§024 魔物

「ファ……ファングウルフ……!」


 目の前に立ちはだかる狼の魔物に私は思わず息を飲みます。


 ファングウルフ。

 全長約二メートルにもおよぶ狼型の魔物です。

 夜目が効くギラギラとした金色の瞳と、ゴワゴワとした黒い体毛。

 そして、最も特徴的なのは口の中には収まりきっていない鋭い牙です。

 一説によると、この牙は決して折れることはなく、死ぬまで伸び続けるんだとか。


 ファングウルフは確か三級指定魔物。

 1体1体の能力はさほど高いわけではありません。


 しかし、相手が群れとなると話は別です。

 統率の取れた群れの戦闘力は、単体の場合と比べて、何倍にも何十倍にも跳ね上がるのです。

 もしファングウルフの群れに出くわしてしまった場合、Bランク以上の冒険者パーティでない限り全滅は必至と言われています。


 そんなファングウルフが、今、私の目の前には1,2,3,4……5頭。


 私の頬を冷たい汗が伝います。


 私はどうにか打開策を思案しますが、そもそも水浴びの予定だったので戦闘用の道具など持ち歩いていません。

 攻撃をしようにも、私の武器は折れた宝剣が一つあるだけです。

 ――収納ルーム――に突っ込んでおいた道具類に爆薬など何か武器になりそうなものがあったかを思い出しますが、そんなものはありませんでした。


 そうだ、魔法で応戦するのは?


 そんな考えが頭を過ぎりましたが、同時に、先ほどの――収納ルーム――の不甲斐なさがフラッシュバックしてきます。


 ――収納ルーム――の効果範囲は『魔女』の頃と比べると著しく劣っていました。

 となると、私が今使える他の魔法の威力もたかが知れています。


 レベル1の私の魔法ではファングウルフを倒すことはできない……。


 これはもはや自明でした。


 割と絶対絶命です。


 こんなことなら武器屋の親父さんから剣も借りてくるんだった……。


 そんな後悔が頭を過ぎりますが、後悔先に立たず。

 その間にもファングウルフは「ガルル」と低い呻き声を上げながら、にじり寄るように少しずつ私との距離を詰めてきます。


 長く伸びた牙からは涎が垂れ、鋭い鍵爪は飛び掛かるのを今か今かと待ちつつ大地を踏みしめています。


 鍵爪を見て、合点がいきました。

 小動物さんの足の傷はこのファングウルフにつけられたものだと。

 おそらく小動物さんはこのファングウルフ達から攻撃を受け、命からがら逃げてきたのでしょう。

 それをこいつらは追ってきた。


 そうだ……小動物さん!


 私は外套のぽっけに小動物さんを入れっぱなしなのを思い出し、すぐさま木にかけてある外套に駆け寄ります。


 しかし、私が急に動いたせいでファングウルフ達は臨戦態勢に入ります。

 私は手を伸ばして何とか外套を手繰り寄せることはできましたが、あまりの恐怖に足がガクガクと震え、足がもつれて尻もちをついてしまいました。


「痛っ……たい」


 私は外套を胸に抱え、じたばたと足を動かしてどうにか後ろに後退ります。


 その間にもじりじりと距離を詰めてくるファングウルフ。

 その距離、およそ5メートル。

 ファングウルフの脚力なら一瞬にして肉薄できる距離です。


「こ、こわい……助けて……」


 ついには目の前に迫りくる恐怖から、身体の自由は効かなくなり、無意識のうちに涙が溢れ落ちていました。


 そんな私を見たファングウルフはいよいよとばかりに低く身構えます。

 そして、丸太ほどもある腱に力を入れ、私に一斉に飛び掛かろうとした瞬間――


「ラフィーネ!」


 遠くからハルトの声が聞こえました。


「――ガルッ?!」


 その声を聞いて私に飛び掛かろうとしていた5頭のうち3頭は、何事かとばかりにハルトの声がした方角に向き直ります。

 しかし、依然として2頭は私のことを睨みつけたまま。


 私はそんな状況に耐え切れず、ハルトに位置を知らせようと涙ながらに大声を張り上げます。


「ハルト! 助けてください! ファングウルフが!」


「向かってる! もう少し耐えろ!」


 まだハルトの姿は視認できませんが、確実に声は近付いてきています。


 あと少しでハルトが助けに来てくれる……。


 私は神に縋る思いでハルトの到着を待ちますが、世の中そんな都合のいい話はありませんでした。

 私と相対していた2頭のファングウルフは時間に余裕がないことを悟ったのか、すぐさま臨戦態勢に切り替えると私に飛び掛かってきたのでした。


「ガルルルルゥゥ!」


「ひゃっ!」


 まずは1頭目。

 私は反射的に身を捩って初撃を躱しましたが、まるで私が避けることも計算されていたかのように、その直後、2頭目が私の身体目掛けて飛び掛かってきます。


「――ッ!!」


 私はもうダメだと思って目を瞑りそうになりますが、同時に私の視界が必死の形相でこちらに走ってくるハルトの姿を捉えました。


「ハルトッ!」


 私は目の前に現れた英雄ヒーローの名を叫びます。


 そんなハルトに対して、到着を待ってましたとばかりに一斉に飛び掛かる3頭のファングウルフ。

 しかし、ファングウルフ程度ではハルトの相手にはなりませんでした。


 腰を深く落とした横薙ぎの一閃。


「グガッ……」


 次の瞬間には3頭のファングウルフから血飛沫が舞い、その胴体はハルトに到達することはなくボテリと鈍い音を立てて地に落ちました。


「ハルト!」

「ラフィーネ!」


 私達はお互いがお互いの名前を呼び合い。

 視線と視線が交差します。


 けれど……二人の距離には絶対的な差がありました。


 私は何とか1頭目の初撃は躱したものの、2頭目が既に私に飛び掛かってきている状況。

 躱した1頭目も着地後、すぐさま方向転換して私に肉薄してきています。


 この距離ではさすがのハルトでももう間に合いません。


 この感覚は最近味わったばかりなのでよく覚えています。

 そう、ハルトの剣を受けた時のことです。


 走馬灯とでも言うのでしょうか。

 目に映る光景がまるでスローモーションのようにゆっくり動いて見えるのに身体は動かない。

 それでいて思考はクリアで、様々な情報が頭の中に流れ込んでくるのです。


 それはまるで運命のようだと思いました。

 いろいろと思慮を巡らせられるのに、結局何も成し得ることができず、結末を変えられないこの感じが。


 私はこの数刻後にファングウルフに喉元を嚙み切られて絶命するでしょう。

 多少は知能のある魔物なのかもしれませんが所詮は魔物。

 仮に私を仕留められても結局ハルトの剣に沈むというのに……そんな損得勘定もできないのです。


 これでは私は犬死にのようなもの。


 しかし、そこまで考えて私は首を横に振ります。


 いいえ、もう少しポジティブに考えましょう。

 私は死ぬかもしれませんが、外套のぽっけにいる小動物さんは助かります。

 ハルトが彼に気付くかはわかりませんが、私は小動物さんを守ることができた。

 そう考えることにします。


 これで少しは私の魂も報われるでしょう。


 でも…………。


 私は天を仰ぎます。


 思ったよりあっけなかったですね……。

 私の冒険者生活は……1日で終わり……。

 結局、運命には抗えないということなのでしょう……。


 私は全てを諦めてゆっくりと瞑目しようとします。


 ――しかし、次の瞬間、ハルトの怒声にも似た叫びが私の脳を震わせました。


「バカ、ラフィーネ! 諦めるな!」


 …………バカ。


 そんな運命の塔で幾度となく浴びせられた罵声に、私は思わず目を見開きます。

 そして、その言葉の発信源に視線を向けます。


 するとどうでしょう。

 ハルトはこの状況でもなお必死の形相で私の下に向かってきてくれているのです。

 間に合わないことはハルトだってわかっているはずなのに。


「…………」


 いや、違いますね。

 ハルトは何も諦めていない。

 私を助けられる、いや、私がこの状況をどうにか打破できると確信しているのです。


 私は、そんなハルトの表情を見て、はたと気付かされました。


 私は何をこんなところで諦めているのでしょう。

 せっかくあれだけ勇気を出して運命に抗うと決めたのに……。


 今が絶体絶命の状況なのは変わりありません。

 それでも、私のことを全力で守ろうとしてくれている人が、今、目の前にいるのです。

 その気持ちに応えずして、誰が『仲間』を語れるものですか。


 ……私はハルトが信じてくれたを信じます。


 ――たとえそれが『魔女の力』には遠く及ばないレベル1の魔法だとしても。


 私はキッと視線を上げてファングウルフを睨みつけると、半ば反射的に、かつて愛用していた魔法を詠唱します。

 それは私の根幹であり、起源と言える魔法。


 獣風情が舐めないでください!

 私は『魔女の力』に頼らなくても戦えるのです!


「――付与魔法エンチャント――形態フォーム爆炎エクスプロア――!!!」


 途端、私の周りに高濃度の魔力が渦巻きました。

 それは煉獄の炎となりて、私の身体を激しく包み込みます。


(ドゴォォオオーーーン!)


 ――次の瞬間、ファングウルフが私の喉元に噛みつくのと同時に、大地を揺るがすほどの轟音が辺りに響き渡りました。


 私自身も何が起きたのかわからず、茫然と爆炎の中、佇みます。


 しばしの時間を置いて爆炎が晴れた後。

 そこには既にファングウルフの姿はなく、その代わりに私の周囲数メートルは焦土と化し、所々に焼け爛れた肉片が黒煙を上げながら散らばっていたのでした。


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