第25話 予期せぬ再会

 タクシー会社へ連絡を終えると、暗知は小さく溜息をついた。暗知の視線の先には、キングファイルを片付けているテリーがいた。


「ボクはペイストリーに狙われてるんですね」


 暗知は少し首を傾げた。

「それは、少しニュアンスが違うな。理恵ちゃんは奴らに【見つかってはいけない】んだ。なぜなら理恵ちゃんはソフィアとシベイリア共和国にいる事になっているからね」


「え?それは一体‥‥」


「10年前、ソフィアは理恵ちゃんを連れてシベイリア共和国に入った事になっている。我々は理恵ちゃんを守るというより、【隠している】んだ」

 そう言うと暗知は断片的に顛末を語った。


 10年前、ソフィアとテリーが空港を発つ日、保安検査場でボヤ騒ぎが起きた。

 荷物検査の列に並ぶテリーの背後から、いきなり煙が立ち上がったのだ。


 煙を吸ったテリーは突然の眠気に襲われ、空港内の医務室に運ばれた。

 

 しかし、不思議なことにテリーはすぐ保安検査場に戻ってきた。

 なぜならば、その子はテリーではなく、米国が用意した諜報員候補の女の子だったからだ。


 事前に医務室で待機していた彼女は身代わりとして、テリーと入れ替わった。

 全て竜司主導の元、実行された作戦だった。


 女の子の名は『ミリアム』という。

 米国カリフォルニア州にある孤児院の出だ。共和国に渡った後、ソフィアがスパイの教養を全て教え込み、今では優秀な諜報員になっているようだ。


 テリーが空港の医務室で目を覚ました時、既にソフィアは出国しており、竜司から今回の出国はソフィアだけになったと伝えられた。


 テリーと竜司は空港を後にすると、その足で東堂の道場へ連れて行かれ、その日の夜からアヤが待つマンションへ入居する事になった。


 竜司はアヤにテリーを託した後、テリーと約束をした。《今後、直接連絡は取らないようにする事》

 それが父と交わした《約束》で、この日を最後に竜司とは会っていない。


 次の日、テリーの元に暗知が訪れ、竜司が米国へ出国した事を知らされる。

 テリーは一日にして家族と離れ離れになだだことを知る。

 幼かった彼女にとって、心を閉じてしまうきっかけには十分な出来事だった。


 テリーは閉じていた目をゆっくりと開いた。

「当時7歳の諜報員を用意するなんて‥‥なぜボクをシベイリア共和国へ行かせてくれなかったんですか?」


 暗知は口にチャックをする素振りを見せた。


「これを#2つ目#の質問にします」

 テリーはピースサインをした。


 暗知は頷くと口を開いた。

「資料に書かれていたから知っていると思うけど、シベイリア共和国は労働党によって統治されている」


「労働党と、今は新党があるんですよね?」


「新党はまだだね。労働党内の民主派は、昨今頻発している民主化運動を追風に新しい国作りをしようとしている。現在、国家元首:バルトは病に伏しているというが、実はもう亡くなっているのではないか?という説もある」


「労働党の保守派勢力は、民主派が党員としてソフィアをシベイリアに迎える代わりに、理恵ちゃんを保守派の監視下に置くことを条件とした。当然、それは理恵ちゃんの身の危険を意味する」


 米国で留学経験のあるソフィアを信用していない保守派の人間がいた。

 ソフィアと米国の繋がりが発覚した場合、実娘にも身の危険がある。その為、竜司は身代わりとして、ミリアムをソフィアの娘として出国させたのだった。


「だからボクは両親にも会えず、存在を隠して生きていかないといけないのか‥‥」

 テリーは溜息をつくと黄金色の髪を触った。

 

 かつて父と《約束》した、《髪を染めるという行為》も一種のカモフラージュだった‥‥と、テリーは理解した。


 暗知は眉間にシワを寄せ、傷ついたフローリングを見つめた。

「秘密を知れば、理恵ちゃんが悲しむのは目に見えていた」


「今回の事務所移転の理由は、どう関係してるんですか?」

 テリーは目を擦ると暗知を見上げた。


「うん。話は後ほど」

 暗知は携帯電話を取り出し、耳に当てた。タクシーが来たようだ。


‥‥‥‥

‥‥‥


「この事務所は既に監視されてると思われる。急遽引っ越したのはそのせいさ」

 暗知を先頭に旧事務所を出ると、辺りを警戒しながら、テリーをタクシーに乗せた。


「それは、ペイストリーにですか?」

 テリーは小声で暗知に尋ねた。


「うん、ビルの壁に変なマーキングがされていた。eimyの一件で、後をつけられたこともあるんだ」

 暗知も声のトーンを抑えた。


「お客様~国道沿いを、真っ直ぐで良いですか~??」

 男性のドライバーが猫撫で声で尋ねてくると、暗知は一つ返事で了承した。


 タクシーは黒田屋の向かい側にあるスーパーマーケットを目指していた。暗知お気に入りのインスタントコーヒーを買う為だ。


 暗知の携帯電話が鳴った。

「はい暗知です。え?もう乗ってますが?‥‥そうですか‥‥失礼しました。」

 暗知は電話を切ると、何かを悟った。


「ピュ~ヒュ~♪」

 ドライバーは陽気に口笛を吹き始めると、黒田屋の方向とは違う方へハンドルを切った。


「ちょっと、運転手さん!どこへ行く気ですか!」

 テリーは身を乗り出すと、タクシーの料金メーターが動いていないのに気がついた。


 タクシーが急加速すると、テリーは後部座席に埋まるように押し戻された。

「どうやらこの車は、私が呼んだタクシーではないようだ」

 暗知はシートベルトを付けた。


「自己紹介がまだでした~。私は『チュロス』と言います。本名ではないですよ~」

 男は後部座席が見えるようにルームミラーの位置を手直しした。


「チュロス‥‥あなたですか?事務所のビルに変なマーキングをした人は」

 暗知はテリーにシートベルトをするようジェスチャーをした。


「気付いてたんですね~流石です〜。ただ、盗聴器には気付かなかったようですね~!」

チュロスは肩を揺らして笑っていた。


 妙な名前を名乗る男であったが、テリーにはそんな彼が純日本人に見えた。

 刈り上げられたツーブロックヘアーは一昔前のサラリーマンのようで、黒スーツから伸びた細長い手が車のシフトレバーを撫でている。


「あなたが我々の事を嗅ぎ回っているのは知っています~、そろそろお互いの事を知っても良い頃でしょ~」

 チュロスは語尾のイントネーションを上げ下げする話し方が特徴的だった。


「あなた、ペイストリーですね?」

テリーの問いかけに、チュロスは指をパチンと鳴らして返事をした。


「ボクたちを、どこに連れて行く気ですか?警察呼びますよ?」

 テリーは携帯電話を乱暴に取り出した。


「初めに言っておきますが、私はあなた方の敵ではありませんよ~」

 チュロスは口を尖らせ、おどけて見せた。


「それなら、こんな誘拐まがいの事をする必要はないでしょう?」

 暗知はズレた眼鏡を押さえた。


「ボスに会えば分かりますよ~」

 タクシーが高速インターチェンジを入るとチュロスはアクセルを踏み込んだ。途端にチュロスは口をつぐみ、無駄な言葉を発しなくなった。


‥‥‥‥

‥‥‥


 30分程走っただろうか、タクシーは地下駐車場へ進入し、車寄せで停車した。

「降りて頂いて結構です~、すぐ係の者が参りますので~」

 2人が降りると、チュロスは再び車を発進させた。


「ここは‥‥」

 テリーは暗知と車から降りると、菱形◆を象ったロゴマークを目にした。

 現在地はスーミア日本支社の駐車場だと、すぐに理解した。


 スモーク加工が施された正面玄関の自動ドアが開くとカーリーヘアーの女性が姿を現した。


「ようこそ、スーミア日本支社へ」

 黒スーツに身を包んだアヤだった。


「あ、アヤちゃん!?」

 テリーの大声が地下駐車場内にこだました。


「‥‥驚かせてごめんね!暗知さんも、盗み聴きしてごめんなさい!」

 アヤは両手を合わせて平謝りした。


「もしや、これか?」

 暗知はジャケットの内ポケットに引っ掛けていた『黒いペン』を取り出した。今朝、暗知がアヤに新居の鍵を渡す際にアヤからプレゼントされた物だ。

 黒光りするペンはチュロスが製作した、盗聴器内蔵のペンだったのだ。


 暗知の挙動を把握していたアヤは、暗知の携帯番号をチュロスに伝え、旧事務所に待ち伏せさせていた。

 暗知がタクシーを呼ぶと、アヤはチュロスに連絡。チュロスは自らをタクシードライバーと偽り、暗知に電話を掛け、2人を搭乗させたのだった。


「アヤちゃんは、ペイストリーの仲間なの?」

 テリーはアヤに近づき手を取った。


「まぁ、そういう事!ここでのあたしの名前は、マカロンだよ」

 アヤは自分のコードネームを告げると、テリーの手を優しく振り解き、自動ドア横の小扉をカードキーで開錠した。


「詳しく聞かせてもらおうかな?」

 暗知は目を細めて、マカロンを見つめた。


「はい勿論です。こちらへどうぞ」

 小扉に入ると、すぐ小型のエレベーターが現れた。


 テリーと暗知がエレベーターに乗るとマカロンはエレベーターの昇降ボタンを押した。ボタンを見る限り地下2階と24階だけで、直通エレベーターのようだった。


「あの、チュロスって人が言ってたけど。アヤちゃんは敵じゃないんだよね?」

 テリーは操作ボタンの前に立つアヤの背中に尋ねた。


「ここでのあたしの名は『マカロン』だよ。理恵の敵じゃないし、ボスに会えばわかるよ」

 背中越しに回答すると、マカロンは先にエレベーターを降り、2人は後に続いた。


「どういう事態なのか、さっぱりだ」

 暗知は辺りを見回すと、マカロンの背中を眺めた。


 24階は屋外テラスと大小の会議室があるようだ。一番奥に支社長室があった。


 コンコン−– マカロンは支社長室をノックし、ドアを開けた。

「失礼します、お連れいたしました」


「ようこそ!!久しぶり、でもないか?」

 聴き覚えのある声と、見た事のあるシルエットにテリーと暗知はよろめいた。


 テカテカのオールバックヘアとビシッとスーツを着こなした男。

 二人は『近藤二郎』の姿を目にした。

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