ホテル雪椿より、まごころこめて 〜雪国・越後湯沢のおもてなし〜

緒環 冥

第1章 大切な一ページ

大切な一ページ①

 十二月二十日。真っ白になった町の景色は、今日という日を迎えるにふさわしい色合いだ。日本海側特有のしっとりと重たい雪がたっぷり折り重なって、この二週間ほどでじゅうぶんすぎるくらいに積もっている。越後湯沢の冬はこうでなくちゃ、と、桐島莉奈は今日という日に気合を入れ直した。


 莉奈が働くのは、新潟県の湯沢町――「越後湯沢」とも呼ばれるリゾート地にある、ホテル雪椿だ。石川県の加賀市に本社を置く「花咲ホテルグループ」のひとつであり、温泉リゾート地に立つホテルとして全国で十番目に作られ、今年で丸九年が経つ。そして、今日からは十年目に入る。


「おはようございます。ミーティングを始めます」


 毎朝九時の定例のミーティングが、予約マネージャーである高桑の挨拶で始まった。その場に集まった全員が、真剣な表情でその日の予定表を手元に開いて、彼が話す内容を確認していく。


 新幹線も停まる越後湯沢駅の西口を出て温泉街を少し歩いたところに、このホテルは建っている。土産物屋や数々の立派な宿泊施設に囲まれた中で、若干規模は小さめではあるものの、そのブランド力とファミリー向けに振り切った戦略が功を奏し、オープンからこれまで順調に業績を上げてきている。

 もともとこの町は、関東からのアクセスがとても良く、バブルの頃はリゾートマンションが数多く建設された場所のひとつでもある。「東京都湯沢町」とすら言われたその頃に比べれば落ち着いたものの、日帰りでも泊まりがけでも気軽に楽しむことができる観光地のひとつとして、今でも観光客は四季を問わず訪れている。


 だが、その中でもやはり冬は桁違いだ。町中どこに行っても人が多く、飲食店などは大混雑だし、週末となればどこのホテルもなかなか空きがなくなる。もっとも、場所や施設によっては集客の見込めない春から秋は営業日を縮小したり休業したりするところも多いので、むしろ冬のうちに大きな利益を確保しておかなければならないのだが。


 その中にあって、ホテル雪椿は通年営業している宿泊施設のひとつである。駅に近いというのはかなりのアドバンテージであり、また高速道路のインターチェンジからも十分とかからないので、冬以外の季節もレジャーや観光ツアーで来館するお客様――ホテル雪椿ではゲストと言っている――が一定数確保できるのだ。駅から近いこのあたりのホテルはそういったところが多い。春と秋になるとツアーバスがそこかしこのホテルに停車している。


「では、総支配人からお願いします」


 各部署からの報告が終了し、高桑は総支配人の若杉に話を振った。若杉はいつもひと目で価格がわかるような形の綺麗なスーツを着こなしているが、今日は一段と気合が入っているようだ。ネクタイは一番のお気に入りだという千鳥格子のものだった。


「今年もこの日を無事に迎えることができました。今日からこのホテルも十年目に突入します。さっそく、お客様がたくさんいらしています。ぜひみなさん一丸となって、お客様へ心を尽くしていきましょう」


 はい、とその場の全員が返事をして、ミーティングは終了となった。莉奈は自分の所属であるホテルフロントへ向かう。チェックインとチェックアウトでそれぞれ行列ができており、夜勤明けを含めた十名近いスタッフが忙しなく働いている。莉奈はチェックアウト専用のカウンターに入り、夜勤シフトに入っていたフロント主任の椎名純に声をかけた。彼は慣れた手つきでお釣りと領収書を用意しながら器用に振り向いてくれた。


「おう、桐島。ミーティング終わったか」

「はい。インチャージ、引き継がれますよ。もうすぐ漆間さんたちが来るので、彼女たちに引き継ぎしたら栗原くんと一緒に定時であがってください」

「はいよ」


 毎年創立記念日のこの日に、ホテル雪椿はスキーシーズンプランに切り替わる。町内のスキー場と提携したプランで、スキー場のリフト券などの特典が含まれたプランだ。そのチケットを受け取ってからでないと各スキー場で特典を受けられないので、ほとんどのお客様は客室に案内できる時間はまだ先だが、チェックイン手続きだけ済ませるために来館する。

 そのため、例年チェックイン専用カウンターをロビーに設けるのだが、同様に宿泊していたお客様もスキーに行くためにどんどん出発されるので、毎年この時期のロビーはとんでもないことになってしまう。うまいこと隙を見つけてシフトを回していかないと、うっかり帰るタイミングを逃して何時間も残業、なんてことになりかねない。


 莉奈は続けて、一年後輩の栗原幸哉を呼び止めた。


「栗原くん、漆間さんが来たら彼女と交代して上がってね。引き継ぎ事項があったら教えて」

「了解です。今のところ抱えてるのはないので、大丈夫ですよ。交代したら拾得物台帳だけ整理して帰りますんで」

「うん、よろしく」


 夜勤の二人が問題なく帰れそうなことを確認してから、莉奈はチェックインカウンターへ向かった。入社して五年目だが、配属当初から指導してくれた日勤の先輩は半年ほど前に家庭の都合で退職してしまったので、まだ未熟な部分はありながらも莉奈が日勤のリーダー――インチャージとして勤務するようになっている。

 フロント係にもマネージャーはいるけれど、カウンター業務のプレーヤーとしてカウントするわけにはいかない。正直、重荷に感じる時もあるのだが、やるしかないと言い聞かせている。それでも自分が中心となって動かなければならない初めての冬に対する不安は大きい。


 チェックインカウンターも混雑が続いていた。どうしても説明することが多くなるので、冬の時期の手続きには時間がかかる。ゲストも到着したばかりで、移動疲れと早く遊びに行きたい気持ちで苛立つことも少なくない。ここはフロントスタッフの腕の見せ所でもある。

 ややこしい予約の後処理に追われている新卒スタッフの代わりに、莉奈はカウンターに入った。彼にはバックオフィスで整理してくるよう声をかけて、列の先頭のゲストを呼び寄せる。


「お待たせして申し訳ございません。本日はお越しいただきありがとうございます」

「朝からごめんなさいね。お忙しい時間に来ちゃって。橘といいます。橘めぐみ」


 その高齢の女性は、上品な口調で名乗った。ホテルシステムで名前を検索すると、二名での予約が確認できた。部屋はスイートルームだ。


「橘様、ありがとうございます。本日のご一泊、二名様のご予約ですね。宿泊カードのご記入をいただけますか」


 到着時に必ず記入をお願いしているカードとペンを渡して、莉奈は予約内容の詳細な確認を始めた。スイートルームはこのホテルには一つしかない部屋で、冬の一泊二食付きなら二人で十五万円という価格のため、必ず役職者から挨拶をする決まりになっている。画面を見ながらバックオフィスに内線をかけて、フロントマネージャーの佐竹を呼び出した。

 めぐみがカードを書き終わり、差し出してくれたので、それを預かった。かわりに館内案内図と部屋番号が記載された、二つ折りのカードを提示する。


「では、本日は客室最上階の十二階、一二一〇号室のスイートルームのご用意となっております。こちらのお部屋は十四時からご利用いただけます。これからお出かけになられると思いますので、戻られましたらこのカードをフロントカウンターにお持ちください。その時にカードキーのお渡しと、お部屋までのご案内をさせていただきます。お食事は本日十八時にお部屋にて洋食フルコース、明日の朝食も同じくお部屋にて七時半から和食膳にて承っておりますが、間違いないでしょうか」

「ええ、大丈夫よ」

「ありがとうございます。続きまして、館内についてですが、当ホテルは以前にもご利用いただいたことはございますか?」

「ええ、ここができたばかりの頃に何度か。でもそれからご無沙汰で、久しぶりなの。だから今一度、教えていただけるかしら」


 莉奈はかしこまりましたと返事をして、館内図を使って簡単に説明をした。食事はルームサービスなので、レストランの案内を端折れるのはありがたい。温泉大浴場やエステサロン、バーなどを案内すると、めぐみはありがとうと微笑んだ。少し色の入った眼鏡の向こうで、瞳が柔らかく細くなる。


「また、わからないことがでてきたらお電話してもいいかしら」

「もちろんです。フロントはお部屋の内線から七番ですので、何かございましたらいつでもご相談ください。夜間もスタッフはおりますので」

「ありがとう。それなら安心ね」


 旦那との思い出の場所なのよ、と、めぐみは言った。


「もともと、加賀にある花菖蒲というホテル、あちらもお宅の系列でしょう? よく行っていたの。旦那が石川が大好きで、いいホテルがあるからここに泊まろうって、もう十回くらいは利用させていただいたわ」

「光栄です」


 ホテル花菖蒲は、四十年ほど前に石川県の加賀市につくられたホテルだ。花咲グループの中で最初にできたホテルであり、本社機能も併設されている。写真映えする内装とどの層も検討しやすい価格帯で、加賀温泉郷のなかでも人気のホテルだ。

 そして、加賀市から全国各地の温泉地に系列のホテルが開業した。ここ雪椿もそのひとつである。今は関東や北陸を中心に、全部で十のグループホテルが営業している。


「それで、越後湯沢にも花咲グループさんのホテルができたと聞いて。長岡に住んでいるからとても近いけれど、来てみたらやっぱり素敵で、日常を忘れてしまえるところだわと思ったの。久しぶりだけれど、また今日も楽しませていただくわね」


 めぐみはそう言って、カードを受け取ってから振り向いて歩き出した。後ろのソファに夫が座っていたようで、スーツケースとボストンバッグに手をかけていた年配の男性がゆっくりと立ち上がった。

 そこへちょうど佐竹が向かっていき、声をかけた。何気ない仕草で荷物を預かりつつ、挨拶をしている。莉奈はその様子をちらりと見てから、次のゲストを呼んだ。そろそろ次の新幹線が越後湯沢駅に到着する時刻だ。あと十五分もしたらまた混み始めるだろう。それまでに今の列を捌いてしまわなくては。


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