第18話『I just wanna FUN』

「エミリさん、いや‥‥『中村里美』さんですね?」

 テリーとエミリの目が合った。


「理恵、それはどういうことだ‥‥」

 三輪は振り返り、テリーを見た。


「eimyは”牛乳が嫌い”なはずです。先日、控室にお邪魔した時、鏡の前に置いてあったハンカチをこっそり拝借しました」

 テリーはピンクのハンカチをポケットから出した。


「ボクの友人で『鈴木君』という鼻が利く人がいまして、彼にハンカチの匂いを嗅いでもらうと『牛乳の匂いがする』と言っていました」


「病院でも昼食を摂らず牛乳を飲んで、リハーサル前にも牛乳を飲むなんて、もはや『牛乳愛好家』ですよね?里美さんの養母さんにも電話で聞きました。『里美はジュースよりも、お茶よりも、牛乳が好きな子だった』と言っていました‥‥」

 そう言うとテリーはピンクのハンカチをeimyに差し出した。


 eimyは無言でハンカチを受け取ると、そっと目に当てた。


「それと、差し入れの『黒田屋のフルーツサンド』ですが、クリームには牛乳ではなく豆乳を使っているそうですね。里美さんの好みでは無いかも知れませんが」

 テリーは今日も差し入れされているフルーツサンドを手に取り、商品ラベルを見つめた。


「今回、お亡くなりになったのは牛乳が苦手な『藤城エミリ』であり、『中村里美』ではありません。いかがですか?‥‥里美さん?」


 ハンカチを顔から離すと、eimyは深呼吸をした。

「‥‥はい、私は『中村里美』です」


「なんだと‥‥?」

 三輪は手持ちの資料を漁り出した。


「そんな事、もうどうでもいい‥‥」

 倉田は知っていたかのようにボヤいた。


 コンコンッ ガチャ

 控室のドアが開いた。

「失礼しまーす!eimyさ‥ん‥スタンバイ‥おね」空気を読んだスタッフは、そっとドアを閉めた。


『中村里美』ことeimyが頭を下げた。

「お願いします、今夜だけ‥‥歌わせて下さい‥‥」


「この日をファンは待ち望んでいたんです、お願いします!何卒、何卒‥!!」

 倉田は三輪の前に立ち、何度も頭を下げた。


「だから、そういう訳にはいかんのだ!」

 三輪は倉田を退けようとした。


「三輪さん!ボクからもお願いします。今は『里美さん』に明確な罪を着せる事は出来ないはずです」

 テリーの真っ直ぐな茶色の瞳が三輪を捉えた。


「理恵‥‥」

 三輪は指で頬を掻くと、暗知を見た。

 暗知は小さく頷いた。


 三輪と暗知は、エミリが里美殺害をミハエルに指示したと思っていた。

 しかし、テリーの推理が正しければ、エミリが『エミリ自身』をミハエルに殺害させた事になると、三輪と暗知は理解していた。

 暗知はゆっくりとパイプイスに座り直した。


「eimyさん、スタンバイどうぞ」

 テリーは控室のドアに向かって手をそっと差し伸べた。三輪も止めようとしなかった。


「‥‥ありがとう、お嬢さん」

 eimyはテリーに笑いかけると、何かが乗り移ったかのように目付きが変わった。


‥‥‥

‥‥‥‥


「ワーーー!!!」


 会場のボルテージは最高潮に達している。


 前者のロックバンドが観客を暖めていた。


 瞬間的に真っ暗になると、派手なレーサービームが会場内に照射され、eimyが出てきた。


「青坂palletーー!!さーけーべーー!」


《イエーーーー!》


 eimyのシャウトに観客が答えた。


 1曲目は『I just wanna FUN』だった。


 この日のeimyのパフォーマンスは常軌を逸していた。


 低音のキックとベース、軽快な電子音がeimyのボーカルと合わさり、さらに観客の声援が加わった。

 それはこの日だけしかお目にかかれない、最高のグルーヴを生んだ。


 eimyの発声する地を割るダイナミクスと、天を裂く高音は観る者全てを虜にし、Live会場は大熱狂した。


 『中村里美』が以前書き起こした雑誌のコラム同様に『eimy』の歌声はアリーナの天井を突き破った。


‥‥‥

‥‥‥‥


 Liveの後、eimyは控室には戻らず、会場裏手に待機していたパトカーに乗り込んだ。

 三輪は「可能な限り結果を報告する」と言い残すと、応援のパトカーを引き連れて、走り去って行った。


 遠く離れていく、無音の赤灯をテリーと暗知は見つめていた。


「暗知さん、今回の事件、里美さんに罪はあるのでしょうか‥‥」

 テリーは見えなくなっていくパトカーを眺めていた。


「今後の取り調べによるだろうけど、里美さんとエミリさんが本当に入れ替わっているのなら、里美さんを殺人罪とするのは変だろうね」

 暗知は眼鏡をかけ直した。


「本当にエミリさんに自殺願望があったのかが、ポイントになりそうですね。それはそうと、何でボクを置いてけぼりにしたんですか?」

 テリーは事務所に取り残されていた事を思い出し、暗知の脇腹を小突いた。


「ごめん、検視結果で他殺の可能性が強まった上に、検体は薬物中毒者だった‥‥。女学生と調査するには不健全な案件だと、三輪と判断したんだ」

 そう言うと、暗知は自販機に向かって歩き出した。


「それならそう言ってくれれば良いのに。確かにミハエルは危険人物ですが、どうやってエミリさんと知り合ったんですかね」

 テリーは暗知の後に続いた。


「まずは三輪の報告を待とうか。真相はまだわからないからね」

 暗知は自販機のボタンを押すと、コーヒーをテリーに渡した。


「ありがとうございます。あれ?冷たい‥‥」

 テリーは暗知がホットコーヒーしか飲まないと思っていた。


「今回は理恵ちゃんの大手柄だ。もしも、あのまま里美さんがエミリさんを名乗り続けていたら、誤認逮捕をしてしまう所だったよ‥‥‥」

 暗知は缶コーヒーを額に当てた。


「罪を被ってでも『eimy』でいたかったとしたら、里美さんは黙っていたかも知れませんね」

 テリーは缶コーヒーをぐいっと飲んだ。


「やはりエミリさんの自殺動機が気になるね」

 暗知はようやく缶コーヒーのタブを開けた。


「いずれにせよ残念です。『eimy』の歌、凄かったから」

 テリーの感想に暗知は大きく頷いた。


 Liveの間、二人とも舞台袖に待機していた。Live後の『eimy』逃亡を防ぐ為だ。

 舞台を警察に取り囲まれながら、『eimy』は最高のパフォーマンスを披露したのだった。


 その後、テリーは何だか煮え切らない気持ちのまま車に乗り込むと、暗知に家まで送ってもらった。


‥‥

‥‥‥


 次の日、学校は休みだった。テリーは疲れのせいか正午まで眠っていた。

 プルルルップルルルッ‥‥プルルルッ

 携帯が鳴り続けた。テリーは暗知からの電話だと気づくとで眠気が吹き飛んだ。

「もしもしー、ふあー‥‥」

 電話に出ながらテリーは大きくあくびをした。


「随分疲れていたようだね、無理ないか‥‥三輪から聴取の報告があったよ。どう?来れるかい?」

 電話越しでも、暗知が疲れているのがテリーにはわかった。テリーは暗知に呼ばれ、事務所に向かった。


 事務所に入ると、見たことのない女性が暗知と立ち話をしていた。


 女性がテリーに気付くと、小気味良いヒールの音を鳴らしながら近づいてきた。


「こんにちは、理恵さん。私は『荒川凛子あらかわりんこ』です。凛子って呼んでね」

 そう言うと凛子は握手を求めた。


 笑顔に釣られたえくぼ。柑橘系の香りをまとい、スラッと長い手足にタイトスーツを着た凛子を見て、テリーは『出来る女』の印象を持った。


「初めまして、長久手理恵です」

 テリーは恐る恐る凛子と握手をした。冷たい手だった。


「へー‥『ソフィア』にそっくり。猪突猛進タイプって感じね」

 凛子はテリーの顔を覗き込むと、えくぼがまた頬を凹ませた。


「母さんのご友人なんですか!?」

 テリーはここ数日で母を知る女性に二回会った。古着店のマコと、目前にいる凛子だ。


「まぁね~。じゃあ挨拶も済んだことだし、私は下に車をまわしておくわよ?」

 凛子は暗知に視線を送ると事務所を出ていった。


 テリーは呆気にとられたまま、凛子が事務所を出て行くのを眺めていた。


「凛子さんは、先日会った古着屋のオーナー:マコさんの友人でもあるよ」

 暗知は口に手を当て大きなあくびをした。


「車をまわしておくって、どこか行くんですか?」

 テリーは事務所の窓から、外を歩く凛子を見ていた。


「実は事務所を移転しようと思っていてね。物件の内見に行くんだ。理恵ちゃんも一緒に来て欲しい」

 暗知が名刺をテリーに渡した。


「オフィスリッチ株式会社 取締役 荒川凛子‥‥不動産会社ですか?」


「そうだよ。凛子さんはやり手の経営者でもあり、営業マンだよ。はっはは」

 そう言うと、暗知はなぜか笑った。


「特に予定も無いので同行しますが、凛子さんを待たせるの失礼じゃないですか?」

 テリーは事件の真相について、ゆっくり話を聞きたかった。


「事前に凛子さんには時間をもらってるし、気にしないで良いよ。さて、答え合わせといこうか」

 暗知はデスクから立ち上がると、丸テーブルにパソコンと資料を置いた。

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