騎士姫さまのお着替え事情

駒万乗

第1話 

 うららかな春の日差しが窓から差し込んでいる。

 エルシュペット王城西の塔、通称白の塔の最上階にある小さな部屋である。

 地上からは長いらせん階段をのぼる以外、到達するすべのないこの部屋は、普段は使われることなく捨て置かれ、三月に一度ほど掃除の手が入るのみであった。

 かといって、物置であったり持て余された無駄な部屋というわけではない。

 そもそも、白の塔はエルシュペット王家の神聖なる儀式にまつわる建造物であり、最上階のこの小部屋も、その例に漏れなかった。

 石壁に囲まれた円形の空間にはほとんど物がない。厳かな装飾が施されたチェストと、白地に花の模様の衝立があるばかりである。

 その衝立の奥で、この王国の姫君、スピテナ・エルシュペット殿下が悪戦苦闘していた。

 スピテナ姫は御年17歳。

 幼い頃より読書を好み、運動や社交より花や草木と触れ合うことに時間を割く少女であった。口数は少なく、大勢の中で目立つ存在ではなかったが、相手が誰であろうと、教えを乞う生徒のように真摯に耳を傾ける態度は、不思議な印象を残した。控えめながらその言葉には常に深い思索と慈愛が満ちており、王家の姫たる気品と、年頃の少女のたおやかさが、接する者の忠誠心と庇護欲を刺激した。何より、大陸中でも有名なエルシュペット王家伝来の亜麻色の髪が、例えば草原の夏の風になびく様などは、精霊が具現化したかのような美しさで、観る者に感嘆のためいきを、芸術家たちには歓喜の涙を誘ったのである。彼女のほほえみを垣間見るために近衛軍に入隊を希望する不届き者は、毎年増える一方であった。

 だが今、スピテナ姫の細面に浮かぶのは、ほほえみでなくは苦悶の表情である。

 部屋には姫一人。

 普段の神官のローブのような衣装は脱ぎ捨てられ、白い肌はわずかな下着に覆われたのみ。日光を柔らかく反射するその肌にはうっすらと汗がにじんでいる。

「どうすればいいの……全然収まらない……」

 スピテナ姫は着替えに困っていた。

 足元には青く光る甲冑が各部位ごとに並べられている。これはエルシュペット王家の長女が女神の祭壇に詣でる際の儀礼装束なのである。王家には長女が17になると、この女神の鎧をまとって祭壇に祈りを捧げ、王国と国民の安寧を祈願するという儀式があった。

 鎧は代々伝わる由緒正しいものである。神聖さはこの上なく、基本的に儀式に参加する者以外が触れることは許されない。

「困ったわ……んっ……ご先祖様たちは……どうやったんだろう?」

 先ほどからスピテナは、何度も姿勢や向きを変えては甲冑を身に着けようと頑張っていた。手と足の部位はどうということもない。女神の横顔が彫り込まれた兜も難なくかぶれそうである。

 胸が問題であった。

 いくら身をよじっても角度を変えても、はみだしてしまう。胸当てが設定している体積に、胸が収まらないのである。

 このままでは鎧が身に着けられない。ということは、儀式に参加することができないのである。歴代の長女たちが皆身に着けてきた鎧。先代から数十年ぶりの儀式とあって、国内外の注目度は高い。スピテナ自身も、王家の伝統を誇りに思っていたし、自分に課せられた重責をまっとうしようと真摯な決意を固めていた。

 にもかかわらず、鎧が着られない。前を合わせると後ろの留め金が届かず、後ろを先に合わせると、胸が甲冑を弾いてしまう。スピテナは泣きそうになった。

 エルシュペット王家は血統的につつましやかを旨としていた。それは精神的な部分においても、それ以外の部分においても、である。

 スピテナは性格面においては申し分なく伝統を受け継いでいたが、体の方はまるで反する成長を得ていた。異端といってもいい。

 鎧の設計者が想像だにしていなかったであろう豊満さが、我が身に備わっていることを本人は知らない。これが神の与えた試練であるかのように、おのれの不明を恥じるかの如く、汗をにじませながら一生懸命うんしょうんしょと身をよじっているのである。

「もう一度やってみましょう。まず胸をあてがって……」

 スピテナは己が胸を片手で支えながら、もう一方の手でそっと甲冑をあてがった。胸は弾力を有しながらも十分に柔らかい。多少形が合わなくても、空間に余裕さえあれば収まるはずなのである。

 右の胸が収まった。最初はひんやりと冷たかった胸当ては、すでに体温と同じぬくもりを有している。

「このままそっと、こっちを……ひゃあっ!」

 抑圧を拒む生物のように、スピテナの左胸は勢いよく甲冑をはねのけた。大きな音を立てて胸当てが転がる。スピテナはへなへなと座り込んでしまった。

「どうしよう……このままじゃ、儀式に参加できない」

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