Miss.Terry 〜長久手亜矢の回想録〜
真昼間イル
第1話 私立汐見高校
今から35年前‥‥‥『それ』は生成された。
とある研究施設の一室。白衣を着た白髪の男が、ビーカーに入った黒い物質を覗き込むと声を上げた。
「うむ、間違いない。社長、実験は成功しましたぞ!」
「本当か!?よくやった!」
ブレザースーツに身を包んだ男は、咥えていたタバコの火を消した。
「しかし大型の創作物に至るまでには、まだまだ研究が必要です」
「構わん、時間はいくらでもある。未来の為、研究に励んでくれ!」
二人の男が固い握手を交わすと、周囲を取り囲んでいた研究者からも歓喜の声が上がった。
「博士、一つお願いがあるのだが、研究の一環として聞いてもらえないだろうか」
「何でしょう?」
「試しに作って欲しいものがある、これなんだが」
社長と呼ばれていた男は、黄ばみがかった図面の束を博士に渡した。
「わかりました。できる限りやってみましょう、この『マテリアルマンガン』で!」
研究室の中から、拍手の破裂音と歓声が漏れていた。
‥‥‥‥
‥‥
カタカタ‥カタカタ‥‥‥
時は過ぎ、20XX年現在。
そびえ立つ摩天楼の一室、男はバーボンが入ったグラスをテーブルに置き、パソコンで作業をしていた。暗闇の中、パソコンの灯りが怪しげに辺りを照らしていた。
男はふと何かを思い出すと、携帯電話を耳に当てた。
「お疲れ様。今日は修理業者が来る日だったよな。信用できる業者なのか?‥‥うん?はっはは‥‥楽しそうだな、君に任せるよ。よろしく頼む」
「もう少し‥‥もう少しだ‥‥」
男は電話を切るとパソコン作業を再開した。
カタカタ‥‥カタカタ‥‥
‥‥‥‥
‥‥
ここは私立汐見高等学校。はたから見れば一般的な学校だが、『個性と秩序』という教育理念を掲げている珍しい学校だ。
今日は朝から風変わりな出来事が起きたようだ。
2年C組 朝のホームルーム前
ヒソヒソ‥‥
「ねぇ、聞いた?鈴木が理恵に告白したらしいよ?」
美奈子は朝から情報収集に余念がない。
「あぁ、振られちゃった話ねー。まぁ鈴木ならしょうがないんじゃない?」
あっさりと聞き流す夏菜子。
「えー?気にならないの?あんなに野球一筋で、浮いた話なんて聞いたこと無かったのに‥‥。何で急に告白なんてしたんだろ」
「鈴木の事、気になるの?世話焼き美奈子でも、野球部のエースには遠慮するんだね」
夏菜子は口角を上げ、流し目で美奈子を見た。
「いや、ただの幼馴染だよ!」
美奈子は視線を逸らした。つぶらなアーモンドアイがパチパチと瞬いている。
「へ~‥‥ちょっと様子見てくる」
夏菜子は思い付いたように自分の頬を指でツンと押し出すと、座席の一番後列の鈴木のもとへ小走りした。
「おはよう鈴木!」
「ん‥!?お、おぅ」
丸刈りの男子は不意をつかれたようだ。机の上には汗で濡れたマスクと数種類のマスクが置かれている。
「あんた、こんなに暑いのにマスクして朝練してるの?」
夏菜子が鈴木の顔を覗き込んだ。
「‥‥持久力アップのためだよ」
鈴木はそそくさとマスクを片付け始めた。
エースらしいストイックな返答に、夏菜子は小さな拍手を連発した。
「夏の大会頑張ってね!」
そう言うと、夏菜子は教壇に向かって歩き、前列に座る女学生に声をかけた。
「テリーおはよう!」
「おはよう~」
声をかけられた女学生は鼻に洗濯バサミを付け、痛みに耐えているように見える。
「ちょっと、なにしてんの‥‥」
夏菜子は口をへの字に曲げた。
「もうちょっと鼻を高くしたいと思ってね。朝は骨が柔らかい気がするから、矯正できるんじゃないかと思って」
女学生は現代文のテキストを開いていた。
彼女の名は、長久手理恵という。
「もう充分高いじゃない、そんなんだから変人呼ばわりされるんだよ‥‥」
夏菜子は溜息をついた。
黄金色のショートヘアーはやや癖っ毛で、精悍な顔つきから外国人風に見える。
その容姿が相まって『長久手理恵』は『テリー』と呼ばれる事があった。
「周りがどう言おうと、ボクは気にしないけどね」
テリーは顔をしかめながら、鼻を摘んでいる洗濯バサミを外した。
「お?モテる女は違うねぇ〜!」
夏菜子はテリーの脇腹を軽くつついた。
「それ鈴木君のこと?朝から心臓に悪いわ」
テリーは小さく溜息をつくと、胸に手を当てた。
「今話してきたけど、普段通りの鈴木だったよ。凹んでるもんかと思った!」
夏菜子は無邪気な笑顔を見せた。
黒髪セミロングで前髪はパッツン、笑顔が印象的な彼女は『
元気が有り余った、エネルギッシュな女学生だ。
「そっか、まぁそれは置いといて、現代文の宿題やった?【この時の誰々の心情を何文字以内に回答せよ。】ってやつ」
テリーはテキストを夏菜子に見せた。
「んー、何もやってない、近藤先生も期待してないんじゃない?」
夏菜子はテキストに見向きもしなかった。
「そうなると、前列のボクに白羽の矢がたつんだよね」
テリーは自分の事を『ボク』と言う。
『ワタシ』よりしっくりくるらしい。
「そんな時は鈴木みたいに避けちゃってよ!」
夏菜子は体をのけぞらせた。
「はいはい、あ‥‥確か、今日の3限と5限の授業って、入れ替えだったっけ?」
テリーは時間割表を見た。
「‥‥そう言えば、そうだっけ?」
夏菜子は体勢を戻すと手ぐしで髪を整えた。
「昼前には早退するから、現代文は欠席だ!」
テリーはグッと拳を握った。
「じゃあ、私がしっかりノート録っといてあげる!」
夏菜子は頬をエクボで凹ませると、右手を差し出した。
「ありがとう。LI●Eで送っといてくれる?」
テリーは夏菜子の手にミントタブレットを2振りした。
「りょーかい!」
夏菜子はミント菓子を口に放り込むと、自席に戻っていった。
汐見高校の授業は『個性と秩序』の教育方針の下、生徒参加型の授業を売りにしている。
生徒たちにとって良いか悪いかはさて置き、刺激になっていた。
「先生すみません、今日はこの辺で帰らせて頂きます」
4限目。数学の授業の途中でテリーは手を上げると、家の用事と称して早退した。
校門に差し掛かった所でテリーの携帯電話が鳴った。
(
「もしもし」
《お疲れ様。連絡事項があって電話したよ。今頃学校を出ていると思うけど、修理業者は来れなくなってしまった。予約の手違いがあったみたいだ》
電話越しの暗知の声は、取り繕ったように落ち着いていた。
「そんな、トイレ詰まったままじゃ耐えられませんよ‥‥」
テリーは訳あって一人暮らしをしている。
身の回りの事、経済面を含めて暗知がサポートしていた。
《他の業者と話して、今日中の修理でお願いしておくよ。すぐには決まらないと思うから、事務所に寄ってくれないかな?》
暗知は探偵事務所を経営しているが、テレビで見るような『事件を解決する』探偵ではない。依頼内容のほとんどが『人や物など』の調査だ。
インターネットには頼らず、口コミだけで仕事を受注していたが、それなりに人脈があり、生活していけるだけの稼ぎはあった。
「今日はバイトの日じゃないんですけど‥‥」
テリーは嫌な予感がしていた。
《まぁそう言わずに、待ってるよ》
そう言うと暗知は電話を切った。
「一方的だなー」
テリーは自宅のトイレ修理立ち合いで帰宅するはずだったが、暗知の事務所へ向かう事にした。
住宅街区と商業街区に挟まれて、オフィス街区がある。その一画に雑居ビルが幾つか建ち並んでおり、縦に長い雑居ビルの2階に『暗知探偵事務所』は入居していた。
「お疲れ様です、何ですか?ろくに用件も伝えずに呼び出すなんて」
テリーが事務所に入ると、暗知の後ろ姿が目に入った。
「理恵ちゃんごめん、教えたら来てくれないと思ってね‥‥」
暗知は振り返ると、開口一番に謝罪した。
その風貌はスラっと背が高く、頬はやや痩けている。鼻の上に乗せた銀縁の丸眼鏡が、面長な顔とマッチしていた。
「こんにちはー、探偵助手さん」
暗知の影から、にゅるっと男が顔を出した。
テカテカのオールバックヘアーに対して、ビシッとスーツを着た姿は『個性と秩序』を体現していた。
「近藤先生!?何でこんなところに‥‥」
テリーは暗知を睨んだが、暗知は手帳で顔を隠した。
「暗知とは高校の同級生でな、仕事の依頼をしようと思っていたら、たまたまお前の話を聞いた。ちょうど生活指導期間中だったし、張り込ませてもらったよ。しかし、灯台下暗しとはこの事だな」
近藤はゆっくりとテリーに近づいた。
「ぐっ‥‥それを言うなら臥薪嘗胆では?」
テリーは一歩後退した。
「それは違うだろ。はぐらかそうとしても無駄だ。うちは自由な校風だが、承認無しでのアルバイトは校則で禁止されている」
近藤は一歩、間を詰めた。
「違うんです!ボクはこの人にコキ使われてるだけで、無給なんです。お金は父に渡しているって言われてるんです!」
テリーは暗知を指さして弁明した。
「屁理屈をこねるな!それもバイトみたいなもんじゃないか!」近藤は一瞬暗知を見たが、すぐさまテリーに視線を戻した。
「学生が来る所ではない‥‥ということですね‥‥」
テリーは意味不明な解釈を述べると、事務所から出ようとした。
「逃さんぞ!」
近藤はテリーを素早く指さした。
「まぁまぁ二人とも‥‥とりあえず座ろうか」
暗知は眼鏡の位置を直すと、近くに置かれた丸テーブルに座るよう促した。
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