職員室転移 ~先生たちのサバイバルと、会議と、恋愛と、謎と、いろいろ~

夏井涼

第一部 アリウス

第一章 転移

第一章 第01話 帰りの会

 なあ。


 異世界って……信じるか?


 聞いといてなんだけど、俺は信じていない。


 まあちまたにはそれ関係の物語があふれまくっているけど、あれらはお話だから別にいいんだ。


 大体さ、俺たち人類がそのまま生きていける都合のいいほかの惑星なんて、一体どこにあるんだと言いたい。


 あった方がそりゃ断然だんぜん面白いけどね、現実はまた別の話さ。


 ――別の話のはずなんだけどな……。


 ことの発端ほったんは、一時間くらい前までさかのぼるんだが――――


    ◇


「先生のお話。先生お願いします」


 日直当番の子がそう言って俺を見た。


 それに合わせるように、クラス中の視線がこちらへ一斉いっせいに集まるのが分かる。


(えーっと……何か言っとくこと、あったかな……)


 俺はまず、机の上に広げていた週案簿しゅうあんぼに目を落とす。


 明日の大まかな予定を再確認してから「はい」と答えて立ち上がり、教卓きょうたくの横に立った。


 教室をぐるりと見渡す。


 どの子もきらきらした目で、俺をじっと見ている。

 そりゃまあこの帰りの会が終われば、楽しい楽しい放課後だもんな。


「えーと、今日は一斉いっせい下校の日です。先生たちもこのあと会議がありますから、気を付けて帰ってください」


「はーい!」


 ここは五年一組。


 そして俺は、担任の八乙女やおとめ涼介りょうすけ

 今年三十六になるバツイチ男である。


 何で離婚したのかと言うと……正直今でもよく分からない。


 去年のある日、突然「好きな人が出来ました。何も言わずに別れてください」って言われたんだ。


 もちろんいろいろ言って引き留めはしたけど、向こうの意志はそれなりに固いみたいでさ。


 俺の見た目じゃないかって?


 んー……そうじゃないと信じたい。


 一応結婚生活は四年くらいあったからなあ……外見でアウトならそもそも結婚するまでいかないと思う。


 自分で言うと身もふたもないけど、可もなく不可もなくと言うか……ごく普通の平凡な容姿ようしだしね。


 ……おっと。


 帰りの会の最中さいちゅうだっけ。

 しょうもない回想をしてる場合じゃないな。


「あとは……上野原うえのはら先生、何かありますか?」


 俺は教室の後ろの方で、パイプ椅子いすにちんまりと腰かけている女性に声を掛けた。


 彼女の名前は上野原うえのはられい


 三週間ほど前から本校に教育実習に来ている、国語学科の大学生だ。


 身長は……どのくらいだろうか、結構ちっちゃいと思う。


 俺も百七十センチ台なかば程度でそんなにでかい方じゃないが、その俺のあごのあたりに彼女の頭のてっぺんが来る。


 髪は真っ黒で……少し長めのボブカットってやつだろうか。

 あと、結構な童顔どうがんなんじゃないだろうか。


 それだから子どもたちと集まってわちゃわちゃしている時なんか、ぱっと見で区別がつかなかったりする。


 実際うちのクラスの女子の数人は、上野原さんよりも若干じゃっかんだが背が高い。


「……えっ、あ、は、はい。あの、えーと」


 突然名指なざしされて、驚いたように立ち上がる彼女。

 彼女にしてはちょっと珍しい。


 ――いや、別に意地悪をしてるわけではないぜ?


 実習中は、朝の会や帰りの会でいつも俺のあとに話をしているのだ。


 普段から気を張りすぎるくらいな彼女にしては珍しく、ぼんやりとしていたらしい。


「きょ、今日も一日頑張りましたね。先生も頑張りました! また明日、元気な顔を見せてください」

「はーい!」


 クスクスと笑いながらも、子どもたちは素直に返事をする。


 彼女は少しだけ顔を赤らめながら、すがるような眼でこちらを見ている。

 何か眉毛まゆげが八の字になってるけど……OK分かった。


 大丈夫だから。


「OK、ありがとうございます。あとは……特にないかな。それじゃあ以上です。当番さん」


「きりーつ!」


 日直当番の号令で、ガタガタと椅子いすを鳴らしながら子どもたちが立ち上がった。


 気の早い子はこの時点で既にランドセルをしょっている。

 はやる気持ちは分からんでもない。


 今日は一年生を除いて、五時限じげんで授業は終了。

 集団下校する日なのだ。


 ちなみに一年生は四時限なので、給食を食べたあと、とっくに下校している。


「気を付け! 帰りのあいさつ、さようなら!」

「さよーなら!!」


 静かで多少なりとも緊張感のあった教室が、途端とたんに雑然としたゆるんだ空気に包まれていく。


 早い子はとっくに教室を飛び出していってもういない。


 南に面した窓からは、初夏の陽射ひざしが容赦ようしゃなく差し込んでいる。


「せんせーさよーならー」

「おう、さようなら」

れい先生、さよーなら!」

「はい、さようなら」


 ――すると、


「さよーなら!!」


 となりのクラスからも大きな声が響いてきた。

 二組も終わったようだな。


 ちなみに五年二組の担任は不破ふわさき先生という。

 ふたクラスしかない五年部の学年主任だ。


 そもそもこの学校は、二年部以外は二クラスだ。

 そして二年部は単学級なわけで、つまり本校は小規模校なのである。


 不破先生は――軽くパーマのかかった髪を短めのボブにしている、大人の女性だ。


 うっすら茶味ちゃみがかった髪は左右に流してるので、おでこが出てる。


 まあ結婚してるし四十は越えてると思うが、正確な年齢は知らない。

 聞いたこともない。


 ――みるみるうちに、教室から人気ひとけがなくなっていく。


 今日は集団下校だからね。

 通学区ごとの集合場所に急いでいるのだ。


 で、俺たち教員にも担当の通学区つうがっくがあるから、所定の場所へと向かわなくてはならない。


「上野原先生、行こうか」

「はい」


 教室から子供の姿がなくなったことを確認してから、俺は実習生に声を掛けた。

 俺の担当の集合場所はグラウンドの西側。


 そこに向かって、二人並んで歩き出す。


「あの、八乙女先生」

「ん?」


 上野原さんがおずおずと声を掛けてきた。

 胸のところで書類の入ったクリアファイルをぎゅっとしている。


「研究授業の細案さいあんが出来たので、あとで見ていただきたいのですけど……」


「おお、お疲れさん。じゃあ職員会議が終わったら、ざっと見させてもらうよ」


「お願いします」


「でもまあ、授業の流れとか手直しが必要なところはほとんど修正し終わっているし、誤字脱字チェックぐらいかな」


「いえ、しっかり確認をお願いしたいです。間違いがあると困るので……」


 いつも思うが、本当に真面目な子だ。


 細かい説明ははぶくけれど俺たち教師は、授業のひとコマ一コマにちゃんと計画を立ててのぞんでいる。


 その計画書のようなものを学習指導案がくしゅうしどうあんと言うのだが――


「OK分かった。頑張って書いたんだもんな。大変だったろ? 細案なんて」

「はい、まあ……それなりに」


 略案りゃくあんならA4一枚くらいなんだけど、細案さいあんともなるとあれこれ書かなきゃならない関係で十ページは軽く超える。


 かけた時間や労力はして知るべしなのだ。


 まあぶっちゃけると、少なくとも俺は毎日毎時間、全ての授業について書いているわけじゃあない。


 板書ばんしょ計画――黒板に何をどう書いていくかってやつ――だけってことも多い。


 でも、別にさぼっているわけじゃあないぜ?

 ちゃあんと手立ては講じている。


 そのために、積み上げてきた知識や経験、先人せんじん足跡そくせきがあるんだ。


「せんせーさよーならー」

「おう、さよーならー」


 後ろから何人かの児童が、俺たちを追い越していく。

 六年生かな。


「えーっと、研究授業は……今週末だったっけ」

「はい」

 彼女は神妙しんみょうな表情でうなずいた。


 教育実習生は、実習の総まとめとして最後にでかい授業をするのだ。


 実習授業そのものは実習中盤ちゅうばんからすでに始まっている。


 ただ、普段それを見るのは俺一人か、たまーに校長さんあたりがこそっと入ってきてちょろっと見てするっと出て行く、みたいな感じだ。


 ところが最後の研究授業は、校長教頭はもちろん、クラスの先生や実習生の大学の指導教官までもが参観に来る。


 しかも最初から最後までがっつりと、手元のクリップボードに何やら書き込みながらね。


 俺だって大分だいぶ慣れてきたとは言え、そこまで鋼鉄の心臓持ちじゃないから緊張する。


 いわんや実習生たちにおいてをや、ってやつだ。


 階段をりる。


「ま、緊張するなって言ってもどだい無理な話だろうけどさ、いつもやっているようにやれば大丈夫だよ」


「はい」


「失敗したらそれはそれでOKだしな」


「えぇ……出来れば失敗したくないですよぅ……」


「そりゃそうだ」


 まるで他人事ひとごとのように聞こえたのか、彼女が軽くほおをぷうとふくらませる。


 まあ俺だって、上野原さんが毎日遅くまで教材研究を頑張っていることは十分承知しているさ。


 帰りの会での様子を見るに、いつもは元気な彼女も実習終盤しゅうばんにきてさすがに疲れがたまっているのかも知れない。


 中央昇降口でそときにき替える。


 お、山吹やまぶき先生が爪先つまさきをトントンしている。


「あ、八乙女先生、お疲れ様です」

「お疲れ様~」

「山吹先生、お疲れ様です」

「上野原先生もお疲れ様」


 山吹やまぶきずみ先生。

 今年は四年二組の担任だ。


 この人とは昨年度、三年部だった時に一緒に仕事をしていた。

 俺が三年一組、異動いどうしてきた彼女が二組だった。


 つまり山吹先生は持ち上がりってことになる。


 少しウェーブのかかった黒髪くろかみを左側に寄せた、えーっと……サイドポニーテール?――にして肩口にらしている、割と美人さんな女性だと思う。


 身長は……女性にしては高めなのかな、多分百六十五くらい。


 確か七つ年下だと聞いてるから、まだギリギリ二十代だったはず


 ……いや、別に三十代が悪いってわけじゃないぜ?

 なってみると、自分的には二十代の頃となーんにも変わらないからね。


「暑くなったねー、今日も」

「そうですね」


 顔を合わせれば、こうして一言二言は言葉をわすんだけど……どうも山吹先生には去年から一歩引かれてるように感じるんだよな……。


 彼女はちゃんと挨拶あいさつしてくれるし、話もしてくれる。


 去年は授業の事で遅くまで話し込んだこともあったし、もっと言えば飲み会が終わった後、車で送ってもらったこともあった――俺がね。


 でも、プライベートなことについてはほとんど知らないんだ。

 知ってるのは乗ってる車のメーカーぐらいじゃないか?


 何か失言でもしたかとあれこれ考えても、そういう記憶に思い至らないし、まあ別に知りたいって訳でもないので、きっと公私こうしのけじめをしっかりつける人なんだなって思うことにしている。


「うちの班も八乙女先生のところも、もう集まっているみたいですね」

「そうみたいだね。急ごう」


 グラウンドに出ると、あちこちで子どもたちが列を作っていた。

 国旗こっき掲揚けいよう台の前とか鉄棒の前とか。

 早いところはもう、体育座りで教師が来るのを待っているようだ。


 俺の担当箇所の子どもたちも、タイヤとうの前に全員集まり、既に整列していた。


 俺の姿を見て、列の先頭に立っていた通学区つうがっくリーダー――集団登下校グループの班長――の唇が動いた。


 多分「あ、先生」って言ったんだろう。


 俺は彼女に話しかける。


「みんなそろってる?」

「はい! 欠席とかないです!」

「OK、ありがとな」

「はい!」


 その後、俺は子どもたちにひとつふたつ確認する。


 安全な道の歩き方とか、通学路上の危険な場所のチェックとか、まあいつも言ってることだけど、こういうのは「もう分かってるだろ?」で済ませちゃいけないんだ。


 そしてリーダーの号令で、元気よく帰りの挨拶あいさつわした後、俺と上野原さんは子どもたちがぞろぞろと校門を出て行く姿を見送った。


「さて、次は職員会議だね」

「はい」

「それじゃ、職員室に向かおう」

「はい」


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2023-01-20 段落配置を見直しました。

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