もう一度、あなたから

 例えるなら、私は今、絵本の主人公になっているかの様だった。

 幼い頃に見た絵本の世界は、どのページも一面の星空の様にキラキラとしていて。

 何度読んでも色褪せない。汚れてしまっても、そのままで。

 夢の中に冒険に行くときは、その本の世界観を参考にさせて貰っていたっけ。


 そして、キラキラとした、そんな世界の真ん中に。

 私は今、立っている様な心地に陥っていた。

 それほどまでに。今、私の世界は輝きを帯びていたのだ。


 あの熱烈な告白大会の後は、家に帰った。それだけ。本当にそれだけだった。

 会話も少なく、その会話の内容でさえも大したものでは無くて。

 繋いていた手は恥ずかしさからか途中から外れてしまったし。

 冬風が肌に心地よくて。お互いに恥ずかしかったんだろうな。

 だから。ただ。ぼんやりと、夢見心地で。

 それでも、幸せな時間だったのは覚えている。


 二人とも疲れきっていたのもあり、今はもう布団の中。

 お風呂はお湯を張らずに、シャワーだけ一人ずつ適当に浴びた。

 布団の中は窮屈だけど、この窮屈さに何故か心地よさを覚える。

 二人で天井を見上げて、けど、唯はもう目を瞑ってしまっただろうか。

 そう思った時、ちょうど横から天井に声が飛ばされた。


「……ねぇ。お姉ちゃん」


 かなり久しく、その声を聞いた気がした。

 喉の奥に何か詰まってる感覚がして、私は口内に溜まった唾を飲み込む。

 小さく一呼吸をして、唯の声に言葉を返した。


「……どうしたの?」


 唯は「えっとね」と答えると、続けた。


「……なんかさ。すごく、恥ずかしいね。……昨日までどうやって話していたっけ」


 唯は「忘れちゃったな」と照れ笑いをした。

 うん。私も同じく会話の仕方を忘れてしまっている。

 駅前にいた時、私はどうしてあんなにも大胆だったのか。


「……私も。超、恥ずかしい、から」


 正直に告げる。

 唯は安心したようにクスリと微笑んだ。


「……いやーあはは。眠れないね、お姉ちゃん」

「うん。あんな告白をしちゃったわけだから、尚更ね」

「でも配信的には今回の反応は良かったよね? 投げ銭も沢山きてたから」

「……まぁ。そうだね。でも、身バレが怖いかなー」

「確かに。でも、付き合えたから。私は気にしないよ」

「そっか。……なら、いいのかな」


 唯の不安気な声に、私は頷く。

 私も少し不安だ。これからどうなるのだろう。どうなってしまうのだろう。

 そんな不安が私の中にはあって、思えば思うほどそれは膨れ上がってくる。

 心臓のドキドキはそのせいか、唯が隣にいるせいなのか。

 それすらも分からないのだから、早く、これに関しては決着を付けるべきなのだろう。

 けれど今は。少しだけ、その不安を忘れさせて欲しい。


「……唯」


 私は安心させる様な、優しい声を渡した。

 天井に向けていた顔を、唯に向けると、私に倣う様に唯の顔が向く。

 暗闇なのに、唯の可愛らしい顔の輪郭がよく分かった。


「……やっぱり、恥ずかしい」


 唯は目を細めて、楽しそうに言った。

 くしゃっとした唯の顔は、可愛い。可愛い。可愛い。

 私の中に、何か炎みたいなものが宿るくらいには可愛い。


「唯って。やっぱり、可愛いね。すごく可愛い」


 少し大胆になって、私は心の内を伝える。

 唯はまた笑って「ありがと」と快活に答え、少しだけ口の端を吊り上げた。


「お姉ちゃんも、可愛いよ」

「うっ──!」


 口から無意識に、腹にカウンターを食らったような声が漏れてしまう。

 唯の様に『ありがとう』と伝える余裕すらなく、私は体温を上げた。

 嬉しい。すごく嬉しい。唯に面と向かって、そう言われるって。

 なんだか──。


 ──やばい。めちゃくちゃちゅーしたい。


 今まで生配信で弓波侑杏には可愛いって言われてたけど。

 唯には言われたことが無かったから。

 当然? そんな気持ちも湧いてくるわけで──。


「…………?」


 そこで私は、引っ掛かりを覚えた。


「どうしたの? お姉ちゃん」

「いや。なんか急に、モヤモヤしてきて……」


 なぜだろう。

 唯と結ばれて、嬉しいはずなのに、どうして。

 どうしてこんなにも何かが欠けている気がしてしまうの?


「え、何が? 私のこと、本当は嫌いだとか?」

「いやいや、そんなんじゃないよ。大好き、愛してる!」


 唯は「そう?」と訝しげな反応を見せた。

 私は「そうだよ!」と焦りながら答えて、少しだけ思考を回してみる。

 過去に一度だけ聴いた曲の名前が思い出せないみたいに、モヤモヤは増大して。

 このまま正体が分からないまま終わるのだろうかと。そう思ったが。

 案外にもすぐに、そのモヤモヤの正体は暴かれた。

 同時に、私はあの時なぜあんなにも大胆だったのかを思い出す。

 単純明快で、それは唯のことしか見えていなかったから。

 唯のことが好きで、大好きで、愛していたから。

 だから。


 ──布団の中から手を引っこ抜き、唯の両頬に添える。


 私はもう一度だけ大胆になってみるのだ。


「あなたからの返事がまだだよ、唯」


 刺す様な目で、唯を捉える。


「……え。え……ど、どういうこと?」


 唯は困惑するのみ。

 両手が温度を上げるの感じる。

 大胆なことをしているとはいえ理性は普通にあるので、恥ずかしさも勿論ある。

 だけどここで止まることは出来なくて、止まる気も無かった。


「だ、だから。私は、弓波侑杏からの返事は貰ったけど、白羽唯からの返事は貰ってないってこと……!」


 我ながら面倒臭いやつだ。

 Vtuberである弓波侑杏からの返事は貰っていて。

 その中の人である白羽唯からの返事は貰ってないって。

 なんだか屁理屈みたいだな、と心の中で苦笑する。

 唯も「あー」と納得しそうで「ん?」と疑問符を浮かべている。

 けれど私が真剣な表情を崩さないからか、唯は観念したように「分かった」と呟いた。


「……でも、その前に一つ聞かせて」


 私は頬に添えていた手を取り外す。

 「いいよ」と答えて、傾聴する態勢に入った。

 未だ戸惑った様子を見せる唯はわざとらしく咳払いをする。

 その後に、ゆっくりと声を発した。


「お姉ちゃんは、いつから私のことが好きなの?」


 ……。

 いつから。

 だっただろうか。


「……。それは、分かんない」


 本当に分からなかった。

 ずっと前から好きだった気もするし。つい最近好きになった気さえする。

 でも。はっきりすることは一つあって──。


「恋心を自覚したのはつい最近だよ。──えっと。一昨日……いや昨日、かな」

「……じゃあお姉ちゃんは恋心を自覚した次の日に、私にこうして告白をした、と」


 唯は嬉しそうに「きゃー」とからかい口調だ。

 私は顔を赤くしながら「はいはい」とあしらってみる。


「めっちゃ早いじゃん、お姉ちゃんのその実行力見習いたい」

「いや。我ながら早すぎるなぁって思ったよ。……でも、隠し通せる気もしなかったから」

「たしかにお姉ちゃん、様子変だったもんね。好きなのかなって疑ったけど、そうじゃ無いって思ってたから。……でも考えてみれば、昨日、恵ちゃんと遊んだ時に出くわしたのは、あれはやっぱり尾けてきてたんだよね」


 そんなことを不意に言われたので心臓がドキッとした。

 目の前の唯は意地悪に笑ってくれたのが、救われた気がした。

 頭を軽く動かして謝罪の念を示してみる。


「あの節は本当に申し訳ございませんでした。なんか私、焦ってたみたいで」

「いやいや! ……なんか私も問い詰めるようなことしちゃってごめんね。どうしても、お姉ちゃんの心の内が知りたかったの」

「いや、それこそ気にしないで!」


 唯は良かったと言って安堵した表情を見せた。

 唯の小さな顔の輪郭、くりっとした丸っこい目、緩んでいる頬が目に映って、どうやら暗闇に慣れてきたらしかった。


「それにしてもストーカーって……。嫉妬したってことだよね」

「……そ。そうっすね」


 私は後ろめたさを覚えながらも、私はボソボソとそう答える。


「ふふっ」


 唯は笑うと目を細めた。

 今日の唯は、ずっと笑いっぱなしだ。

 自分もつられて頬が緩んでしまって、結局お互いがずっと笑っている。


「……まぁ。嫉妬は仕方ないことなのでね……たぶん」


 視線を逸らしながら言い訳がましく呟く。


「そーだねっ」


 今度は唯が私をあしらう様にそう言って、布団の中の私の手をぎゅっと握ってくる。

 想定しなかったその不意打ちに顔は更に温度は上げて、そして今は空間が熱い。

 この二人の。この空間が、かなりの熱を帯びている様に思えた。

 唯はもう一度だけ私の手をぎゅーっとすると、私の手を離してきて。

 布団から息継ぎをする様に手を出したかと思えば、そのまま私の両頬を捕まえた。


「お姉ちゃん、可愛い。ほんとに可愛い」


 その手を熱く感じるのは、唯は私以上に体温を上げていて。

 それもまた可愛いなって思ってしまった。

 私も同様に唯に手を伸ばそうとした時、唯はしみじみと溢した。


「……可愛い。ほんとに。お姉ちゃん」


 少しだけ寂しそうに。唯は二の句を継いだ。


「私ね、お母さんとお父さんがいなくなってから、毎日が不安でいっぱいでさ……」


 唯はそこまで言うと、明るい声に切り替えて「だから!」と。

 私の顔に、自らの顔を近付けて──。

 キス──かと思えば、合わさったのは唇ではなく、おでこだった。

 唯は「んー!」痛いくらいに、おでこを擦り合わせて。

 一際大きな声で、私に言い放った。


「お姉ちゃんがいてよかった!」


 唯の顔はゆっくりと私から距離を置く。

 響く言葉を受け入れて。「うん」と頷いて「私も」と続ける。

 次の瞬間に唯はツリーの前の時と同じような、感極まった表情に変貌した。

 そしてすぐ、誤魔化す様にとびきりの笑顔に顔を崩す。


「やっぱり。私から言わせて欲しいな」


 私は小さく「うん」と答えた。

 それ以上は何も言わずに、唯に託した。


「…………すーっ」


 唯は深呼吸を始める。

 心臓の音が聞こえる気がした。

 唯は「ふぅ」と溜息に似た息を漏らして。

 そして最後に一つ、息をいっぱいに吸った。

 まるで『せーのっ!』と心の中で合図を出すように。


「お姉ちゃん。好きです!」


 言葉は止まらない。そのままの勢いで、


「私の──白羽唯の、恋人になってください!」


 私に届けられた。

 刹那、心に何かが広がった。

 身体が心臓を通してぷるぷると震えるのが分かる。

 うんうんと何回も心の中で頷きながら、よし。じゃあ次は私の番だ。と。

 私も同じように軽く呼吸をして与える言葉を整理する。

 何かカッコつけたことを言いたいって気持ちもあったのだけど。

 ここじゃ何を言っても蛇足になりそうだったので。

 じゃあ。ここは、無駄の無い返事を、あなたへ。


「私も。大好き。……恋人になろう。唯」


 ツリーの前で、あんな熱烈な告白をしたというのに。

 まるで。初めての告白と、その返事のように新鮮味を帯びていた。


「うんっ。……うん!」


 唯は喜びをあらわに、口をすぼめて深く頷く。

 そのまま両頬に添えた手に、ぐっと力を入れ直し。

 ここからはもう、一瞬だった。


「んっ──」


 唯は私にキスをした。

 目の前の、閉じられた瞼を見ながら、私も目を閉じる。

 彼女の唇の感触を真っ向に受けて、独り占めにして。

 唇と唇は、合わさったままそれ以上動かなかったけど。

 それでも。素敵なものがそこにはあるのを、心のどこかで感じている。

 そして。唯のことを感じていた。


 キスは長くは続かなかった。

 それでも。時間はびっくりするくらい経過している。

 過去を置いてけぼりにしているみたいで少し可笑しかった。


「おやすみ、唯」


 返事は来なかった。

 横からは既に安らかな寝息が聞こえていた。

 明日は返事が貰えるかなぁと期待する。

 そして。明日からの日々もまた妄想する。


 でも。何一つとして思い浮かばない。

 ただ一つの想いが先行して、脳を支配して。

 今は考え事どころか、寝るのもままならなかった。

 唯が好きで、唯が大好きで、愛していると言うその想い。

 一つの想いとは言ったが、中を覗けば無限にありそうだった。

 その想いをなんとなしに一つに纏め、唯の方は向かずに口から溢す。


「唯……ありがとう」


 恋人になってくれて、ありがとう。




【あとがき】

ここまで読んでくださりありがとうございます!


後書き失礼致します。

沢谷さわたに暖日あたたかです。


カクコンの締切が火曜日いっぱいです。

締切までには十万文字を書かなければなりません。

今、この作品の文字数は五万文字です。

更新ペースがめっちゃ上がると思います!

よろしくお願い致します🙏


また、いつも読んでくださりありがとうございます!

次回からもよろしくお願い致します🙇

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