第4話 漂着者たちの仕事

思っていたより体が疲れていたのか、ちぃの体温が心地良かったのか、勇太は見知らぬ寝床で深く眠ってしまったようだった。

時計の音には全く気が付かず、「起きてー!」とちぃに揺さぶられて目を覚ました。

――目覚めて最初に思ったのは、(これは夢ではなかったのか)という落胆だった。夢であって欲しかった。キヨから毎日のルーティーンは聞いたが、まだ実感が湧いていない。

ただ、言われた通りに身支度をして、食堂でパンを食べていると本当に現実のような気がしてきた。グレイスに勧められて紅茶を飲んでいると、食堂車の扉が開いた。

「おはよう諸君」

折り目正しく制服を着こなした駅長・ハンスだ。

「キヨ、昨日に引き続き新入りの面倒を頼む」

気だるげに髪を弄りながら、キヨは「はいよ」と答えた。

「グレイスは昨日の修復が終わっていないな? 続きを頼む」

「わかったわ」とグレイスは穏やかに微笑む。

「ちびにはモモをつけよう。何かあったら彼女を伝令にするように」

そう言った駅長の後ろから、老犬が顔を出す。

「わーい! モモといっしょだ」とちぃは彼女に駆け寄り頭を撫でた。

「――それでは各々、仕事に励んでくれ。今日は倉庫に籠もる」

駅長は踵を返して、食堂車を出ていった。

「なんていうか……迫力ありますよね」

勇太はようやく力を抜いて、隣のグレイスに話し掛けた。

「そうかしら? お人形みたいで綺麗な子だわ」とグレイスは目を細める。

「彼にも過去があって、彼を知っている人がいるのかしらね」

「絶対人間じゃないわよ、あたしが来た時から変わらないのよ?」

キヨの言葉に、勇太はずっと聞けずにいた疑問をぶつける。

「ここでは時間の流れはどうなっているんですか? キヨさんが来た時って一体……?」

キヨは唇を噛んで視線を彷徨わせたあと、観念したように口を開く。

「あたしの格好を見てピンと来なかった? これが当時の大流行。あんたの世代からすると『モガ』って教科書に載ってるらしいじゃない」

「モガ」とオウム返しに呟く。

モガ、モボ……それは。

「大正時代!?」

「はあ……その反応にも飽きたわ。そう、私が一番の古株」とキヨが言う。

「それからしばらく空いて、来たのがグレイス。ちなみにグレイスは来た時からこの見た目だから。嫌になっちゃう、あたしこのおばあちゃまより年上なのよ、多分」

「へぇ」と勇太には感嘆することしか出来なかった。

「ちぃが来たのは、そこまで古い話じゃない。モモはもっと最近。時計だけはきっかり刻まれているけれど、時間の流れなんて感覚的なものだし、元の世界に帰った人がどうなるのかわからいのよ」

キヨは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、言葉を続けた。

「あたしは大正の日本に帰れるのか……それとも、勇太のいた二千何年だかに白骨化した死体でポンと戻されるのか、さっぱりわからないわ。ちなみに駅長に訊いてもムダ。『機密事項だ』って一蹴されるのがオチよ」

「そう、なのか……」

肩を落とす勇太の背中に手を添え、グレイスが優しい口調で説く。

「ユウタ、ここにいるとどんどん昔のことを忘れてしまうの。だから、早く思い出せることは思い出した方がいいわ。戻りたくない事情があるなら、それでも構わないのだけれど」

グレイスは「私は多分ずっとここにいると思うから」と茶目っ気を含んだ声で言った。

彼女の言葉に曖昧な笑みを返しながら、勇太は昨日のスーツに入っていた社員証のことを思い出した。なんとなく部屋に置いておくのが嫌で、肌身離さず持っていたのだ。

白いクロスの敷かれたテーブルの上に、社員証を置く。

「あら、私が知っているユウタより若くて可愛いわ」とグレイスが目尻を下げた。

入社した際に作られたものなので、写真は22歳の頃のものだ。

「と言っても、大した情報はないわよね」とキヨが手に取り、裏を見る。

社員証の裏側、透明のケースのなかには小さな猫のようなキャラクターのシールが入っていた。「ほら」とキヨに手渡されて、勇太は中身を検める。

それは直接貼られたものではなく、シールの台紙ごと社員証ケースの裏に入れていたようだ。心なしか少し色褪せて見える。

「あ、ニャームだ!」

キヨの後ろから、ひょこり顔を出したちぃが大きな声を出した。

「にゃーむ?」と一同の声が重なる。

にこにこと笑うちぃを見て、勇太の頭に一瞬何かが過ぎった。

「僕も、知っている。ゲームに出てくるやつだ」

「ニャーム強いよね!」

「ん、うん……」

キャラクターは知っている。だが、勇太にはゲームをした記憶はない。社会人にもなって好きこのんでシールを買ったとは思えない。誰かからの貰い物かもしれない。

「それはユウタにとって大切なものかもしれないわね」

グレイスの言葉は重く響いた。


   ◆ ◆ ◆


「忘れ物が多いのはドア付近。それと網棚の上もよく見て」

キヨに案内されて、勇太は仕事をこなしていた。

今日停まっていたのは、海外の列車だった。全車両のうち半分を見たが、特にこれといったものはない。

「じゃあドア開けますよ」

華奢なキヨに力仕事をさせるのは忍びなく、勇太は一声かけてから次の車両につながる引き戸を開けた。

「!」

がらんとした車両。赤いシートの上に、何かが置いてある。近寄って見てみると、それは膝掛けのようだった。キルト素材で出来た、手作りの品のようだ。

「キヨさん、これ……」

「誰かに忘れられたもの、ね。持って帰って駅長に見せましょ」

残る車両には何もなかった。勇太はキヨの後ろについて、駅へ戻ることにした。


「ここって不思議な空間ですよね」

キヨは小柄な割りに歩くのが早い。置いて行かれないように速足で続きながら、これまた胸に抱いていた疑問を吐き出してみる。

「ま、そうよね。こんな空だし」

そう。朝焼けとも夕暮れともつかない、煌めきがかった薄紫色の空。よくよく目をこらすと、遠くに星々が輝いていることがわかった。

「たまにね」とキヨが口を開く。

「あっちに虹が見えることがあるの。それは“思い出した誰か”が駅長に見送られる時」

「キヨさんの友達がここを去ったっていう……」

「後で駅長が名前だけ教えてくれた。あの虹『終わりの橋』って言うんだって」

「終わりの、橋」

妙に文学的な言葉だなと思いながら、勇太は胸に刻み込んだ。


   ◆ ◆ ◆


今日、駅長が籠っている倉庫は、駅長室の更に奥にあるそうだ。

勇太は、膝掛けを大切に持って、その扉を叩いた。

ノックをしても返事はない。

「集中してて聞こえてないのよ。入りましょ」

勝手知ったる様子でキヨは手動のシャッターをがちゃがちゃといじる。

と、2人の後ろからグレイスが現れた。

「あら? なにか見つけたの?」

「はい。グレイスさんは?」

「ストールを直し終わったから、ここに届けに来たのよ」

「おふたりが見つけた忘れ物はなにかしら?」

「はい、列車で膝掛けを――」

勇太がそれを見せると、グレイスは青い瞳を見開いて固まった。

「グレイス、さん?」

「あぁ、どうして!? そんな……」

勇太の手から膝掛けを受け取ったグレイスは、キルト生地を撫でる。

皺だらけの手で、優しく何度も。

やがて膝掛けを頬に当てて、深い溜め息を吐く。ぎゅっと閉じられた目尻から一筋の涙が零れた。

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