第2話 一度目の私たち
ルイティーアは、シスターに内緒でララと名付けた黒猫を拾って飼っていた。
広い神殿の庭園であれば、こっそり飼ってもバレないだろうと思ってだ。
しかしある日、黒猫の姿が消えてしまう。
「ララー! どこにいるのー?」
一度目の人生の時、ルイティーアは黒猫を探して、庭園中を歩き回っていた。
そして、黒猫とともにボロボロの姿で倒れている少年――クロウを見つけたのだ。
服はあちこち裂けていて、身体は傷だらけ。
漆黒の髪も白い肌も体中が赤い血で染まって、生ているのが不思議なほどだった。
ルイティーアは目の前で失われそうな命を繋ぎ止めようと覚えたばかりの光魔法で必死で治癒したのを覚えている。
怪我は治せても、体力や気力は戻せない。
ルイティーアはすぐにシスターを呼んで、彼を助けてと泣きついた。
「……君は、天使か? 俺、天国にきたの?」
神殿の一室で目覚めた時、彼はアメジストの瞳でルイティーアをまじまじと見つめてそう言った。
思わず笑ってしまったのは許してほしい。
「ふふ、目が覚めてよかった! 安心して。あなたはまだ天国にはいっていないわ」
それが、ルイティーアとクロウの初めての会話だった。
「私はルイティーア。あなたの名前は?」
「……クロウ」
「素敵な名前ね!」
ルイティーアが笑みを向けると、クロウは真っ赤な顔をして、ベッドにもぐりこんでしまったけれど。
それから神殿で保護されることになったクロウをルイティーアは構いまくった。
まだ恋というものを知らなかったけれど、きっと一目惚れだったのだと思う。
アメジストの瞳に自分を映してほしかったから。
けれど、クロウにとってはいい迷惑だっただろう。
「どうして、俺に構うの?」
ある時、痺れを切らしてクロウが言った。
ルイティーアは目をぱちくりさせて、素直に答える。
「クロウのことが気になるからよ」
「……その理由を聞いているんだけど」
「う~ん……クロウを見つけたのが私だから?」
「俺なんかに関わらない方がいいよ。そのうち、ここからも追い出されると思うし」
「どうして?」
いつもクロウは暗く、思い詰めたような顔をしていた。
笑っている顔は見たことがない。
「だって……俺は、存在してはいけない存在だから」
「そんなはずないじゃない!」
「俺が、魔族の子でもそう言える……?」
思いもよらぬ事実に、ルイティーアは息をのむ。
魔族は、人間の敵だ。聖女の天敵ともいえる。
「でも、クロウからは聖なる力も感じるわ」
「そうか。君には分かるんだね」
「もしかして……」
「あぁ。僕の母は聖女だよ」
クロウは、魔族と聖女の血を引いていた。
聖女の力を奪うために、魔族が聖女を穢したのだ。
その過程で生まれた子が、クロウ。
クロウは魔界で育ったが、聖なる力を持つせいで魔族に受け入れられなかった。
魔族として独り立ちできる十四歳になり、クロウは逃げるように人間界へ来たのだ。
魔界と人間界の狭間にある聖なる障壁は、魔族にとっては毒でしかない。
魔族の血を引くクロウも例外ではない。
無理やり障壁を突破してきたから、クロウの体はボロボロだったのだ。
「でも、クロウは悪くないじゃない!」
「そんなことを言うのは君くらいだろうね。他のみんなは気味悪がって俺に近づきもしないのに」
「あなたはとてもきれいだし、あなたの魔力も悪いものではないとすぐに分かったわ」
クロウから感じる魔力は、魔物から感じるような悪意や邪気を感じない。
むしろとてもあたたかくて、ずっと傍で感じていたいと思うほど。
「きっと、お母様の力があなたを守ってくれているのよ」
ルイティーアがにっこりと笑うと、クロウは目を見開いて固まった。
「クロウ? どうしたの?」
アメジストの瞳には涙が浮かび、突然クロウは泣き出してしまったのだ。
無神経なことを言って彼を傷つけてしまったのかとルイティーアは慌てた。
「そんなこと、今まで思いもしなかった……母は俺が生まれたせいで死んだから、ずっと恨まれているんだとばかり」
「恨んでなんかない。あなたのことを大切に思っているわ。将来は大聖女になる私が言うんだから間違いないわ!」
なんて大口を叩いてみれば、くしゃくしゃの泣き顔から一転、クロウは初めて笑みを浮かべた。とてもぎこちない笑みだったけれど、ルイティーアの胸を熱くするには十分だった。
「こんな俺でも、生きていていいのかな……?」
「当たり前じゃない! それに、私が助けたあなたに何かあったら、私の聖女としての素質が疑われちゃうかもしれないわ。だから、あなたには幸せでいてもらわないと!」
「幸せがどんなものなのか、分からない……」
クロウはずっと孤独だったのだ。
誰にも受け入れられず、居場所もなく。
自分自身でさえ、自分の存在を許していなかった。
だから、ルイティーアは決めたのだ。
自分が彼の居場所になろう、と。
「何も心配しなくていいわ。私があなたをめいいっぱい幸せにしてあげるから」
そうして、出会った時から五年――ルイティーアは聖女に、クロウは立派な聖騎士になっていた。
神殿長に自分がすべての責任を負い、神殿のためにこれからなんでもするから、クロウを保護してほしいと頼み込んだ。
幸い、ルイティーアは強い聖力を持っていた。次代の大聖女と期待されるほど。
だから、神殿はルイティーアの条件をのみ、クロウを保護してくれた。その上、クロウに神殿での役割も与えてくれたのだ。
毎日のように傍にいて、他愛のない話をして、穏やかに過ぎていく時間が好きだった。
「ねぇ、クロウ。本当に聖騎士になってよかったの?」
「あぁ。だって、こうしてルイティーアと一緒にいられる」
聖女は純潔でなければならないとされている。
だから、本来であれば異性との交流は禁じられている。
けれど、聖騎士は聖女を守るための騎士。
聖女の傍にいなければ仕事にならない。
その分、厳しい神殿の規律に縛られ、自由はない。
もちろん恋愛なんてご法度だ。
それでも、一緒にいたいと願ってしまう。
「クロウは今、幸せ?」
ルイティーアが彼の将来を奪ってはいないか。
本当に幸せにできているのか。
時々ふと、不安になるのだ。
ルイティーアが問うと、クロウは青い空を見上げた。
「君は、空がこんなにも美しいことを教えてくれた。花が目を楽しませてくれることも、歌が心を癒してくれることも。そして――」
言葉を区切り、ルイティーアをアメジストの瞳でまっすぐに見つめる。
「誰かが傍にいて笑いかけてくれるだけで、どれだけ幸せなのかも」
そう言って、クロウは優しく微笑んだ。
大好きな笑顔。大好きな声。大好きな人。
心から幸せにしたいと思う人。
「私も。クロウと一緒にいられて、とても幸せよ」
このまま、聖女と聖騎士という立場でずっと一緒にいられたらいいのに。
ルイティーアの願いとは裏腹に、魔族と人間の関係は悪化して、全面戦争が始まった。
神殿は、最も聖力が強いルイティーアに人間界を守るための大切な役割を与えてくれた。
本当はもっとクロウと一緒に生きていたかったけれど、神殿には借りがある。
それに、魔族との全面戦争は絶対に避けたかった。
(だって……魔族の中にはクロウの家族もいるかもしれないもの)
クロウは魔族と人間の子。
たとえ魔界での日々が辛いものだったとしても、クロウの家族がいるかもしれない。
命を奪い合う戦争は、悲しみしか生まない。
自分の存在で戦争を止められるなら、みんなが幸せになれるなら、迷いはなかった。
愛する人――クロウを守るためにも、ルイティーアは人柱として命を懸けることを選んだ。
この時は、身勝手な自己犠牲が、クロウを破滅させることになるなんて思ってもみなかったから。
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