第10話 ゾンビ、爽やかに朝を迎える
カラの秘密?
まさか、「あたし、実は殺人犯なんだー。これからバンバン殺していくから、よろしくー」とか言い出さないよな。と、俺が心配になっていると、カラは言った。
「信頼できる人にしか言わない秘密。ここではニッシーとアヤヤンしか知らない秘密だよ。あたしはトランスジェンダーなんだ」
「トランスジェンダー……元男ってこと?」
トランスジェンダー。要は、心と体の性別が一致せずに生まれた人達。
大してめずらしくない存在だけど。
しばらく前に、ジャーナリストの父さんが言っていた。
LGBTの人権問題はしばらく前まで徐々に改善されつつあったけど、ここ十数年は停滞していて、むしろバックラッシュが起こっている。
LGBTをやたらと嫌う人達が少数だけどいて、最近はヘイトクライムが多発している。
特に外見や証明書等からバレてしまうトランスジェンダーは被害にあうことが多い。
つまり、今の日本では知られると危険な情報だということだ。
カラは言った。
「あたし的には生まれた時から女の子だけどねー。あ、「男に見えなーい」とか、ウザいこと言ったら怒るから」
「言わないって」
言わないけど、カラは見た目も声も、平均的な女子よりも、だいぶかわいかった。
ファッションさえ今風なら、モデルや芸能人かと思うほどに……。まぁ、俺にファッションセンスをどうこういう資格はないけど。
「じゃ、今度はフミピョンの秘密。誰にも言わないから、教えてよ。なんでゾンビに襲われないの?」
カラは勝手に秘密を暴露したんだけど。
でも、俺は正直に白状した。カラは信用できる気がしたから。
「なぜなら俺はゾンビだから。俺はだいぶ前に感染したけど、皮膚症状以外はほぼないんだ。原因は中林先生が調べている最中。つまり、原因不明」
「へぇ。アランが何かやったわけじゃなかったんだ。やっぱ、いるんだね。そういう体質の人」
カラは驚いてもいないし、ゾンビと会話をしていることを、なんとも思っていないようだった。
「うん、まぁ……。反応薄くない? 俺、しゃべるゾンビだよ?」
「色んな人がいるもん。ゾンビウイルスが効かない人くらいいるっしょ」
カラにとっては、俺が思っていたほど、ゾンビだということは大事じゃないっぽい。
それに、そもそもカラは最初から気づいていたみたいだ。
どこでバレたんだろう。と思いながら、俺はたずねた。
「カラは俺のこと、いつからゾンビだって疑ってた?」
「最初に視界に入った瞬間に決まってるじゃん。ゾンビに襲われない、プラス、この暑いのに顔も皮膚も出さないって。どう考えても、ゾンビ以外ないでしょ」
一瞬でバレていたのか……。
俺はそこでふと疑問に思った。
「だけど、最初に会った時。俺がヘルメットをはずさないといけない圧を感じた時、たしかカラは……」
工学部の人達が俺にヘルメットをはずさせようとした時、カラが俺に助け船をだしたのだ。
俺がフルフェイスヘルメットを外さずに自然にあの場を離れることができたのは、カラのおかげだった。
「あー。ザワチン、うざかったよね」
「カラはわざと、俺のことをかばったってこと? ヘルメットをはずさないですむように?」
「うん。だって、いやじゃん。むりやりバラさせられるの。あたしだったら嫌だよ。リスクがある状況で、信用できない相手にむりやり言わせられるの。何言われるか、何が起こるか、わからないじゃん」
俺は力強く同意した。
「そうなんだよ。俺はゾンビだって知られることは別に嫌じゃないんだ。だって、俺、ゾンビだし。だけど、散々ゾンビだからって殺されかけたから。もう、よくわからない人には知られたくないんだよ」
カラは力をこめて言った。
「わかるー。安心して。誰にも言わないよ。あたし、こう見えて意外と口が固いんだ」
「へー。俺はこう見えて、意外とうっかり口がすべっちゃうけど。カラの秘密は守るよ」
「ま、あたしは別に、いいんだけどね」
俺はすっかりカラと意気投合した。
俺はなんとなくカラは殺人犯じゃないと確信したので、気になっていたことをたずねることにした。
「今日の事件、俺は殺人事件だと思うんだけど」
「実は、あたしも、そう思うんだよね。てか、他には考えられないって。チョベリバだけど」
チョベリバ? 何語だろう。英語ではなさそうだ。まぁ、いいや。
「でさ、俺の推理によると、犯人は工学部の建物内で立花さんを殺して、証拠隠滅のために窓の外に投げ落としたんだと思うんだ」
「ありそー」
「建物内に凶器とかなかった? アリバイとかは? 立花さんは俺が到着した時にはまだ生きていたはずだから、俺がみんなと最初に会ってる時か、その直後に殺されたはず」
カラは少し間を置いてまじめな声で言った。
「アリバイがない人はいるけど、犯人じゃないよ。立花さんに腕力でかなうわけがないから。殺害手段がないもん。それに、絶対に人を殺すような人じゃないから、ありえないよ」
「じゃ、犯人の心当たりは?」
カラはため息をついて言った。
「なしよりのなしー」
「そっか。俺は遺体は確認できるけど、他の手がかりは見つけられないからな……。殺人犯が中にいるのってなんか不安になるけど」
「不安になるのは、あたし達じゃん。フミピョンなんて、どうせ安全な場所でチルってんでしょ? うらやましすぎるんですけど」
たしかに。俺は図書館でまったりしている。てか、寝てた。
そこで、俺は唐突に中林先生から頼まれていたもう一つの用事を思い出した。
「そういえば、中林先生にロボットの開発や整備ができる人をスカウトするように言われてるんだ」
「ふーん。ロボットなら手越研だけど。今いるのはテゴッチとキムキムだからねー。アランの研究所って、隔離地区の中でしょ? あの二人は行かないだろなー」
まともな人間は絶対に行きたがらない、と俺も予想していた。
そもそも、研究所がある隔離地区からは退避するように、と国が命令している。
俺は嘆いた。
「だよなー。隔離地区はゾンビがうようよ、研究所の外には一歩もでれない生活で、ゾンビを駆逐したい国防軍が化学兵器をばらまくし、これからさらに空爆されるかもしれないし。おまけに研究所内には俺っていうゾンビもいるし」
「別に、フミピョンなら、いいじゃん。むしろフミピョンがいるのはプラスだよ。他はやばいけど」
カラは全否定ではなく、そう言ってくれたので、俺はダメ元でカラをスカウトしようかと思った。
化学兵器や空爆に関しては、研究所の地下は核シェルターを兼ねていて完全防備で安全だから、説得できるかもしれない。
だけど、その時、カラのいる部屋で何かが起きたようだった。
「アヤヤン? どうしたんだろ。じゃ、フミピョン。アヤヤンが来たから、もう切るね。また明日」
「うん、また明日」
俺は通話を終了してスマホを置いた。
話し終えると、なんだか疲れがふきとんでいた。
感謝なんてされなくてもいいと思っていたけど。やっぱり感謝されるのは、気分がいい。
やる気を出した俺は、中林先生に渡された文献リストの本を一冊探し出した。
「さーて。ゾンビ治療薬開発のために、勉強、勉強」
ところが、本を開いて数秒で、激しい睡魔が俺を襲った。
中林先生の指定図書は、日本語で書いてあるとは思えない難解さだったのだ。
これを読んでも、俺には何も理解できなさそう……。
俺はあきらめて、中林先生に「今日は大学図書館に泊まります」と連絡をいれて、寝ることにした。
館内の電気の消し方がわからなかったので、俺は個室の自習室に入って寝た。
翌朝。俺が目覚めて、今何時だろうと思ってスマホを見ると。西浦先生から、できたら朝すぐに来てくれないかという内容の丁寧なお願いメッセージが入っていた。
やっぱり、工学部のみんなはすぐに避難したくなったらしい。
でも、時刻はまだ朝6時前だった。
さすがに、まだみんな寝ているだろう。
俺は起きると、図書館のトイレで顔を洗ってから、カフェに向かった。
今朝はのんびり優雅にホットサンドとチーズケーキとカフェラテを頂くことにした。
時間もあることだし、俺はコーヒーのラテアートに挑戦してみた。だけど、なかなかうまくいかなくて、何杯も作っちゃったから、ゾンビのお客さんたちに朝のコーヒーを配っておいた。ゾンビはほとんどみんな、まだ寝ていたけど。
さて、朝食を終えた俺は、工学部の人達用にグラノーラバーを1箱入手して、カフェを出た。
俺はのんびり歩いて行った。
朝のキャンパスには小鳥のさえずりが響いていた。
とても爽やかな朝だ。
俺は思わず鼻歌をうたいながら、歩いていた。
俺は角を曲がって、正面に工学部の建物が見える場所に出た。
工学部の建物にむかって歩きながら、俺は何かが昨日と違うことに気が付いた。
何かが垂れ幕のように、窓からぶら下がっていた。
HELPの文字が貼り付けられた窓と同じ階の右端の窓。
開いた窓の下に、もう助けようのない死体が、その姿を見せつけるように、窓からぶら下がっていた。
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