002

「やー、歌った歌ったー! あたしゃ満足だよー!」


 数時間カラオケで過ごした俺達が店から出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 春も過ぎかけとはいえ、夜の風はまだ冷たい。それでも散々歌って火照った身体には丁度良く、亜衣ちゃんは胸元を開いてパタパタと風を送っていた。


「やっぱ仲が良い人達と一緒に遊ぶのって楽しいねー! 悠一も冬雪もありがとね!」


 カラオケ店から歩道に躍り出た亜衣ちゃんは、振り返りながら満面の笑みを見せてきた。

 その気安さに、思わずこっちも笑顔になる。

 心の壁が薄いというか、誰にも気兼ねないというか。こういうの、もはや才能だと思う。

 俺だったらもっと何段階か踏んで、相手の害意のなさを確信してからでないと距離を詰める事は出来ない。少なくとも、数時間前に出会ったばかりの俺をひっくるめて、『仲が良い人』と称する事は出来ないだろう。


「えへへ! ねえ悠一、私が作った特製ドリンクはどうだった?」


「まだ口ん中が苦い。一生許さない」


 店から駅へ向かう道すがら、俺達はとるに足らない話をしていた。

 やった事といえば、好きな曲を歌ったり、ドリンクバーで色んな飲み物を混ぜて謎の液体を作ったり、それを皆で飲んで「まずい!」って笑い合ったり、そんなしょうもない事ばかりだ。

 けどまあ、ぶっちゃけ楽しかった。

 亜衣ちゃんは率先して盛り上げてくれたし、冬雪もこっちの歌をきっかけに話しかけてくれたしで、すっかり打ち解けた感がある。

 唯一心残りがあるとすれば、アニソンをほとんど歌えなかった事くらいか。

 歌い始めから二時間頃に某国民アニメの主題歌を入れたりしてみたけど、そのくらいだ。

 メンツによってはそこから懐アニメ主題歌縛りに出来るんだけど、今回は冬雪が「わ、これ知ってる!」と反応してくれた程度だった。

 欲を言えばオタ同士でカラオケに行って、アニソン縛りとかやってみたいんだよなぁ。

 たまーにデンモクの履歴でアニソンが並んでいるのを見て、羨ましく思ったりする。

 でもまあ、数曲とはいえ思う存分アニソン歌えたし、俺は満足デス。


「てゆーかさ、悠一ってめっちゃ歌上手いじゃん! びっくりしたよ!」


 まだ余韻が冷めやらぬ様子で亜衣ちゃんが俺の袖を掴んできた。


「何であんなに上手いの!? バンドとかやってんの!?」


「え? いや、やってない」


 ぐいっと前のめりで覗き込んでくる亜衣ちゃん。やめて、下着が見えてる。


「好きで昔よく歌ってただけだよ。下手の横好きなだけだし、今はもうほとんど歌ってない」


「全然下手じゃなかったよ! ほんとにびっくりしたもん! それに――」


 言いながら亜衣は鞄をゴソゴソし出す。


「コレ! この人知ってる!?」


 取り出したのは、さっきの本屋で亜衣ちゃんが買った雑誌だった。


「この表紙に書かれてる『人気絶頂で突如姿を消したバーチャルシンガーYUIの謎に迫る!』ってやつ! このYUIって人と悠一の歌い方がすっごい似てたんだよね!」


 亜衣ちゃんは大興奮といった様子で雑誌を何度も指差している。


「私、YUIさんやばいくらい好きだったんだ。ねえ悠一って結構イケてるし、もしかしてYUIさんだったりしない?」


「知らんし、バーチャルシンガーってナニ?」


「そっから!? 悠一ってネット見ないの? 大丈夫? 本当に生きてる?」


 こいつ正気かよ? って感じで見られてんだけど。何でそこまで言われるんすかね。


「バーチャルシンガーは歌の動画をネットに投稿してる人達の事よ。ボカロとか自作の曲を作って歌ってるの」


「ほーん」


「人が作った曲を歌う人も多いんだけど、YUIさんは自分で作った曲だけを歌うのね。それが、めっっっっっちゃ良くて、私らが中学の頃はクラス中にファンの子がいたんだから!」


「へー」


「歌が上手いだけじゃなくて3DでアニメっぽいPV動画も作ってて、そのクオリティが本当に凄かったんだから! 私はああいうのあんまり詳しくないけど、『3Dでここまで出来るんだ!』ってクラスのオタっくん達もめっちゃ騒いでたよ! ねえ、二人も知ってるよね?」


 亜衣ちゃんが言うと、冬雪と佐藤君が頷いた。


「うん、私も好きだよ。辛い時とかに聴くと、とっても心に響くよね」


「中学の時のクラスにも好きな奴多かったなー。というか俺らの中学では卒業式の時にYUIの曲が流れてたぞ」


「あ、私の所もそうだったよ。あの春っぽい落ち着いた感じの曲だよね」


「そうそう。噂ではYUIは俺らと同年代くらいじゃないかって言われてたけど、結局正体は分からずじまいだったんだよな。ていうか悠一はマジで知らないのか?」


 驚く、というより困惑すらしている佐藤君に悟られないよう、俺は少しだけ息を吸った。


「知らんなぁ。まあ多分俺のクラスにも好きな奴とかいたんじゃね。知らんけど」


「えー、でも私らの年代だったら絶対YUIさんの話を友達と……、あっ」


 おっと、亜衣ちゃんが急に「しまった!」という感じの顔をしましたね。

 同時に佐藤君も視線を泳がせ始めた。


「そ、そっか。悠一はそうだったのか。俺達、酷い事言っちゃったな……」


「……いや、ちげぇよ? いたよ? ちゃんと友達いたよ?」


「大丈夫! 私らは悠一とズッ友だよ!」


 亜衣ちゃん良い子! でもそれ絶対すぐに連絡してこなくなるやつ!


「ま、まあ、そこの角を曲がればもう駅に着くし、この話はここまでにしようぜ」


 佐藤君にまであからさまに話題を変えられたんですけどぉ!

 そんな佐藤君が言う通り、大通りに出るとすぐ目の前に帰宅ラッシュ中の駅が見えていた。

 俺達は改札を目指し、やがて人の流れの邪魔にならない辺りで足を止めて振り返る。


「あれ、電車は俺だけか? 佐藤君達は歩きだっけ?」


「俺と亜衣はそうだけど、女郎花さんは?」


「私はこの後、おうちの運転手さんが迎えに来る事になってるよ」


 各々が答える。ていうか運転手による送迎って、漫画だけの話じゃなかったんだな。


「そっか。じゃあ俺はこれで帰るよ。ここまで付き合ってくれてありがとな」


「こっちこそ、遅くなって悪かったな。妹ちゃんによろしくな」


「悠一、また遊ぼうね!」


 三人が手を振っているのに返し、俺は駅のホームに続く階段へと歩く――、フリをして、素早く駅中のトイレに身を隠した。

 俺が素直に帰ると思ったか? 残念! 演技でした!

 最初からこのまま帰るつもりはなかった。目的はもちろん、あの店だ。

 女子達との遭遇によって一時離れてしまったが、あの店には今も花盛りの婚約者達の限定版が眠っているはずだ。であれば、今日中に手に入れたい。いや、迎えに行きたい。

 そう、今日まで俺を待っていたであろう限定版を、ついに俺の元へと迎える時が来たのだ。

 少し間を置いて十分後にトイレを出ると、すでに佐藤君達の姿はなくなっていた。

 そのまま改札を通って外へ。この街の土地勘はないけれど、スマホのマップ機能を使って大体の場所の予測をしてある。後は記憶と照らし合わせて見つけるしかない。

 時刻は既に八時過ぎ。チェーン店ならともかく、個人経営の店だとギリギリだろう。

 数分歩くと先程のカラオケ店が見え、更に進むと夕方に皆で歩いた道に差し掛かった。


「……あった!」


 更に歩き続け、視界の先にあの店が現れる。電気は――、点いている!

 けれど店の窓越しに客の姿が見え、俺は駆け足になるのを抑えて一度立ち止まった。

 ゆっくり息を吐き、頭の中でシミュレート。

 あの人が店を出たらすかさず店内に入り、真っ直ぐ漫画の棚に行く。すぐに限定版を手に取り、そのままレジに直行して二分以内に店から出る。

 完璧だ。これなら誰にも目撃される事なく、あの本を手に入れられる。

 ジリジリとした緊張感の中、俺は歩道の端でスマホをいじるフリをした。

 ただし視線は店内に注ぎ、注意深く監視する。

 店内にいる客は、キョロキョロと挙動不審な動きをしながら、何冊もの本を抱えてレジに向かっていた。


「………………ほわっ!?」


 その手元を見て、思わず変な声が出た。

 いや、ていうか、あの人が抱えてるの、さっき俺が見た限定版じゃね?

 え、何で俺の限定版をあの人が持ってるの? どしてさっきまで誰にも見つからなかった限定版を、今このタイミングで他の人が買おうとしているの?

 客は本を抱えてレジに行き、店主のお爺さんが本のバーコードを読み始めていた。

 どうやら客はセーラー服の少女のようだが、その顔は何故か帽子とマスクとサングラスで隠れており、見る事が出来ない。

 というか怪しすぎではありませんかね。まるで人目を忍んでいるかのよう。しかもあのセーラー服、俺の高校のじゃん。同じ学校にあんな怪しい奴いんのかよ。

 そんな事を思っている間に、結局限定版は他の本と一緒にその少女に手渡されてしまった。


「あ、あぁ。俺の、限定版……」


 少女が本が入った袋を嬉しそうに受け取る。俺は目を閉じ天を仰いだ。

 分かるか、この心のダメージ。なんせ一度は手に入りそうだったんだ。しかも数分早ければ確実に手に入ってた。それが今や人のもの。


「うぅ、誰だよぉ、俺の限定版を寝取った奴ぁ……」


 どうしても諦めきれず、立ち尽くして少女を睨んでいた。うらめしい。

 少女はスキップでもしそうなウキウキした様子で店から出てくる。うらめしい。

 やがてその視線は俺と重なり。


「びゃっ、びゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 少女は数秒固まった後、突然大きな悲鳴をあげた。


「……え、何?」


「ふぇ? ふぇえええええ!? な、なななななな何で悠一君がここにいるの!? ゆ、悠一君はさっき駅から帰ったんじゃ……? あれぇ?」


 狼狽しながら、突然わたわたとする少女。しかし俺がポカンとしている事に気付くと。


「あ、いえ! い、今のは何でもないです! こちらの勘違いでした!」


 急に思い出したようにマスクに触れ、慌てて首を横に振ってみせた。

 ……はて、何だか声に聞き覚えがあるような気がするが。


「その声。もしかして、冬雪?」


「……っ!」という息が詰まる音と共に、少女の身体がビクリとなる。

 まるで硬直したように動かない少女をじっと見つめる。と、ゆっくりと顔を逸らされた。


「……ち、違うでござる」


 怪しすぎた。


「拙者はただのすくたれものゆえ、女郎花冬雪とは縁もゆかりもござらん」


「お、おう、そっか。まあ、俺は名字までは言ってなかった気がするけどな」


「ふあっ!」


 この子、これで誤魔化すつもりなのだろうか。

 逆に心配になってくるんだが。この子、このままで無事に生きていけるかしら?

 そんな風に思っていると、やがて蚊の鳴くような小さい声で冬雪が言う。


「あ、あの。み、見てた?」


「見てたって、何を?」


「その、私が、何を買ったか、とか……」


「あー……」


 俺が手にするはずだった限定版が、あの紙袋の中に入っている。それ以外は知らんけど。


「見てた」


「ふあ、ふあああああああああああ!」


 俺が答えると、急に冬雪の顔が赤くなり、身体が小刻みに震え始めた。


「ちっ、違うの! これはお兄ちゃんに頼まれただけなの!」


 動揺した様子で、冬雪が突然紙袋を握りしめ始めた。


「お、おい、そんなに握ったら袋破れるって!」


 その力はかなり強く、すぐに袋がビリリと音を立てた。

 やがて隙間から一冊の本が落ちる。タイトルは――、花盛りの婚約者達!


「うおおおおおおおっとぉ!」


 俺は自分でも驚く速さで駆け寄り、それを途中で受け取った。


「あっ、だめっ!」


 直後に冬雪の焦る声が降ってきた。同時に裂けた紙袋から他にも本がボトボト落ちてくる。

 ついそれを目で追って、タイトルを見てしまった。



『ご主人様の作り方。少しずつ命令させて意中のカレをご主人様にしちゃおう!』



「………………ちがうの」


 という冬雪の声と同時に、更にボトボトと本が落ちてくる。


『正しいメイドの振る舞い方』『歴史で紐解くメイドの今』『メイド女学生ペットライフ』

 メイドものの本ばかりが地面に転がっている。

 チラリと上を見ると、冬雪の顔がマスク越しでも分かるくらいに真っ赤になっていた。


「ちがうのおおおおおおおおおおおおおお!」


「あっ、おい! この本置いて行くなよ!」


 突如叫び、逃げるように走り出してしまう冬雪。


「おい、このご主人さまの作り方はどうすんだよ!」


「タ、タイトル言わないで! 私のじゃないから! 拾っただけだからああああ!」


「嘘つけ! お前のだろ! せめて受け取ってから逃げろよ!」


「私のじゃない! 私のじゃないしいいいいいいいいいいい!」


 夜の歩道を全力疾走。

 二人して叫びながら、知らない街を走って行った。

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