ごきげんな朝食からの、ウソのニオイ

「しっかし、朝っぱらから良く食うなぁ………」

「うんっ! 女子高生はいっぱい食べないと死んじゃうのっ」

「へぇ~……」


 彼女のとんでも理屈を軽く聞き流し、僕は熱い緑茶を啜った。


「ん? どしたの?」

「ううん、なんでもない」

「食べないの?」

「いや、もう少し経ったら食べ始める」

「ふぅ~ん」


 思えば、こうして誰かと日曜日の朝に食事をとるのなんて、いつぶりだろうか。

……刹那、イヤなノイズ交じりの思い出が描画されそうになった。

僕は必死にそれらをかき消そうと軽く左右に頭をふり、箸を手にとり、食事を始めることにした。


「いただきまぁす」

「めっしあっがれぇ~!」

「……朝っぱらから元気だなぁ」

「うんっ! 女子高生は無敵だしぃ!」

「へぇ~……」


 ……いや、無敵なのはお前だよ。と、胸中独りごつ。



 朝食の内容は白米、なめこと豆腐、長ネギの味噌汁、玉子焼き、山盛りの大根おろし、焼いたウィンナー、梅干し、となる。


「てかさ、この玉子焼きマジ美味しいぃ! たぁりんヤバッ! おばちゃんの味に似てるぅ」

「おおそうか、口に合ったなら良かったよ。白だしと本みりん、それときび糖で作ってあるんだ」

「ふぅ~ん」


 そこは興味なしなのかっ!

 「白だしなんだぁ!」とか、「みりん風のやつじゃなくて、やっぱ本みりんなんだねぇ!」とか、「上白糖じゃなく、き、きび糖ぉ?」とかとかっ! ってまぁあるわけないか。

 と、ハナがおもむろに手を伸ばした。


「よいしょっ。これこれぇ~」


 どんぶりに山盛りで用意した大根おろしを大きなスプーンで取り、玉子焼きの脇へどさりと乗せた。そしてそこにたっぷりと醤油をたらす。


「やっぱ玉子焼きには大根おろしだよねぇ」

「うん、だな。ハナが手伝ってくれて助かったよ」

「えへへぇ~、まぁねぇ~」


 その実、すり過ぎである。小鉢に少しくらいでいいものなのだ。

 ことの発端は、朝食の支度をしている際中、隣でチョロチョロとうるさかったので「お手伝い」という名目で大根のすりおろしを頼んだことに始まる。

 案外、というよりか、想定通りに腕力はあるようなので、文句の一つも言わずに楽しそうに作業に没頭してくれた……結果がこの山盛り、なのである。

 まぁ鮮度が気になるが、余ったら余ったで昼の一品にみぞれ煮でも作れば良いだろう。と自己解決。

 何より、彼女が純真な真心でもって手伝ってくれた証なのだから、それは良しとし、美味しく頂こうではないか。そう得心した。


「なめこのお味噌汁も美味しいし、ウィンナーもいいねっ! たぁりんサイコぉ~」

「うん、美味いな」


 そんなに豪勢でもないのに、ここまで喜んでくれるとこちらまで嬉しい気持ちになる。

 改めて他者への感謝の重要性に気付かせてもらった気がした。

 そう何かにしみじみ浸っていると……


「お代わりしていいっ?」

「お、おう。好きなだけ食いなぁ」


目をキラキラさせながら請うてくるハナに対し、僕は少し慄き返事をした。


「やったぁ!」


 そして彼女は笑顔で大盛りの白米と、味噌汁のお代わりを持ってきた。

 僕は何故だか急に興味が湧きだし、暫くハナの動向を観察することにした。


まずハナは、玉子焼きに、醤油をたらした大根おろしを乗せ、頬張る。

何とも美味そうに食う。

 幸せそうな笑みを浮かべたのち、それらがまだ口中にある状態で白米をかきこむ。

 やはり美味そうに食う。

そして再度、幸せそうな笑みを浮かべ、最後に味噌汁を流し込み、「はぁ~~~~~」と一息つき、恍惚とした表情で〆た。


 これらのルーティンの合間に梅干しをちょっとかじってアクセントにしてみたり、ウィンナーを頬張り、味のバリエーションを増やしてみたり、と……ってこいつ、どこのグルメ野郎だよ……。

そう思いながらもふと目をやれば、彼女のおかずは残り僅かとなっていたので……


「ハナぁ、僕の玉子焼きとウィンナーも食べていいよ? 食べかけで嫌じゃなければ!」

「えぇええっ? ほんとにぃ? まだ半分も残ってるじゃん。いいのぉ?」


 彼女におすそ分け。……てか、こういうとこ、マジで可愛いんだよなぁ。


「うん。あんまし朝はガツガツ食べないし」

「ありがとぉ! んじゃあもらうねぇ!」


 こりゃもう女子高生というよりかは、高校球児だなぁ。と、半ば呆れながらも、どこか食事を作る喜びを感じてしまった。




「ごちそうさまでしたぁー!」

「はい、お粗末様。ご馳走様でした」

「いやぁ~まんぷくまんぷくっ! で、今日は何すんのぉ?」

「うん、考えてはあるけど、まずはゆっくり食休みでもすれば? まだ朝早いし」

「はぁーい! んじゃあそうする~」


 二人で下げた食器をもくもくとひとり洗う。「手伝おうか?」とハナは言ってくれたのだが、大した量でもないので、丁重にお断りさせて頂いた。

何より、残さず綺麗に平らげてくれたので、洗い物が楽だったということも理由として挙げられる。

とても気持ちの良いことだ。


 正直、挨拶やお礼もそうだが、食事に対する姿勢(そういったものを他人に押し付ける気はないが)などの行為で、どこかその人間を判断してしまう節はある。

 お里が知れるなぁ。と。

 ゆえに、ハナは同じ価値観を持っている人間で良かったとつくづく感じた。

 何故なら、そこまで長くはないと言え、二人のこういった日々がこれから続いてゆくのだから。

 と、ここで不意に疑問が生じた。


「ハナぁ」

「なぁにぃ?」

「僕がお前の人狼化を防いだ後ってさ、奈良のおじちゃんとおばちゃんのとこに帰るんだろ?」

「ううん、ずっとたぁりんといるよぉ~」

「へっ?」

「へっ?」


 ……また何かが発動して一瞬時が止まる。うん、きっと僕の聞き間違いだろう。

 そして時は動き出した。


「う~んと、僕がしっかり御勤めを果たして、ハナの人狼化を防いだら、万事解決、だよね?」

「うんっ! 頼りにしてますっ!」

「で、その後は、おじちゃんとおばちゃんのところへ……」

「帰らないよ?」

「へっ?」

「ん? ここに、っていうか、たぁりんといるよ?」


 ……この子は、いったい何を言っているんだ?

 ……ふぅ、落ち着け、落ち着け。

 ……一つずつ、一つずつだ。そう自身に言い聞かせ、質問を続けた。


「え~っと、ハナの人狼化を食い止められるのは僕しかいない」

「うんっ」

「でぇ、食い止めたら、それで終わりだよね?」

「うんっ」

「でぇ、奈良には?」

「帰らないよ?」


 即答っ! 彼女のその言葉には強い意志を感じた。

 とここで、僕は一つの誤解をしていたことに気が付いた。


「そっか! 高校卒業まではこっちにいるって話、だよな? そかそか、まぁそうだよなぁ、転校続きじゃ……」

「ん? ちがうよ? たぁりんとずっと一緒にいるよ?」

「へっ?」

「だってぇ、ようやく一緒になれたんだよ?」


 ……なってねぇよっ! それと、ようやく、ってどういう意味だよっ!


 僕には僕の生活や人生があるというのに、お前はいったい何を言っているのか解っているのか? 

それよりなにより、君にも君の人生があるじゃないかっ! それを第一に考えて、僕との共同生活なんてすぐにやめるべきなんだっ! 

誰になに言われるか解らないんだぞ? 変なやっかみからありもしない悪い噂だって吹聴されるかもしれないんだぞ? 女の子の世界にはそういうの良くあるだろっ! 

 ……などと言えるはずもなく……


「……え、え~っと、なぜ一緒に暮らし続けるんだぜ?」


 ……至極当たり前の言葉ではあると思うが、恥ずかしいかな、今の僕にはこれが精いっぱいの言葉だった。


「……う~ん、ぶっちゃけあたしさぁ、まだまだ知らないことばかりじゃん? で、今回のこれってさぁ、何か、特別なきっかけ? だと思ってるんだよねぇ」


 ……よしっ! ここは大人の男として、まずしっかり彼女の言い分を聞こうではないか、と腹をくくった。


「……お、おう」

「そりゃあ向こうの高校出ちゃってさ、友達とも離れちゃって、おじちゃんとおばちゃんとも離れちゃって、淋しいよ? でもそういう辛いこと、困難? とかってさ、きっと良いことが起きる前兆っていうんだっけ? きっとそれだとも思うんだよね」

「…………お、おう」

「お父さんとお母さんが死んじゃった時も、おじちゃんとおばちゃんが泣きながらあたしのこと抱きしめてくれてさ、何かそんなようなこと言ってくれたの覚えてるんだよねぇ。……うん、たぁりんも」

「…………え、え~っと」


 やばいっ! 心がグチャグチャになってきた! 

ハナの明るさに不幸な境遇忘れていたしっ! 

……とにかく僕は平静を装って彼女の話を聞き続けた。


「やっぱ辛いよ? でもさ、みんな応援してくれてるし、前向いて生きていかなくちゃって思うのねっ! あっ、あと、やっぱ何よりぃ、たぁりんがいてくれるからねっ!」


 ……そうかぁ、ハナも色々と考えているんだなぁ、若いのに立派なもんだなぁ。うんうん……って違ぁああああああああああああうっ!

 そうじゃねぇ、そうじゃねぇんだ! もっと根本的な問題なんだっ!

 お前は凄いっ! そして偉いっ! それはよぉく解っているし、僕にできることは何でもやってやる。

 でもな、もう一度言う、ちげぇ! そこじゃねぇんだっ! そうでもねぇんだよっ!


 一瞬僕は、カンストしている彼女のヒロイン属性に心を持っていかれそうだったが、何とか堪え、我に返った。

 

 ……とはいえ、そう、とはいえだ、どうやって、どんな言葉を彼女に返せばいいんだ? 

こういう時、なんていうのが正解なんだ? 

 残念ながら僕には解らず、言葉が詰まってしまった。


「へっ? ……もしかして……ヤ、なの?」


 ほらもぅ……。

 さすがの彼女も、何の返事もしない僕に違和感を覚えたのだ。


「へっ? い、いやぁ、べつにぃ? ……まぁ、イヤってわけじゃあ、ないけどねぇ~」


 曖昧な返事をしてしまった。だが、悪意はない。

 大人として最低かもしれないが、今はそういうことにしておくことが、僕らにとって最善だと思ったからだ。

そして時が経てば、きっと彼女の心も変わってゆくのだろうから。


「……あれ? たぁりん? ほんとに、ほんとぉにぃ……ヤじゃ、ない、よね?」


 パッと彼女の顔を見やれば、つぶらな瞳は潤みだし、その表情はこの世の絶望を一身に背負った何かのヒロインそのものだった。

……かぁあああああああああああああああっ! ずるいっ!

僕は苦し紛れに言葉を返す。


「な、なんだよ急にっ! んなわけねぇだろっ!」

「あっ! ……う、うん。そう、だよね? ううん、なんとなぁくさ、そのぉ、ウソっぽいニオイ? っていうのかな。……そんなのが、たぁりんからしたからさ……」


 こ、こいつニュータ〇プってやつなのか? と冗談言っている場合じゃないが、本当にそんな感じがしたのも確かだ。

 そも、狼人間って、ある意味人類の新しい形だろうし……。


「おいおい、ハナ、バカ言えよ。嫌なら美味しいご飯食わせたり、身の回りの世話なんてやらないだろう?」

「……そだよね。えへへぇ……」

「うん、ちょっと、ぼぉっとしただけだよ」


 明らかに二人の間には重たい空気が流れ始めた。


 あああああああああああああああああああああああっ! 

めんどくせぇえええええええええええええええええっ!

……心の叫びは虚しく、胸中で轟くだけであった。


 外を見やれば、朝日が眩しく、僕を脅迫しているようだった。

 今日という一日は、まだ始まったばかりだ。

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