2章 連鎖

第11話 6年前の出来事

 夜。

 彩はM棟5階の小さな研究室の中にいた。

 このフロアには先生たちの小さな個人研究室がたくさんある。

 ほとんどの研究室はカギがかかっていて使えないが、7部屋、使える部屋があった。

 だから、感染予防のために、夜はこのフロアで一人一部屋を使って就寝するようにしている。

 

 5階のエレベーターは、ゾンビが侵入しないように板を打ち付け封鎖している。

 4階との行き来ができるのは中央の階段だけだ。

 

 南東に西浦先生の部屋があり、宮沢はその2つ隣の部屋。

 彩とカラの部屋は南西側の桜の木に近いところで、木村は北西、優花の部屋は北東のはずれだった。

 手越先生は4階の研究室を使っている。



 彩は自分の部屋を出た。部屋の中に1人でじっとしているのに耐えられなくなって。

 廊下に立っていると、どこかから声が聞こえた。

 部屋のドアを閉めていれば聞こえない程度の小さな音だ。

 声は4階から聞こえてくるようだ。

 彩は静かに4階に降りて行った。


 声は男性二人のものだった。


「あんたのせいだ! 立花が死んだのは!」


 声はとぎれとぎれに聞こえてきた。たぶん、4階の手越先生の部屋から。

 手越先生は立花隆平が死んだ後、部屋にこもりっぱなしだった。


 あの声は、たぶん木村孝行の声だった。

 木村が手越先生を責めているようだった。

 学生たちの間では、立花隆平の死は手越先生のパワハラを苦にした自殺、ということで落ち着いた。

 カラだけは疑っているみたいだったが、カラは怪しい来訪者が立ち去ってからは、事件について何も発言していない。


 たぶん、木村はパワハラの件で手越先生を責めているのだろう。


 彩は足音を立てないように気をつけながらさらに近づき、女子トイレの入り口の影に入った。

 手越先生の落ち着いた声がはっきりと聞こえた。

 手越先生の部屋のドアは開いているのだろう。ドアが閉まっていれば、声は聞こえなかったかもしれない。


「立花君の死は、私のせいではない。あの書置きは、立花君が書いたものではない。あれは、6年前のものだ」


 やっぱり、手越先生は気が付いていた。

 彩は胸の前で手を握った。

 カラが見つけてしまったあの書置き。あれを見た時の手越先生の表情。

 手越先生はあの時、なぜ立花が殺されたのか悟ったのだ。


 手越先生は話し続けた。


「木村君。6年前のあの事件、君も知っているだろう。君の友人の野村君があの桜の木で自殺をはかった件だ。いや、知っているどころか、君がいじめの黒幕だったのではないか? 立花君がそう言い訳めいたことを言っていたぞ」


 木村はたじろいだような声で言い逃れをした。


「俺は、べつに、悪くありません。俺は野村が仲間に入れるように、オネエっていじったり、冗談にしてやったりしていただけで」


 それを、いじめというのだ。彩は聞いていて辛くなった。

 木村は文句を言うように言った。


「だいたい、あいつはホモのくせに、一緒に着替えたりトイレ行ったり、体に触ってきたり。で、やめろって言ったら、みんな俺のことをおかしいって思うんですよ。男同士だったら普通だろって」


 手越先生が落ち着いた声で指摘した。


「野村君は普通のことをしていただけだろう。君が過剰に意識をしていただけだ。同性愛者だと知るまでは、気にしていなかったのではないかね?」


「そりゃ、そうですけど。でも、みんな理解してくれなくて、俺は辛かったんです。それで、他の奴らにも野村は男が好きなんだって教えて、わかってもらったんです」


 木村によるアウティング。

 それが始まりだった。

 「わかってもらった」と木村は言う。

 何をわからせたのだろう? 

 嫌う相手だと? いじめる相手だと?


 彩は耳を覆いたくなったが、聞かないわけにはいかなかった。

 手越先生は落ち着いた声で尋ねた。


「そして、君たちは野村君を自殺に追い込むまで、いじめたと?」


「俺は別に、そんな悪いことはしてません。そりゃ、立花はけっこうひどいこともしてましたけど」


「同罪ではないかね。君は、とめようとしなかったのだろう?」


 木村は言い訳を続けた。


「だって、そんなことしたら、俺まで野村と同類だって思われるじゃないですか。仕方なかったんですよ。俺は違うって見せなきゃいけないから、いじらないわけにはいかなかったんです。そうしなきゃ、俺まで誤解されてターゲットになるから。そりゃ、野村は恨んでいるかもしれないけど」


「そうだ。恨んでいるのだ」


 手越先生は、重苦しい声でそう言った。


「野村が恨んでいる? 先生は、立花は野村の幽霊、いや、生霊に呪い殺されたって言うんですか?」


 木村がそうたずねると、手越先生はバカにしたような声で言った。


「幽霊? 生霊? 馬鹿を言うでない」


「じゃあ、立花に何が起こったんですか?」


 手越先生は落ち着き払って答えた。


「立花君は6年前の事件の復讐で殺されたのだろう。野村君と親しかった者に。他に何が考えられる? わざわざ野村君の書置きが置かれていたのだ」


 木村は動揺した声で言った。


「復讐で殺された? だったら、先生はなんで落ち着いていられるんですか? 立花が野村の復讐で殺されたなら、俺も先生も、殺されるかもしれないじゃないですか?」


 手越先生は落ち着いていた。


「自業自得だろう。お互い、十分に罪があるのではないかね? 私は殺されるほどのことをした覚えはないが、後悔はしている。野村君には可哀そうなことをした。君や立花君達の将来のためには、大ごとにしない方が良いと思ってきたが。あの時にしっかりと処罰を下すべきだったのだろう。非を認めざるをえん。この事件は私が招いたことだ」


 木村は裏返った声で叫んだ。


「そんなこと言ってあきらめないで、どうにかしてくださいよ、先生!」


「私に何ができる。これ以上君と話すことはない。もう帰ってくれ」


 手越先生の部屋を出た木村が、廊下を歩きながら独り言をつぶやくのが聞こえた。


「冗談じゃない。俺は老い先短い年寄りじゃないんだ。黙って殺されてたまるか。犯人を見つけないと。やられる前にやらないと」


 木村は、5階へは戻らず4階の廊下を歩き去っていった。どこかのドアが開き、閉まる音がした。


 彩はトイレの外には出ず、そっとトイレの個室に入った。

 もしも今誰かに会えば、平然とふるまうことができそうになかった。

 狭い個室の中で、彩はひたすら立ちつくしていた。涙と震えがとまらなかった。悔しくて、仕方がなかった。


(お兄ちゃん……)


 声にできない声で、彩は呼びかけた。

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