第二章 飴をあげても手は繋がない

001

【問一】 アニメを作るのに必要なものは何か。

 では考えてみよう。

 アニメを作るに至って必要なのは何か。

 まず、人と時間だ。

 何はともあれ人がいなければ何も始まらない。何もない宇宙空間にいきなりアニメが産まれる事はないのだ。だから当然人間が、それもアニメを作る意思を持った人が必要となる。

 それから時間。アニメ制作には特に膨大な時間がかかるので、それなりの期間が必要だ。

 更にパソコンやら紙やらが必要だし、アニメ制作には非常に大勢の人が関わるわけで、それに伴う多額の資金も必要となる。

 そういうわけで、アニメはそう気軽に作れるものではない。

 ただ逆に言えば、極端な話報酬を必要としない人だけを使えば、お金は最小限で済むのだ。

 まあ日々の食費やらパソコン代や電気代やらの細かい出費は絶対に要るんだけど、親の脛をかじる学生であればそこも必要なくなる。

 だから、仮に学生だけを使うという限定条件で話をすれば、答えはこのようになる。


【問一】 アニメを作るのに必要なものは何か。

【答え】 人、時間、やる気。


「まあ、やる気はないんだけどな」


「あん?」


 俺の呟きに、佐藤君が顔を上げた。


「何だ? 何か言ったか、悠一?」


「いや、何でもない。いつも美味そうな弁当だなって言っただけ」


 四月も過ぎ、皆でカラオケに行った日からかれこれ二週間が経過した頃合い。

 徐々に暑さが混じるようになってきた教室では、昼休みの喧噪の中でクラスメイト達がいそいそと弁当を広げている。

 佐藤君もその一人で、机の上に広げた弁当に目を落としてから苦笑を返してきた。


「そうかぁ? 俺のかーちゃん、いつも自分が好きなものばっかり入れるから、おかずが肉だらけなんだよなぁ」


「おいおい、肉が多くて不満に思う事があんのか?」


「ない。そういう悠一は、いつもやたらオシャレな弁当持ってくるよな。って、アレ?」


 と、そこで佐藤君は財布をポケットに突っ込む俺に気付き、首を傾げた。


「悠一は今日も購買か? 最近いつも購買だな?」


「ああ。最近、妹が作ってくれなくてなぁ」


 基本的に俺の弁当は妹が作ってくれているのだけど、佐藤君達と遊んだ日から妙にツンケンしてて、弁当を作ってくれなくなったのだ。

 一応妹が怒る理由も探してみたけど何も見当たらず、そのせいでこの二週間はずっと購買を利用するハメになっている。


「何を話しかけても浮気者としか返してくれないんだよなー。反抗期なのかなぁ?」


「さっさと謝って許して貰えよ。タイミングを逃すとどんどん謝り辛くなるぞ?」


 何で俺が悪い前提なんですかね。


「んで、悠一は今日は教室で食うのか? 待ってようか?」


「いや、今日も外で食って帰るよ。先に食ってくれ」


「そっかー。残念だな」


 おやつを貰えなかった子犬のように眉を落とす佐藤君。くっ、何だよ可愛いな、お前ヒロインか何かかよ。食うよ! 腹がはち切れるまで一緒に食ってやらあ!

 とは言えないので、断腸の思いで誘惑を断ち切りますよ。


「…………(ジーーーーーーッ)」


 なんてやりとりをしていたら、何だかやたらと熱い視線を感じた。


「…………(プイッ)」


 その出所、教室の反対で友達の輪の中にいる冬雪は、俺と目が合うや頬を膨らませすぐにそっぽを向いてしまう。

 それを見て、俺は小さく溜息をついた。


「……あいつ、まだ俺が誘いを断ったのを怒ってんのかな」


 お互い隠れオタだと判明したあの日から、冬雪は『教室内では』ずっとこの調子だった。

 原因は多分、俺が冬雪の誘いを断ったから。

 いや、だっていきなりアニメ作りしようとか言われても、普通は無理って思うじゃん?

 ただの高校生にいきなりそんな提案してくる方がどうかしてるって思うじゃん?

 だからサクっと断った。

 それ以来、こっちをチラチラ見てくるくせに、目が合うとほっぺたを丸くして目を逸らすんだ。一体何の意思表示なんすかね。


「やっぱ女郎花さんは違う世界の人間だよなー」


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、俺の視線を追った佐藤君が言った。


「あれから少しは話すようになるかと思ったけど、全然そんな事なかったな」


 苦笑する佐藤君の言うとおり、冬雪は相変わらず周囲をリア充達に囲まれている。

 何かもうあそこだけキラキラ度が違ってて、何なら近付くだけで浄化されそう。俺はアンデッドか何かかと。


「側を通ると睨まれるもんな。こえーよ、あの一団」


「最近は女郎花さんが昼休みにどっかにいなくなるってんで、皆引き留めるのに必死らしいぜ。今日に至ってはどっかの部長だとか、芸能事務所に所属してる子だとかまで来てる」


 佐藤君の言う通り、冬雪の周囲には上級生や他のクラスの子の姿もあり。


『女郎花さん、良かったら今度一緒に遊びに行こうよ! ウチの芸能事務所の社長も女郎花さんに会ってみたいってずっと言ってるんだ!』


『ご、ごめんね。家が厳しいから芸能界とかはちょっと……』


『それより僕の知り合いのプロの画家にぜひ会って欲しいんだが、いつだったら空いているだろうか?』


『あの、部長。すいませんけど、休日は予定が……』


 冬雪はさすがリア充グループにいるだけあって、そつなく対応している。

 けれど、正直見ているだけで疲れてくる。

 なんせあの人達、冬雪が教室を出ようとしてるにも関わらず、周囲を人で囲んで引き留めているのだ。

 リア充だったらああいうのも楽しめるのだろうか。ていうか違うクラスの子に話しかけるってどんだけコミュ力高いの? コミュ力モンスターなの?


「あんまり良い事ではないよなぁ」


 不意に佐藤君が呟いた。


「へ? 何がだ?」


「周りにああして集まる事。女郎花さんの側で美味い汁を吸おうってのが集まるのは特にな」


「……そうなのか?」


「ああ。女郎花さんの側で良い男にありつこうとしてる女子とか、あわよくば女郎花さんと付き合いたい男子とかな。亜衣も『あの子に近付けたくない奴が多いけど、あの子は優しいからちゃんと相手しちゃう』ってボヤいてた」


 佐藤君はどこか苦い顔で冬雪を見ている。


「あんな感じで最近はなりふり構わなくなってるのも問題だな」


 佐藤君が視線を戻した先では、上級生が近くにいる男子達を手で払いのけていた。


『君達、僕は彼女がコンクールに出す絵の話をしたいんだ! 邪魔をしないでくれたまえ!』


『ぶ、部長!』


 上級生が横柄な態度に出るのを、冬雪が何とかたしためている。

 最初のひと月程は平和だったこのクラスも、最近は少しだけ荒れている。

 何度かああいった生徒が現れ、その度に冬雪が立ち回って何とか解決している状態だった。

 けれど、毎回必ずうまくいくとも限らない。


『美術部の部長として言わせてもらおう。彼女には君達の相手をしている暇はない。何の努力もしない愚図達の時間が、彼女の時間と同価値だなど思わないでもらいたい』


 冬雪に部長と呼ばれた彼は、さも自分にその権利があるかのように大仰に振る舞っていた。

 えぇ……、部長ってそんな権限ないよね。部長って雑用と部員のワガママを一身に引き受けるただの教師の傀儡じゃんね。俺は詳しいんだ。

 冬雪は相手が上級生なのもあってか、どこか強く言えずにいる。

 クラスメイト達も冷めた目で部長を見ながらも、口を出す者は誰もいない。

 誰が首を突っ込んでも話がややこしくなると、ここ最近の流れで理解しているからだ。

 だからこそ冬雪も誰かに助けを求める事はない。

 ただ、そんな中で、ふと冬雪と目が合った。


「…………」


「…………」


 お互いに何も言う事はなく、そっと目を反らした。

 けれど。


『あ、赤い月っ!』


『へ?』


『赤い月が咲きますね!』


『女郎花さん?』


 急に意味不明な事を口走った冬雪を、皆が怪訝に見ていた。

 誰も冬雪の言葉の意味を理解出来ず、ただ困惑を顔に浮かべている。

 ただ、そんな中でただ一人。俺だけは立ち上がった。


「……了解」


「お、おい。悠一?」


 驚いた佐藤君が俺を見た。

 赤い月が咲きますね。きっとこれは俺にしか通じない。

 これは随分昔にやっていた『メリバリ』というアニメで、ヒロインが主人公に言う台詞だ。

 互いに本音を言えない中で、『助けてほしい』という意味を込めて告げた言葉。

 その遠回しにSOSを発するシーンは、その作品の中で屈指の見せ場の一つとなっている。

 俺は人垣という名のリア充をかき分けていくと、中央にぽかりと空いた空間に躍り出る。

 部長達は、急に現れた俺に迷惑そうに顔をしかめた。


「何だ君は?」


「いえ、ちょっと冬雪……、女郎花さんに伝言がありまして」


「何?」


 部長がうさんくさそうに俺を見た。それを無視して、俺は冬雪に声をかける。


「女郎花さん。担任が頼みたい事があるから職員室に来てくれってさ。今すぐに」


「悠一君。う、うん、分かった! ごめんね皆。そういうわけだから、私は行くね!」


 俺の言葉を聞いた冬雪が、皆にすまなそうに謝ってからその場を離れていく。

 我ながらもうちょい格好良い方法はなかったのかと思うけど、一応功を奏したようで、冬雪は誰に止められる事なくそそくさと教室を出て行く事が出来たのだった。

 そして後に残されるリア充達。

 冬雪という目的を見失った彼らは、気まずい空気が流れる中で顔を見合わせていた。


「チッ」


 やがて部長が俺を見てこれ見よがしに舌打ちをし、無言で教室を出て行く。

 それを皮切りに周囲の取り巻き達もバラバラと散っていった。


「おう、お疲れさん」


 自分の席に戻ると、佐藤君がやたらニヤニヤしていた。


「な、何だよ」


「いや、別に? んで、悠一も飯を食いに行くんだろ? ホラ、さっさと行った行った」


「い、行くよ。行くから別に押さなくても大丈夫だって!」


 何だか妙に生暖かい目で見られてるんですけどぉ。

 やがて俺は佐藤君に見送られながら、教室を後にした。

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