第三章

第26話 些少な違和感

一時間とちょっと電車に揺られ、駅からふたりの暮らしている201号室までは30分くらい。マンションに着いた頃には眩しく地球を照らす太陽は早くも天頂に近づきつつあった。


“ガチャ"


「たった一日家に居なかっただけで、なんだか新鮮だね」


「うん、旅行に行って久しぶりに家に帰ったときと同じような感じがする笑」


しばらく家を空けていたり、他の場所で寝泊まりして家に帰ると、自分の家だがどこか新鮮味を覚えたことが多かれ少なかれ経験したことがあると思うが、麗華の実家から帰ってきた湊斗と麗華はまさにその感覚だった。


「ひとまず手洗ってくるよ」


「うん、それじゃあ私はお昼ご飯の用意をしておこうかな」


「わかった、手を洗ったらすぐ手伝うよ」


「いつもありがとね、みなとくん」


「こちらこそいつも美味しいご飯をありがとうだよ、れいか」


湊斗はお互いに支え合える関係でありたいし、こうしたこまめに感謝を伝えることは難しいけれど、とっても大切で尊いことだと常々思う。

そう言って湊斗は洗面所に向かい、石鹸できれいさっぱり外からの汚れを洗い落とす。


「あ、れいか今日のお昼は何にする?」


「昨日うどんの麺買ってきたし、お昼ご飯はうどんにしようかな」


そう言うと麗華は髪を鮮やかな組紐でひとつに結んで、クロネコの刺繍が施された黒いデニムのボーイッシュなエプロンを着る。湊斗のエプロンはというと、犬の刺繍が施された白いデニムのエプロンで、犬の隣に赤いハートの刺繍がちょこんとあって少し可愛らしいものだった。


「みなとくん、引き出しから昆布とかつお節を取ってくれる?」


「はいどうぞ」


「ありがとう」


忙しい時は便利で美味しい顆粒かりゅうだしを使うのだが、基本的に麗華の作る料理は全て素材そのものを使うので時間がある時は出汁すらも一から抽出するのだ。今回はうどんなので、かつおと昆布の合わせ出汁にするようだ。


(れいかの料理はこのひと手間があるから、より深い味わいになるんだろうな)


そんなことをしみじみ思う湊斗だったが、かつおのアミノ酸系のグルタミン酸と、昆布の核酸系のイノシン酸の組み合わせなので相性がよく、単独で使うよりも相乗効果でより美味しくなるんだとか。いずれにせよ、和食にはこのかつおと昆布の合わせ出汁がピッタリなのだ。


「これから少し時間かかるから、みなとくんは休んでて大丈夫だよ」


「わかった、また何か手伝えることがあったら呼んでね」


「うん、ありがと」


ここに居ても湊斗は特に何もすることがないし、麗華の邪魔をしても悪いので有難く少し休憩させてもらうことにした。


“バタンッ”


自分の部屋に入った湊斗は、軽くドアに背中を預ける。


“ゴソゴソ”


「.....」


(本当に誰なんだこの子は...)


湊斗はポケットに手を突っ込み、帰り際に恵さんから渡された一枚の写真を取り出した。見間違えではないか再度そこに映る白髪ロングで太陽のようなオレンジ色の瞳をした女の子に目を落とす。しかし、やはり写真を撮る時にただ紛れ込んだ様子でもなく、確実に麗華と湊斗と“謎の女の子”の三人で遊んでいた。


「全く記憶に無いんだが...」


やはりもう一度見て見ても都合よく思い出せるはずもなく、どうしたものかと頭を悩ませていた。


「れいかはこの女の子を知っているのかな?」


(やっぱりこれを一旦れいかに見せた方が--)


“じわっ”


そこで何故かは分からないが冷や汗が湊斗の頬を伝った。これが何によるものなのかも分からない。ただ、確かに感じるのはこの先からは何かがこの手から離れていってしまうような焦燥感。いずれにせよ、だけが心に残った。


“ポタッ、ポタッ--”


「な、何だこれ...」


自分の頬から水滴が垂れていることに気がついた湊斗は手で顔を拭い、部屋にある鏡で自分が大量の汗をかいていることを認識する。


“グシャッ”


怖くなった湊斗は無意識にこの一枚の写真を握りしめていた。そして、そのままゴミ箱に投げ捨てようとしたが、寸前のところで湊斗の意志に反抗するように何故かピタリと手が止まった。


「くっ、本当にお前は誰なんだ...」


ひとり湊斗は自分の部屋で静かに呟くことしかできず、そのままベッドに身体を預けるといつの間にか湊斗は深い眠りについていた--


※※※


--数時間後--


「--くん」


(な、なんだ?やけに騒がしいな...静かにしてくれもし目を覚ましたら--)


「みなとくん!うどん伸びちゃうよ!」


麗華が湊斗を起こしに来てやっとのことで目を覚ました。


「あ、あれ?俺もしかして寝てた?」


「うん、全然声掛けても起きなかったよ笑」


「ごめん、いつの間にか寝てたみたい」


「疲れが溜まってたのかな?うどん、もう出来てるから一緒に食べよ」


リビングから出汁の優しい良い香りがしてきたので、一気にお腹が空いてきた。


「「いただきます」」


「すごい美味しそう」


うどんはもう汁を吸って既に伸びきっているかと思ったが、どうやら湊斗が寝ていたのを考慮して麗華はつゆだけを先につくり、うどんは茹でていなかったようだ。


「そう言えば、みなとくんがお昼寝なんて珍しいよね」


普段湊斗は少々疲れていても昼間に寝ることはなく、しっかり夜に眠るタイプなので麗華は不思議に思った。


「うん、いつの間にか寝てたからね。自分でもびっくりだよ笑」


「そんなことあるんだね、でも元気なら良かったよ。熱とかなくて」


「うん、熱はないから心配しなくて大丈夫だよ。ありがとね」


特に身体に問題があるわけでもなく、麗華と話していて普通に笑えるくらいには健康で元気なのだが、この寝ても取れないだけは心に残ったままだった--

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