スイカ

@wizard-T

スイカ

 その物体が歩道に置かれている事に疑問を持たないのであればよほどの幸せ者か、よほど余裕がないかのどちらかでしかないだろう。



 スイカ。



 日本において夏を彩る果物の代表格であり、時には叩き割られる事もある存在。


 そんな存在が、道端に転がっている。

 東西南北10キロスイカ畑などないような、大都会の片隅の歩道に。ちなみに大根畑はあったが、それとて6キロ以上離れていた。誰かが落としたのだろうか。いや、それはない。


 時は十二月。


 スイカの時期ではない。

 ここがオーストラリアやブラジルなら話は別だが、紛れもない日本だ。雪が降ってもおかしくない時期にスイカを持ち歩くなど、一体どこの意世界の住人なのだろう。

 そんな五ヶ月ほど遅くやって来たスイカは、歩道の上でじっと転がっている。

 転がっていると言っても決して坂道を転がり落ちる訳ではなく、じっと左右に振れているだけ。ただ風に従うように数度ほど傾き、もう数度傾き返すだけだ。



「スイカだ」



 こんなほんの半年ほどの差で完全な異物と化したシロモノを見つけて騒ぐのは、いつも子どもか余所者だと展開は決まっている。大人は既にいろいろな可能性を頭の中で巡らせた上でもしかしたらビーチボールかもしれないとかあるいは最近の技術の発達により冬でもできるスイカがあるのかもしれないとか、いろいろ理屈を付けて考える。子供はその点純粋にスイカの存在を親しみ、余所者はたまらない違和感に鋭敏になる。今回は後者だった、と言うだけの話だった。

 それに、その大玉と呼ぶにはやや物足りないスイカを旬の時期に八百屋で買えば、千円よりやや高い値段がせいぜいだろう。あまりにも微妙な金額であり、警官の手間をかけさせるほどのそれかどうか疑わしい。ましてや、スイカは紛れもない生ものである。拾った所で落とし主が現われねば腐敗するだけであり、あっと言う間に生ゴミになってしまう。宝石や札束とは違うのだ。


「ってかさ、これどうしてここにあるんだろうな」

「どうでもいいじゃないそんなの」

「どうでもいいって……」


 男二人女一人、計三人の小学生たちはこの珍客を好き勝手に批評する。黒いランドセルの男児が素朴な疑問をぶつけ、ピンクのランドセルの女児が大人ぶり、青いランドセルの男児が女児に辟易するようにため息を吐く。

「これどうしよ、おまわりさんに言う?」

「でもおまわりさんに言ったってさ」

「それがいいじゃない、ちょっとここで待ってて!」

 女児は男児の提案に乗ったと言わんばかりに走り出し、二人の男児を置き去りにする。ついさっきどうでもいいとか言っていた口でよくもまあと二人が呆れているのにも構わず、十分もしない内に交番にたどり着いた女児はお巡りさんを連れて来た。


「おまわりさん、ほらこれ」

「うーん、確かにスイカだね。わかった、持ち帰って調べてみるよ」


 そのお巡りさんは正義のミカタ様らしく丁重に悩める子どもたちの話を聞き、スイカを回収した。後にはまったく存在しないスイカの痕跡と、得意満面な女児と、二人の男児が残っただけだった。

「母ちゃんになんて言おうかなー」

「いいんじゃないかな、何も言わなくて」

「うん、それがいいよ」

 この事を自分たちだけの秘密にしようと言う叶えられっこない願い事を抱きしめながら、三人の子どもたちはいつもより遅れて家路についた。




 次の日。またスイカはそこにあった。

「スイカだー」

 三人の子どもたちは、たいして大きなリアクションもしないままスイカを眺めた。

 なぜまたあるんだろうと言う女児の疑問も口から出る事はなく、その前に一人の女性がスイカの存在を感知し、主導権を握った。


「ずいぶんと大きなスイカね」


 確かにそのスイカは、昨日より少しだけ大きかった。もっとも、その時その場にいなかった彼女に気づくはずもなく、スイカの正確な大きさなど忘れてしまっていた三人の子どもたちにイエスとかノーとか言う言葉が出て来る余地もない。

「これ、昨日もあったの」

「あらそう!おばさんが何とかしてあげるからあなたたちは帰りなさい」

 三人は中年女性の言葉をあっさりと飲み込み、そのままスイカに尻を向けながら家へと帰った。


 やがて三人の姿が消えると、中年女性はスイカを見下ろした。


(……どこの誰よ!)


 こんな時期に。こんな場所に。

 こんな立派なスイカを!


 彼女の夫は、どうと言う事もないただのサラリーマンでしかない。今さっき出くわした三人組と年の変わらない男児を持ち、週四回スーパーマーケットで四時間ほど労働するありふれた人間だった。今日はたまたま、週一回土日以外の休日だった日だった。


 そんな彼女からしてみれば、こんな大きなスイカは見た事があっても買った事はない。



 ————————————————————それをこんな場所に、こんな時期に放置するなど。



 気が付くと、足が前に飛び出していた。



 考えられる限りのサンドバッグを頭に浮かべ、その全ての代理の役目を背負わせるかのように、右足が振りかぶられた。

 スイカは全ての感情を受け止めるようにコンクリートブロックの塀に向けて転がり、感情と空き家の塀であるコンクリートブロックに挟まれて赤い液体を垂れ流した。

 その犠牲により普段の鬱屈を晴らした彼女はその右足を抱えたまま、前進を再開した。







 それからと言うものの、不思議なほど誰もスイカに関わらなくなった。

 一昼夜ごとに冬が深まっていく中、冬にふさわしくない存在に対して誰も何も言う事なく、通り過ぎた。真冬でも降雪のない地方らしいとも言えなくはない灰色の地面に転がる緑と黒の球体を、小学生はおろか幼稚園児すらまともに眺めない。あの三人組でさえ、また別の興味の対象を見つけたのかどうでもよくなっていた。


 —————そう、またスイカは置いてある。


 警察と言う名の国家権力により回収されても、ブロック塀にぶつけられて粉砕されても、また同じ位置にある。その時のシミさえも消え失せ、ずっと本体だけがそこにいる。


 国家権力にも、暴力にも屈しない。超然とした存在。


 そんなスイカを見るためにこの街に来る人間は、いない。

 不思議なことに、Twitterやインスタグラムなどのインターネットの海にさえも上がる事はない。旅行者なども来ないような住宅街の片隅に転がるような代物など、余所者が気にする事もないからだ。

 たまに自動車やらバイクやらが通った所で、ただ見過ごすだけでしかない。



 やがて二月にもなると、そんなスイカにこだわるのはもう一人の女だけになっていた。



 その一人の女ことあのスイカを蹴飛ばして粉砕した中年女性は何もかもが嫌になったような顔をして、スイカを見下ろす。


 顔は化粧をしていないせいか荒れ果て、真っ黄色な服を身にまとい目つきだけがむやみに鋭くなり、視線だけでスイカを破壊できそうな顔をする中年女性に近寄ろうとする人間はめったにいない。髪だけは元気だったが、それで他の醜さをごまかせるものでもない。

「今なんて言ったの?」

 その挙句エクスクラメーションマークが付きそうなほどにとげとげしい口調で横切る小学生たちに喧嘩を売るものだから、彼女の孤独ぶりはなおさら加速した。

(誰がスイカババアよ!)

 まだ四十二なのにババア呼ばわりされている—————これは被害妄想ではなく事実だ。

 つい二日前にも中学生たちがそう陰口を叩いているのを聞き、スイカのように頭をかち割ってやりたくなった。


 なぜわかろうとしないのか。歩道に置かれている異物に対し、何の注意をせずに生きていると言うのか。


 パートなど、とっくにやめた。と言うかやめさせられた。

 ほんのちょっと、スイカを監視していただけなのに。

 スマホを勝手に空き家の壁に置き、盗撮まがいとか難癖を付けられて警察にしょっぴかれかかった事の何が悪いのか。



 すべては、このスイカのせいだ。



 何もかも場違いな場所に出て来た、こんな闖入者が悪い。


 だからこそ、持って来た得物を取り出す。

 十年以上使って来た包丁。


 自分の主婦人生の象徴。

「何べんでも、何べんでも……!」

 蘇って来るならば消すまで。


 女性は包丁を、まるでなたでも振り下ろすようにスイカに向けて叩き付けた。

 振り下ろすでも切り付けるでもなく、文字通り叩き付けた。


 包丁を受け止めたスイカは消し飛ぶ事なく真っ二つになり、右半身はこれまで通りコンクリートブロックに衝突して粉砕…されず、跳ね返った。

「何よ!どこまでもぉ……」

 そのスイカに噛みつかれた彼女はどこまでも往生際の悪い異物に向けて悪態を付き、左半身がどうなっているかなど気づかないままその右半身をつかんで叩き付け、それでも壊れない事に顔を内部的要因によって赤く染め、主婦人生の結晶を叩き付けようとした。


「そこのお前!」

「何をするの!私はこの不埒なる異物を排除し町内のぉ!」


 平和を守ると叫びきる前に、彼女の赤と黄色と黒の肉体は地に倒れ伏していた。



 やがて彼女が体を起こされた時には両手は後ろに回り、包丁はビニール袋に入れられていた。

「もうお前の面倒など見切れない……」

 誰よりも守ろうとして来たはずの人間の怒りを通り越した言葉に、彼女は目を白黒させていた。

「……はあ?」

 だがその人間に対する心底から疑問符に満ちたその二文字に、空気が完全に止まった。


 その顔は中年女性と言うより年中女児であり、心底から自分が何をしたかわかっていない人間のそれだった。

 この騒動を聞きつけた近所の人間に向かってその無邪気な視線をまき散らし、全ての存在から気力を奪った。


「どして?ねえどして?」

「どうしても何も、これを見ろよ……」



 スイカの左半身に喰いつかれた愛車。

 正確には、両親の愛車。

「そうよ、私、スイカから、みんなを助けたくて。スイカの恐ろしさを……みんなに、教えなきゃ……」

 抑揚のない声でスイカの恐怖を語り出す彼女を、静養のための別居から離婚のための別居へと方向を変えることを決めた夫は無言で警察官に引き渡し、彼女のせいでぐちゃぐちゃになった車もまた証拠品として国家権力に明け渡した。


 ほどなくして彼女がこの時の事が嘘であるかのように落ち着きを取り戻すのかどうか、それはわからない。




 何せ、この後一時間もしない内にまた同じ場所に現れた、ただのスイカごときに何の意味もないのだから。

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