第22話 夜の出来事1(彩)
彩は一人、暗い部屋の中に座っていた。
部屋のドアには内側からドアストッパーをかけていた。
さらにそこに重たいプリンターを移動した。
これで、外からドアを開けることはできないはずだ。
それでも、彩は眠る気にはならなかった。
眠れなかった。
横になっても、頭の中でぐるぐると立花と木村の声が再生されては消えていく。
そのまま時間だけが過ぎていった。
そして、深夜になった。
突然、彩の部屋のドアを叩く音がした。
彩は気配をけし、そっと、傍に置いてあったカッターを手にとった。
この部屋のデスクの中に入っていたカッター。
こんなものを持っていても、力で木村に勝てる気はしない。
それでも、何かを持っていないと気持ちが落ち着かなかった。
夜の暗闇のように広がる不安の中に飲み込まれそうだった。
彩は微動だにせず、ただ次に起こることを待ち続けていた。
だが、それきり、何も起こらなかった。
ノックの音は、それっきり、聞こえなかった。
何の音もしなかった。
彩はゆっくりと立ち上がろうとした。
その時、突然、暗い室内に光が差し込み、一瞬おくれてバイブレーションが鳴りだした。
スマートフォンの画面の光が部屋の中を不気味に照らしだしていた。
バイブレーションの低く鳴り続ける音が異様に大きく感じた。
彩はスマートフォンを手に取った。
電話をかけてきたのは優花だった。
いや、優花だろうか?
優花は木村と付き合っている。
実は木村かもしれない。
電話をとるべきか、迷った。
だが結局、彩は通話を受けた。
「もしもし? 優花先輩?」
彩がたずねると、優花は低い声で、いきなり尋ねた。
「立花さんを殺したの、あなたでしょ?」
「違います」
彩は反射的に答えた。
優花に兄のことは言っていなかった。
だが、疑われても驚かない。
彩には立花が転落する直前のアリバイがないことは、優花も知っていた。
優花は暗い声で淡々と言った。
「いいの。あなたが何をしようと私は興味ない。だけど、タカ……木村はあなたを疑っている。あなたを殺すつもりでいる」
「そうですか」
驚きはない。予想通りだ。
そこで、優花は意外なことを言った。
「あなたを手伝いたいの。あなたの復讐を。木村孝行を殺す手伝いを」
優花の声は本気のように聞こえた。
彩は木村のことを殺したいほどに憎かった。
あんな身勝手な弁明を聞いた後ではなおさら。
だが、彩はきっぱりと言った。
「先輩。わたしは誰も殺したりしません。たしかにあの人を恨んでいるけど。復讐……思い知らせることができるなら、そうしたいけど。でも、木村さんを殺しても何にもなりません。何も理解しないまま死なれても、それじゃ、意味がないんです」
立花が死んだ後、彩は虚しさだけを感じていた。
兄の無念が晴れた気は少しもしなかった。
結局、立花は謝罪もしなければ、悪いことをしたと認めることすらなく、この世から消えてしまった。
どうせ木村も同じだ。
自分は悪くはないと言い続けて死んでいくのだろう。
怒りや憎悪を超えて、今、彩はあの二人をむしろ哀れに思っていた。
まるで学生達がありもしない桜の木の呪いに怯えるように、あの二人は同性愛嫌悪にがんじがらめになって怯えていた。
そして、他人を傷つけるだけでなく、自分で自分を不幸にしてきた。
哀れな存在。
何を恐れているのだろう。
相手が男であれ女であれ、ただ人に恋をし愛し生きていくだけのことなのに。
優花は暗い声で同意した。
「そう。たしかにね。思い知らせることができなければ、意味なんてないのかも」
その声を聞き、彩はたずねた。
「先輩。木村さんと何かあったんですか?」
「なんでもないわ。今の会話は忘れて。私もあなたが言ったこと、やったこと、これからやること、全部忘れるから。お互い全て忘れましょう」
優花からの通話はそこで終わった。
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