白羽舞は自覚する

 時刻18時。

 いつの間にやらこんな時間で、カーテンの外は真っ暗。

 冬の道を照らす街灯が、どこか情緒的に感じた。

 そろそろ、唯たちが家に帰ってきてもおかしくはない。

 思った矢先に、ドアを開く音が家に鳴り響いた。

 もう少しだけ考える時間が欲しかったけれど。時間は待ってくれない。

 二人分の足音が徐々にこちらに近付き、やがて、唯の部屋へと入る音がした。

 隣の部屋だ。うっすらと話し声が聞こえる。耳を澄ませば、何を話しているのかも分かる。


「唯ちゃんの部屋、初めてだ。綺麗にしてるねー」


 と。恵の声。


「でしょ」


 と。応じる唯の声。しかし声量は小さい。

 胸が痛かった。ドクドクと脈打つ度に、ズキズキと。

 なのに。これを続ければ、もっと痛むと分かっているはずなのに。

 私の頭は壁に吸い寄せられるように動き、耳を澄ます。


「隣は舞の部屋?」

「そうだよ。今は寝てるのかな? ラインの返事も無かったから」

「ふーん。……あ、そういえば。舞は今日、モールに来る予定でもあった?」

「んーん。だから私もびっくりした。なんでお姉ちゃんが来てるんだろーって」

「うん。……あとさ、なんか舞。様子変じゃ無かった?」

「恵ちゃんもそう思う? 私もそう思ってて。……やっぱりちょっと様子見てくるね」


 恵が「ういー」と返す。

 部屋に来られるのはまずい、と身体が少し震えた。

 まだ。私は心の準備というか、何も。唯と話す際の台本が作れていない。

 こんな状態で立ち会ったって、テンパって。またおかしくなるのは目に見えている。

 しかしやはり。時は待ってくれない。足音はもう部屋の前に来ていた。


 ──コンコンコン。


 優しい三回のノック音。

 今から布団に潜ったって、音でバレる。

 だからってそれ以外に、何がある? 何もない。それは簡単に分かる。

 その場に立ちすくんで、膠着して、動けない。

 結局、それ以上は何もできなかった。


「お姉ちゃん? 起きてる? ちょっとお邪魔するね」


 ドアがゆっくりと開かれるのを、ただ見つめて。

 その隙間からおめかしをした唯が、ひょこっと姿を現す。

 私のことを目を丸くして見た唯のことを、あぁ可愛いな。って、思っていた。


「あ。えと。……おかえり。唯」


 声を絞り出す。

 頑張って唯の顔から視線は外さなかった。

 唯はどこか寂しげに「ただいま」と返すと、二の句を継いだ。


「……今日は、どうしたの? なんであそこにいたの?」


 いきなり投げられた問いに、言葉が詰まる。

 恥ずかしさからか顔が熱くなって、顔を逸らした。

 でも。唯は私の顔を、きょとんとした顔で覗いてくる。


「どーしたのってば」


 顔が熱い。

 熱いを通り越して痛い。

 早くこの時間が終わって欲しかった。

 数時間後の自分を空想して、その自分を羨む。


「お姉ちゃん」


 優しい声掛けなのに、身体がびくつく。

 何も言えない。

 数秒間、沈黙が続く。

 先生に叱られる小学生にでもなった気分だった。

 唯の溜息に似た呼吸音が部屋に響き「もしかしてさ」と。

 続く唯の声に耳をやって──。


「私たちのこと、尾けてきたの?」


 絶句した。

 目眩がした。

 吐き気さえもした。

 でも同時に。酷く疑問に思った。

 『何故その答えに辿り着けた?』と。

 だって私は。何も言っていない。私は。唯と違ってシスコンじゃない。

 ただ。普通に。お姉ちゃんとして接していて。普通だ。私は普通だ。

 じゃあなんで。唯はそう、尾けてきた、なんて思うんだ。

 そんな真面目な表情で。どうして? そう思うのは、どうして?

 けど。そんな常識外れな問いでも、正解なのには変わりない。

 ここで頷けば、私は楽になれるのか? いや、なれるわけがない。

 だって。二人を尾ける意味なんて、もう一つしかないように思えるから。

 その意味がバレてしまったら──って。あれ?

 じゃあ。その一つしかない意味ってなに?

 分からない──というより、分かりたくなかった。


 ここで放つべき言葉が見当たらない。

 でも。ここで口を開かないのは、ほぼ肯定の意味だと思うから。

 私は。口を開く。上手くこの場を切り抜けようとと思考を巡って。

 しかし誤算だった。

 口を開いたはずみで、喉元に突っ掛かっていた言葉が。

 ポロリと眼前に零れ落ちた。


「……恵と一緒にいたのはなんで? 今も部屋にいるんでしょ?」


 唯は私の急な問いにたじろぐ。

 困惑した表情で、私を見つめてくる。

 私も似たような表情なのは、鏡を見なくても分かる。

 本当に私。何言ってんだ。何やってんだ。

 行き場のない嫉妬と焦燥に、無理に行き場を与えようとして。


「ねぇなんで? ねぇ。唯、教えて」


 そのまま、逃がさないように肩を掴んじゃってさ。

 こんなの。ほとんど逆ギレじゃん。

 ほら。唯、私の手を振り解いた。


「待って。なんか、今日のお姉ちゃん変だよ。とっても変」

「変じゃ、ない。……だって! ……気になるから。なんで恵と一緒にいるのか」


 私の情緒は本当にどうなっているのか。

 だけど私の頭はそれくらい、いっぱいいっぱいで。

 唯と恵を尾けたのを、無意識的に肯定して。

 それにさえも気付けず、


「あぁそっか。これ、言ってなかったっけ」


 唯の放つ言葉に、再び絶句をしてしまうのだった。


「恵ちゃんってさ。Vtuberの『風間めぐみ』だよ。あ、これ言ってよかったのかな? まぁいっか」


 風間めぐみ。

 唯の『弓波侑杏』を作ったイラストレーター兼、Vtuber。

 そして今日は、弓波侑杏とのコラボ配信を控えている。

 一方で恵──及川恵は、美大に合格した私の友人。

 多くの点が一気に結ばれて──。

 あぁ。私、馬鹿みたいじゃん。


「ごめん。お姉ちゃん。そろそろ生配信を始めるから。またね」


 唯はそそくさと部屋を出ていく。

 私はただ。呆然とその後ろ姿を見送った。

 唯の部屋から話し声が聞こえる。

 聞きたくなくても、勝手に耳の中に声が侵入する。

 配信でどんなことをするとか、今日は楽しかったねとか。

 普通の会話だ。誰が聞いても、普通すぎる会話なのだ。

 だけど、楽しげな声が、私の心を蝕む。


「……うっ」


 私は泣き虫では無い。

 でも、気付けば泣いていた。

 嗚咽を抑えても、どんどん大きくなるばかりで苦しかった。

 私が今、泣いているのは、彼女らが楽しげに会話をしているから?

 いや。そんな単純な理由では無い。


 夏の魔法的な力があれば、冬の魔法的な力もあって。

 だから私は。その冬の魔法的な力で、勝手に一人で、期待して。舞い上がって。

 私にとって特別な彼女も、きっと私を特別だと思っていくれてると信じていて。

 けれど、私だけだった。

 でもそれは、残酷と非情という皮を被った、紛れの無い事実だから。

 そんな風に思うと。涙は止まってくれなかった。

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