。
「愛茉ちゃんは、山手線?」
「うん」
「外回り?」
「うん」
浅尾さんは、どこに住んでいるんだろう。住んでいる場所だけじゃなくて、まだ浅尾さんのことをなにも知らない。
駅までの道が、ずっと続けばいいのに。あっという間に着いてしまった。
早く離れたい。まだ離れたくない。
心が落ち着かなくて、少し手が震えて。バッグの中からパスケースを出そうとしたら、手帳やお財布を落としてしまった。
「この手帳のメモ欄、書いていい?」
手帳とお財布を拾い上げて、浅尾さんが言った。
「え? う、うん」
書くって、なにを?
よく分からないけれど、とりあえず手帳を開いて、ボールペンを浅尾さんに手渡した。
あれ、左手でペンを持っている。確か、お箸は右手で持っていたと思うけど……両利き? ていうか、意外にも字が綺麗だし。
「これ、LINEのID。気が向いたら連絡してよ」
「え……」
そういえば、連絡先を聞いていなかったことに、いまさら気がついた。
って、え? 気が向いたら? 私から連絡するの?
「あの」
「ほら、もうすぐ電車が来るよ」
電光掲示板を見ながら、浅尾さんが言った。
「また今度ね。気をつけて帰んなよ」
優しく微笑む浅尾さんに見送られて、少し後ろ髪を引かれながら改札を通る。
振り返ると、浅尾さんはまだ立っていて、軽く手を振ってくれた。
やっぱり、送ってもらえばよかったかな。そんな気持ちを振り切るように、私も手を振り返して、小走りでホームへ向かった。
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