第4話 苦い思い出

 今の街に越してくる前の話である。僕はある日、通勤途中に女性の霊を見かけた。ホームのベンチに腰掛ける彼女の姿はコートの襟から長髪を片側に垂らした姿で、たたずまいがとても美しい人だった。ただ僕はその霊を遠くからそっと盗み見るだけだった。経験から霊と関わる事は苦しみを招く事だと知っていた。

 少年時代、僕は時々霊に気付いている事を悟られ、りつかれて様々な干渉を受けた。後をついて回られたり、胸が締め付けられて気分が悪くなる事もあった。気が付くと解放されてはいたが、これらの経験から僕はどんなに気になる霊を見掛けても気付いた事をさとられないよう振舞ふるまった。その甲斐かいあってか最近は霊にりつかれる事は無かった。


 その日以降、通勤時にその美しい女性の霊を決まって駅の同じホームのベンチで見かけるようになった。最初はさとられないよう泳がす視線の中でその姿を盗み見ていた。しかし何日かが過ぎるうちに僕はこの女性の霊が周りに全く興味を示さず、ずっと一点を見つめていることに気付いた。僕は毎朝電車を待つ間、その美しい女性の霊を見つめる事で癒され安らぎを得るようになっていた。そしてその霊を見つめる時間はだんだんと長くなっていった。そんなある日、事態は急変した。


 その日は雨で風も強く、傘がうまく差せないような天候だった。駅までたどり着いたがダイヤが乱れ、電車は大きく遅れていた。駅のホームは人でごった返しており、電車を待つ人波に押されるまま気が付くと僕は例の女性の霊のすぐ横にまで辿り着いていた。

 普段は用心して距離を取っていたが今日は間近と言っていい距離だった。電車はまだ来ない。ここ最近の観察からこの女性の霊には気付かれないだろうという安心感があった。僕は美しい彼女の横顔を堪能した。長いまつ毛、頬から顎にかけての美しいライン…完全に心を奪われていた。

 その時だった、彼女の首がゆっくりと回り、僕と目線を合わせるとにっこりと微笑んできた。驚愕と共に僕は顔から一気に血の気が引くのを感じた。慌てて彼女から視線を外すとただ電車が来るのを待っている風を必死で装った。普段は感じない心臓の脈打つ音をこめかみに直に感じた。電車がホームに滑り込み、電車に乗り込んだ僕は恐々こわごわ車窓を見た。彼女は真っ直ぐ僕を見ていた、電車が動き出しても彼女の視線は僕に注がれたままだった。僕は背中に冷や汗が流れるのを感じていた。


 暴風雨の中、時々後ろを気にしながらやっとの事で僕は自宅に辿り着いた。帰宅途中から体調が悪化していくのが気掛かりだった。ひどい悪寒おかんがして歯が〝ガチガチ〟と鳴った。風邪をひいたかと思ったがそうでない事がすぐに分かった。視線を感じて居間の窓を見ると、そこに駅にいた女性の霊の顔があった。

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