§010 旅立ち

 ビオラが指し示す先。

 そこには――何とも趣味の悪いが設置してありました。


 私は部屋から外へとせり出している滑り台を恐る恐る覗き込みます。

 するとどうでしょう。

 滑り台は塔の遥か下まで続いているではありませんか。

 どうやらこの滑り台は塔の外周をらせん状に張り巡らされており、地上への緊急脱出装置としての役割を果たしているようです。


 私は滑り台のあまりの高さと長さに、思わず嘔吐しかけてしまいました。


「こ、これに乗るのですか? エ、エレベーターとかはないのですか?」


「ございません」


「転移魔法陣は?」


「ございません」


「タケコ○ターは?」


「ございません」


「ということは……本当にこの滑り台で……」


「はい。覚悟をお決めください、ラフィーネ様」


 私は「はぁ」と小さく嘆息します。


 別に極度の高所恐怖症というわけではありませんが、限度というものがあります。

 ただ、下層階から軍勢の足音が近づいていることも事実。

 どうやらここは覚悟を決めるしかなさそうです。


 それにしても……。


「ビオラ、いつの間にこんな趣味の悪いものを作ったのです?」


 そんな私の問いにビオラは面食らった表情を見せます。


「お忘れになったのですか。これは250年前、ラフィーネ様が『暇だ暇だ』と言ってご自身で作られたものですよ」


「あ、」


 その一言に記憶が喚起されて、私は口をあんぐり開けます。


 そう言えばあの頃は引きこもり生活にも飽きてきて、塔を改造して遊んでいたのでした。

 今思い返すと、各階に設置してあるトラップも全て私が自分で作ったものでしたね。


 正直、あの時は転移魔法が使えましたので、どうせ自分が使うことはないだろうと半ば他人事で迫力満点のアトラクション仕様にしたのですが、まさかここに来てその遊び心が仇となるとは……。


(ぱんっ)


 小鹿のようにぶるぶると震えている私の背中をハルトが軽く叩きます。


「ほら、いくぞ。直前になって逃げだしそうだからお前が先な」


「ぜ、絶対に押さないでくださいね」


「(笑)」


「なんですかその笑いは! 振りじゃないですからね!」


 私は意を決して滑り台に腰を下ろします。

 それにハルトも続きます。


「ビオラも早く!」


 私は少し離れたところで王国軍の動向を窺ってくれていたビオラにも続くよう促します。

 しかし、ビオラはフルフルと首を横に振りました。


「わたくしはここで王国軍を食い止めます。それが『運命の塔』の使い魔であるわたくしの役目ですので」


「そんな! あなたを置いて行けるわけないでしょ!」


 私はビオラの一言につい大声を出してしまいました。

 けれど、ビオラは一切動じることなく淡々と言葉を紡ぎます。


「大丈夫です。全てハルト様に託してありますので」


「ビオラ! 私の言うことが聞けないのですか! これは命令です! 主君として使い魔ビオラに命じます! だから早く!」


 しかし、ビオラは依然として背を向けたままです。

 一瞬の静寂の後、ビオラが静かに口を開きました。


「……ラフィーネ様は先ほどおっしゃいましたよね。世界の終焉まではわたくしの好きに生きていいと」


 私はハッとして思わず口元を覆います。

 その反応に気付いたのか、ビオラはゆっくりとこちらに向き直ります。


「世界はまだ終焉を迎えておりません。なので、わたくしは自身の意思のままに生きさせていただこうと思います。大丈夫ですよ。わたくしは死にませんから。だって……まだラフィーネ様の『大切なもの』のお話を聞いておりませんからね」


 そう言ってビオラは静かに微笑みました。

 その表情はとても晴れ晴れとしていて、まるで憑き物が取れたかのように朗らかなものでした。


「ビオラ……」


 ――次の瞬間、最上階の扉の蹴破られる音が木霊しました。

 同時に軍勢が雪崩れ込む足音。


「もう時間がありません! 早く!」


 ビオラが叫びます。

 私はしばし瞑目し……そして決断します。


「ビオラの覚悟、確と受け取りました。でも、絶対絶対約束ですよ。終焉の魔女・ラフィーネは貴方の《友》として命じます。ビオラ、あなたは決して死んではなりません。私と再会するその日まで。私は必ずここに戻ってくることを誓います」


「約束です。ご武運を、ラフィーネ様」


「ええ、ビオラも」


 ビオラはコクリと頷くと、視線を部屋の中へと戻します。

 そして、後ろ背で声を張り上げます。


「ハルト様! ラフィーネ様を頼みましたよ! もしラフィーネ様を裏切るようなことがあれば、わたくしはどんな手段を使ってでも貴方を殺します!」


「ああ、わかってるよ! おっかないメイド様! んじゃ行くぞ、


「え、今、貴方、名前……」


「せーの!」


 あ、ちょ……待っ。


「キャー―――――――――――!!!!」


 私はハルトにポンと背中を一押しされることにより、勢いよく滑り台に投げ出されました。


 木霊する悲鳴。

 あまりの恐怖に目も開けていられません。

 ビオラとの別れの余韻も一瞬で吹き飛ぶような風圧を一身に受け、私はローブが捲くれ上がるのを必死に押さえながら、ただただ慣性に従って下へ下へと落下していきます。


 数分が経ち。

 最初は絶えず上げていた悲鳴でしたが、速度が上がるについてそれすらも辛くなってきました。

 なので、私は石のように身を硬くしながら、ただ早く地上に到着することを祈ります。


「おーい! ラフィーネ!」


 そんな中、後方からハルトが私の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。

 どうやらハルトも私に続いてちゃんと滑り台を下りてくれたようです。

 まあ、私だけ滑らされていたらさすがにキレるところですけど。


「なーんーでーすーかー!!」


 私は目を固く閉じたまま、大声でハルトの声に答えます。


「ちゃんと目を開けてるか?!」


「こ、こんな状況で目なんか開けられるわけないじゃないですか! バカですか!」


 人間必死になると暴言を吐くことも厭わなくなります。

 相手の人間性を確かめるためには高い山に登れというのはあながち間違いじゃないようです。


 そんな性悪な私に、ハルトは余裕の声で話しかけてきます。


「もったいないぞ! 騙されたと思って少しでいいから目を開けてみろよ!」


「無理ですよー! 目ん玉吹き飛んでしまいます!」


「世界を見て回るんじゃなかったのか? こんなところで目を瞑ってたら世界なんか一生見て回れないぞ!」


 挑発的な言葉。

 それを聞いた瞬間、ほんの少しだけ恐怖が和らいだような気がしました。

 どうやら対抗意識が恐怖心を上回ったようです。


 私はどうも負けず嫌いなところがあるようで、煽られるとどうしても反抗したくなってしまうんですよね。


 それに……ハルトの言うことも一理あります。

 確かにこんなところでつまずいていては、世界を見て回るなど到底不可能でしょう。

 それくらい世界は甘くないということです。


「…………」


 えぇ、わかりましたよ。開けますよ、開ければいいんでしょう。

 でも、本当に一瞬ですからね。それ以上は絶対に開けませんからね。

 振りじゃありませんからね。


 誰に言い訳しているのかわかりませんが、私はそう念押しすると、薄っすらと目を開きます。


 一瞬、一瞬、一瞬……。


 しかし、気付いた時には、私は目を大きく見開いていました。


 私の視界に飛び込んできた光景。

 それは――未だかつて目にしたことがないような素晴らしい景色だったのです。


 まさに360度の大パノラマ。


 緑いっぱいの平原。

 隆々とそびえたつ山々。

 夕焼けに染まった空は遥か地平線の彼方まで続き。

 遠くには悠然と佇む王城や、整然と並んだレンガ屋根なんかも見えます。


 その光景は見る者全てを虜にする魅力がありました。


「きれい……」


 私は恐怖心など忘れて、思わずそんな言葉を口ずさんでいました。


「だろ」


 気付くとすぐ後ろからハルトの声が聞こえました。


 どうやら彼に追いつかれてしまったみたいです。

 重力運動により、密着した状態になる私とハルト。


 普段の私だったら思わず赤面して、最上級魔法をぶっ放しているところかもしれませんが、この素晴らしい景色の前では、そんなことは些事に等しいものでした。


 私は彼の膝の間に収まったまま、静かに言葉を紡ぎます。


「……世界がこんなに綺麗だなんて300年も生きてきたのにまったく気付きませんでした」


「人は愚かなもので、自分のものにしてしまうと急にその価値に気付けなくなる。ラフィーネにとってはそれが『世界』だったんだろうな」


 まるで自身の経験談を語るようなハルトの言葉を噛みしめつつ、流れゆく景色を確と記憶に刻みます。

 この感動を、この気持ちを決して忘れないように。


「もう少しだけ生きてみたくなったか?」


「はい。こんなに素晴らしいものが見れるなら、それだけで私がこの世界に留まる理由になります」


「そっか」


 ハルトはどこか満足そうに言いました。

 そこからはしばしの間、私とハルトは流れゆく景色を眺めていました。


 もう私に恐怖心はありませんでした。

 ハルトのお膝に収まっているのがなぜか落ち着くという事実は、墓まで持っていく所存です。


 だいぶ高度も低くなり、ようやく地上が見えるようになってきた頃。

 ハルトが口を開きました。


「次は『リュビア』という街に行こうと思ってる」


「『リュビア』ですか? 確か北の方にある街ですよね?」


「ああ。実はそこに『呪い』があるって噂なんだ」


「なるほど。今度はその『呪い』を封印しようというわけですね」


「…………」


「あれ? 違いました?」


 私はハルトの反応が気掛かりで、軽く向き直ってハルトに視線を向けます。

 すると、ハルトは神妙な面持ちで私を見つめていました。


「なぁ、ラフィーネ。お前は本当に俺と一緒でいいのか?」


「ん? どういうことです?」


「いや、俺は俺なりの目的があって旅をしている。行先は俺の都合になるし、場合によってはお前を引き回してしまう結果になるかもしれない。それに俺はお尋ね者だ。常に追っ手の危険は付きまとうし、稼ぎ口があるわけでもないから毎日がその日暮らしの貧乏生活だ。だから、さっきはビオラの手前、ああ言ったが、別に無理して俺に着いてくる必要は……」


 ああ、そういうことですか。

 塔の上ではビオラはかなり強硬に自分の意見を主張していました。

 そのため、彼は私が同行を仕方なく受け入れたと思っているのでしょう。


 確かにビオラと約束したというのも理由の1つではあります。


 でも、私は終焉の魔女・ラフィーネです。

 自分で納得できないことを曲げてまで受け入れるほど寛容ではありません。


 それに私は齢十六のうら若き乙女。

 私にだって選ぶ権利があるのです。


 確かに貧乏生活は出来れば避けたいところですし、街で大手を振ってショッピングを楽しめないのは些か不満ではありますが――私の心はとっくに決まっていました。


「ハルトは女の子の扱い方がまるでわかってないですね」


「え?」


「まったく口では大きいことを言っていても、心はとんだ小心者です。女の子が一度『着いていく』と言ったのですから、それをわざわざ蒸し返すようなことを言ってはダメです。むしろ私に拒否権がないかのように強引に連れていくぐらいの気概を見せてもらわないと困りますよ」


 そこまで言って私はハルトの目を真っすぐに見つめます。


「安心してください。私は貴方に着いていきます。ビオラとの約束もありますし、それに……」


「…………」


「私は終焉の魔女・ラフィーネ。貴方と同じお尋ね者です。そんな二人がパーティを組んで『呪い』を集めながら世界の果てまで逃げ続ける。それはとてもロマンティックなことだと思いませんか?」


 私は彼の反応を楽しむように妖艶な笑みを浮かべます。


 上目遣いで見つめる私。

 しどろもどろになりながら視線を逸らすハルト。


 ふふ、やっと私も感情豊かな頃の感覚を取り戻してきたようです。

 今日は全てにおいて彼に負けっぱなしでしたが、ここで初めて一矢報いることができたようですね。


 ハルトは若干赤面しつつ、頭をぽりぽり掻きながら言います。


「まあ、俺としては荷物持ちが増えるから助かるけどな」


「あんまり舐めたこと言ってると、寝首を掻いちゃいますから気を付けてくださいね」


「レベル1のお前に殺られるほど弱くねーよ。『魔女の力』を返してほしけりゃ、俺に勝てるぐらい強くなって見せろ」


「上等です。いつか絶対取り返してみますから」


 ああ、念のため。

 こんなことを言ってますが、正直、『魔女の力』なんてもうこれっぽちも欲しくありません。

 だって私は、そんなものよりもを手に入れることができたのですから。


 新たな仲間との新たな旅路。

 今度は『魔女』としてではなく、『人間』としての第二の人生です。

 もちろん不安がないわけではありません。


 でも……何となく彼と一緒なら楽しく過ごせそうな気がするんです。


 旅の終着点がどこになるのか、はたまた、終着点などというものがあるのか、今の私にはわかりません。


 でも、私はここに誓おうと思います。

 この先、どんな苦難が待ち受けていようとも、決して後悔だけはしないようにしようと。


 そして、願わくば、終着点でも彼の隣で笑っていられることを信じて。


 これは、終焉の魔女・ラフィーネの新たなる旅の1ページです。


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