第7話 おふたりの頑張りで

 翌日の火曜日、さっそく才原さいばらさんはお客さまとして訪れた。酒呑童子しゅてんどうじの姿は無い。いないのでは無く、姿を消しているのだろう。その気配を双子は感じ取れないのだが。


「僕もあの人もここの赤飯が食べたくて、さっそく来てまいました」


 才原さんはにこにことそうおっしゃる。席に掛けられ、さくから受け取った温かいおしぼりで手を拭かれた。


「ほな、今日もお赤飯ですね。お酒はどうしはります?」


 酒呑童子がいるのだろうだから、飲まない選択肢は無いだろう。才原さんはお飲み物のおしながきを眺める。


「今日は「秋鹿あきしか」の冷やにします」


 秋鹿は大阪府の地酒のひとつである。酒蔵は大阪府最北端の能勢のせにある秋鹿酒造だ。山田錦の米作りから醸造までを一貫して行なっている。


 辛口の純米酒で、きりっとしているのだが、冷ややかんで飲むとやわらかさが顔を出す。酸味と相まって素晴らしい旨味となるのである。


「はい。お待ちくださいね」


 朔は酒棚から秋鹿の一升瓶を取り出し、丸いグラスに注ぐ。その間に才原さんは腰を浮かせてお惣菜を眺めていた。


 秋鹿のグラスをお出しすると、お惣菜などのご注文をされる。


「スナップペペロンと、長芋の煮っころがしください。メインにほっけで」


「はい。お待ちください」


 まずはほっけをグリルに入れ、手早くお惣菜を小鉢にご用意する。


 スナップペペロンはスナップえんどうをオリーブオイルとにんにく、鷹の爪とお塩でじっくりと炒めた一品である。


 ほのかに色付いた焦げ目が香ばしい。火を通して爽やかな甘みを増したスナップえんどうに、にんにくと鷹の爪が程よいアクセントだ。


 長芋は厚みのある銀杏いちょう切りにし、昆布とかつおのお出汁をベースにした煮汁でことことと煮た。生だとしゃきしゃきの長芋は火を通すことでほっくりとした食感になり、しっとりと味が沁みて、とろみが煮汁を絡め上げるのである。


「お待たせしました。ほっけはお待ちくださいね。お赤飯とお味噌汁はどうしはります? お酒の後にしはります?」


「そうします」


「かしこまりました」


 才原さんはお惣菜をさかなに秋鹿をちびりと傾ける。朔は酒呑童子も大阪の地酒を気に入ってくれたら良いなと思う。


「今度ね、あの人と酒蔵とかワイナリー見学に行こうかて言うてるんですよ。利き酒フェスとかもええなぁって。その辺やっぱり京都が有名ですかねぇ。「呉春ごしゅん」とか「緑一みどりいち」の酒蔵が見学やってくれとったら近くてええんですけど」


「確かにそうですねぇ」


 呉春を醸す呉春株式会社と、緑一を造る吉田酒造は、ともに池田いけだ市に酒蔵がある。最寄り駅は阪急宝塚線の池田駅なので、この曽根そね駅から5駅なのである。


 酒呑童子がいた京都にも酒蔵は数多くあり、全国の生産量の上位に入る。特に伏見ふしみ区は日本三大酒どころで有名である。全国でも広く知られる月桂冠げっけいかん黄桜きざくらも伏見区だ。関西では多くCMが流れていて、双子も幼いころから良く目にしていた。特におもむきのある墨絵の河童かっぱが登場する黄桜のものなどは印象に残るのである。


 ちなみに京都洛中らくちゅうの佐々木酒造は某俳優さんのご実家である、現在は弟さんが跡を継がれておられるとのことだ。


 酒呑童子は昔から酒どころで美味しいお酒に親しんで来たのでは無いだろうか。確かに酒呑童子が言った通りに醸造の技術や酒米の質などは上がっているだろうが、それでもその時その時で杜氏とうじさんは美味しい日本酒を作るために心を砕いて来られたのだ。


 酒好きだからこそそんな作り手への敬意があって欲しいとも思ってしまうし、言われなくても今の酒呑童子にはきっとあるのではと思う。だからこそ悪行を封印して、お酒を求めているのでは無いだろうか。


 しかし、伝承によれば酒呑童子は源頼光らに「神変奇特酒じんべんきどくしゅ」という毒酒どくしゅを飲まされておとしいれられていたはずだ。トラウマでお酒嫌いになってもおかしく無いだろうに、それでもお酒を求めるとは、ごうとは怖いものである。


「確かに酒蔵巡りは京都のイメージが強いですよねぇ。あ、でも確か、「國乃長くにのちょー」のことぶき酒造さんが期間限定で、クラノミってお名前で見学ですかね? そういうのしてはったはずですよ。壽さんやったら高槻たかつきですし、十三じゅうそうから京都線で行けたかと」


 壽酒造さんは日本酒國乃長の他に大阪初のクラフトビールや、大阪唯一の焼酎も作られている。見学ができればきっと楽しいと思う。美味しいお酒にもありつけるだろう。


「ほんまですか? ネットで調べてみます」


「そうですね。多分情報は最速でしょうから」


 どうやら才原さんは、巧く酒呑童子とお付き合いをしている様である。本当に良かったと心の底から思う。万が一酒呑童子に再び悪心あくしんが芽生え、吉本さんからもたらされたお守りを使う様なことになってしまったら、朔も悲しいと思うだろう。だからどうかこのまま平穏に過ごしていただきたい。


 さて、ほっけが焼きあがった。北海道物産展などでで見られる様な立派なものでは無いが、干されたその身には甘さや旨味がたっぷりと詰まっている。


 ふっくらと焼きあがったほっけを角皿に載せ、大根おろしを添えて才原さんにお出しした。


「はい、ほっけお待たせしました」


「ありがとうございます。あ、呉春ください。冷酒で。今日は北摂ほくせつのお酒いろいろ飲んでもらう約束なんです」


「かしこまりました」


 先述の呉春、そして緑一もお取り扱いがあった。お酒の種類は多く無い「あずき食堂」だが、秋鹿も含めせっかくならと、北摂の豊能地域にある酒蔵のものをお出ししているのである。曽根がある豊中市も豊能地域の一部である。


 ちなみに壽酒造のある高槻市も北摂地域だが、こちらは三島みしま地域で、そのエリアには大阪有数の温泉地でもある自然豊かな摂津峡せっつきょうなどがある。


 朔は空いたグラスを引き上げ、新しいグラスにきんと冷えた呉春を注ぐ。酒呑童子も楽しんでくれていると良いな、朔はほっこりとそんなことを思った。




 閉店後、厨房の片付けをしながらようがおかしそうに言う。


「才原さん、今日も日本酒ばっかりめっちゃ飲んではったな」


「そうやねぇ。秋鹿、呉春、緑一って飲まはって、秋鹿に戻って緑一までってのんを3回繰り返しはったもんねぇ」


「9杯も飲まはったんか。凄いな」


 陽はからからと笑う。確かにペースは全然落ちず、チェイサーにお水などもほとんど飲まれず、見事な飲みっぷりだった。それでいてほとんど酔われず、けろりとされているのである。


「ね。ほんまにお強いんよねぇ。あんだけ飲まはったら、酒呑童子さんも満足しはるんちゃう?」


 朔がフロアをきながら言うと、カウンタで余りのお惣菜をもりもり食べていたマリコちゃんが「ふん」と鼻を鳴らす。


「酒呑め、あやつご機嫌そうに酩酊めいていしておったぞ。酒は好きじゃが、そこまで強く無いのかも知れん。多分才原の方がよっぽど強い」


「そうなん?」


 朔は驚きで目を丸くする。酒好きであることからその名で呼ばれた酒呑童子。なのに強く無い疑惑が出てしまうとは。


「まぁ、才原さん結構ハイペースやったしねぇ。あれ普通酔っ払うって。でも酒呑童子さんを負かすほど飲むって、ある意味酒呑童子さん、ええ人見つけたんとちゃう?」


「それも巡り合わせというものじゃろうな。才原は今はふところに余裕があるし、ここでの赤飯が酒呑童子にも効いて、悪事の抑止力になる。このまま才原が励んでおれば赤飯が護ってくれるじゃろう」


「そういや才原さんの仕事って何なんや?」


「それはわしにも判らんが、今は相当羽振りが良いはずじゃ」


「そうなんや。でもそうやんねぇ。週に2回ぐらいここに来てくれはって、あんだけお酒飲んでくれはるんやもん。酒呑童子さんに毎日それなりの量のお酒準備しはるて言うてはったし。裕福そうな感じはしとったんやけど」


 だがマリコちゃんは「今」と言った。収入に波のあるお仕事なのかも知れない。


「今が続けば何の問題も無い。わしらは酒呑童子が暴走せん様に願うしか無いんじゃ。ま、いざとなれば吉本もおるし、吉本のお守りもあるからの」


 マリコちゃんの言う通りだ。双子はただ願うしかできないが、才原さんと酒呑童子双方の頑張りで、おふたりが平穏無事であって欲しいと心から思うのだった。

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