第一話 運命の椅子

 何故奴の場所が分かったかというと、投稿に三枚の自宅周辺の画像を載せていたからだ。馬鹿な奴だよ。

 ものの数十分歩いて、俺は写真とまんま同じ落合の表札がある家に着いた。ちょっと古くさい。

 その家のインターホンを押し、数分は待ったが、反応は無かった。もう一回。しかし反応は……。

 いったん近くのコンビニで卵テラ盛りサンドイッチを頼もうとしたら、背後を夏の気配が通り過ぎた。

 怖かったが、後ろを向いた。向いた先には……タンクトップの女っっっ!!!

 確かに夏であり、タンクトップはまさに相応しい格好出だが、その乳よ!!

「ん、あんたが@やままるさん?」

「あっ、え、貴方がヤスタカさん?」

 お互いに、ええ、はいと返事しあった。


 田舎の夏は暑く、外にでもいたら歩くステーキに比喩たとえられてもおかしくないほど、俺たちはこんがり焼けていた。

 そんな中でじっと動けないまま互いを見ていたんだから、馬鹿な奴らだよ。

「あ、ヤスタカさんん、あ、ついので、中に入っていいすか」

「じゃないと死ぬわぁ」

 許可を得たので、乱暴に玄関扉を開け、落合さんの家に入った。

 中は和風で、エアコンが付いてないのに涼しいのが不思議であったが、とにかく助かったと俺は思った。

「エロい涼しさやわ〜〜っ」

 エロい……?

 面白い表現をしながら、恐らく買ったものが入ってる袋を持ちつつ、落合さんは奥へと入っていった。多分、トイレへ向かったのである。

 女の家を見るのは久しぶりなんで、じっくりことこと見回した。真ん中の散らかり具合であった。

 ふと俺の大好きな古語が載っている、古語図鑑六〇〇〇語という分厚い本を見つけてしまった。見るっきゃない。

 中を見ると、それは俺の精神こころを満足たらしめるものであった。イラストがついていたのは残念だが、載る単語の多さで残念も薄れに薄れた。

 他人の家でノスタルジーも感じ始めた頃、ドアが開いたので、トイレから出る落合さんを想像しながら本をしまった。

「何してるん??」

 しまった。案外落合さんは戻ってくるのが早かった。戻そうにも本が入らねへ。

「あ、いやぁ……待っててください、今戻しますからっ」

「勝手に人の本を見て……しかもすんごいマニアックでだるい、んな本を……」

「だるいとはなんですかっ!!」

 思わず大声を出してしまった。本はすっぽり入った。

「良いですかい? 古語って言うのは実に奥深いんですよ。活用形とか助動詞さえ覚えれば誰でも……」

「カテキョーしないんだったら、帰ってください」

 カテキョーと言う聞いて久しい言葉のせいで、一瞬、行動が出来なかった。

「あ、忘れてた」

「忘れてたじゃねぇ!」

 急いで、持ってきた鞄から教材とノートを取り出し、チラッと窓の外を見て準備を終えた。

「なんで一回外を見た?」

「さ、始めますよ」

 互いにペンを手に取り、勉強を始めた。

 古語一覧を書く、スマホでガチャを引く、魚の絵を描く(結構自信あり)。俺は落合さんが何か尋ねてくるまで待っていたが、いつまで経っても彼女は聞いてこなかった。

「ねぇ、早く教えてーや」

「え」

 彼女はずっと俺が教えるのを待っていたのか。分からない所だけ教えれば良いものと思っていた。

「んー、じゃあ、何が勉強したいんですか?」

「三角関数!」

「何の為に?」

「へ?」

 落合さんは、自分で質問した内容を理解していないような、素っ頓狂な表情をした。

「へ? じゃなくて、何の為に勉強したいんですかって」

「そんな事聞く?」

 落合さんが頭をかいた。

「はい。貴方この前三十一歳になったって呟いてましたよね。そんな歳で、何故三角関数を学びたいのかな、と。昔の学校でも教えてると思います……」

「おんどれ十七歳!! オレより十四も年下のくせによくそんなこと言えるな! ちゃんと家庭教師すればあんな端金はしたがね払ってやるからよ、とっとと教えろや!!」

 三十一年間生きていた癖に何故三角関数も理解していないのか。何故、三角関数を学ぶ目的すら言えないのか。

 逆ギレされたのも加わって、家庭教師への熱意は冷めに冷め切った。

「落合さん、もういいです。何の目的も考えず三角関数を学ぼうとする貴方には教えません。教えたって覚えやしないんでしょう」

「……!!」

 髪が逆立ちそうな勢いで落合さんが唸った。

 突如目の前を何かが横切ったように見えた。そして視界は天井に向き、背は床についた。


 めまいしたらしい。


 

 目覚めた周りは、頭上の豆電球を除いた暗闇だった。また、傍らに注がれた光もあった。

 光の元を辿ると、見知らぬ家族が見えた。

「おっ、起きたか。やままる君もこっちへおいで、食べな」

 突如差し出された親切が怖かったが、好意は受け取るべきと身に染みて分かっているので、ありがたく頂くことにした。

 部屋に二歩入るとやっと匂いがし、俺がつくべき位置につくと、見知らぬ温もりを肌に感じた。同時に額の痛みも感じた。

「「いただきます」」

 俺だけ合わせて言えなかったが、特に気にすることもなく、彼らはミートボールを競い合って食べていた。肉食派だ。

 天邪鬼あまのじゃくな俺は、一家が食いたがらないほうれん草などを、おかず乗せの皿に乗せてから米と一緒に食べた。正直、よろしくない味。

「肉も食べんね。ほら」

 落合さんの母らしき人に、肉を食べることを促された。反対ではないだろうか。

「あっ、そうだ。ごめんねー、うちのきね子が」

 お母さんが俺に謝った。

「僕からも……申し訳ない」

 お父さんらしき人まで謝ってきて、俺はもう言葉に詰まってしまった。なんと言えば良いのか。

 困って辺りを見回した拍子に、落合さんがいないことに気がついた。

「あぁ、娘なら、不貞腐れて寝てましたよ、貴方の隣で。どうせきね子が悪いんでしょう」

 確かにその通りだが、落合さんが悪いと決めつける姿勢に、いささか腹が立った。

「ささ、もっとお話したいが、今は食べようか。お母ちゃんが作ったのが冷めちゃうから」

「分かりました」

 今度は、少し長い豚肉と一緒にご飯を食べた。あまじょっぱくて美味しかった。


 食べ終わった後、俺は皿洗いを頼まれて一緒に洗った。そして、パジャマを用意してもらい、歯ブラシさえ借りて、寝る所まで来た。

 途中お母さんへ連絡しそびれているのを思い出し電話に手をかけたが、お父さんが「君への母にはもう連絡はしているから大丈夫」と言ってきた。

 ものすごく恐怖を感じたが、落合さんの隣に寝るというので、まぁ、頑張って気にしないことにした。

 ついに寝る時間が訪れた。家族に急かされて、俺は、和風の落合さんそこに眠る部屋を訪れる。自分専用のベッドにつくと、ベッドらしい良い匂いがした。

 まぁ性欲がいたずらした訳だ。俺はすぐさま落合さんの隣に寝返り、匂いを嗅いでみた。期待通りの香りがした。よっぽど、ベッドのよりイイ。

「おやすみなさい。今日は娘に家庭教師をしてくださり、本当にありがとうございました」

「あぁっ、いえいえ……おやすみなさいませ」

 ものすごく、びっくりした。あまりにもびっくりしたので、いえいえしか言えなかった。

 バクバクする心臓を鎮めながら、目を瞑ると、また良い香りがした。

「すまんのっ」

 また心臓が跳ね上がった。多分今死んでもおかしくはない。

「ちょ、ちょっと待ってください」

「?」

 心臓を鎮め、深呼吸して、暗闇の中推測して落合さんの方へ寝転がった。

「やままる、お前病気持ちか。」

「まぁ、そうっすかね」

 咄嗟に嘘をついた。

「じゃ、この話はまた明日……」

「今してくださいっ!!(手を握りながら)」

「あ!? うるさいっ、声がデケェよ」

「どした!? なんかあった二人とも!!」

(心臓がブチギレちまう〜〜!!!)

 それでも死にかけの俺は落合さんと息合わせ、いびきをかいて演技した。心なしか母さんの声が嬉しそうだった。

「寝言ね」

 扉を閉め、遠ざかっていった……と思う。

「馬鹿……」

 焦りから解放された落合さんの顔を改めて見ると、可愛かった。

 露出した肌にしか注目していなかった昼間とは違って、可愛さがはっきり分かった。まつ毛は長く、ボーイッシュな声をしていた。

「昼間は、すみませんでした。ただ勉強を教えてもらいたかっただけなのに、勝手に目的まで聞いて」

「いやまあ、勉強に目的があるなんて知らなかったから、良いよ。まずこれを勉強させてもらったな」

 二人で笑いあった。何故笑ったのかはわからなかったが。

 暗闇にまぎれて落合さんの顔を見ていたが、段々、心が雰囲気に圧されそうになってきた。これは、手を出すべきなのか……?

「まぁ、手出すタイミングやと思うけどね」

 !?

「でも、今食べたばっかりだから、苦しいっしょ? また、今度やろーや」

 そう言って落合さんは向こうを向いて寝た。


 嬉しいような、惜しいような。

 

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