第6話 共にあるために

 先ほどまで恐怖に染まり、次には呆然とされていた才原さいばらさんだが、今、酒呑童子しゅてんどうじを見るそのお顔は興味深げなものになっている。


「僕、妖怪は怖いもんばっかりやって思ってました。こんな綺麗な妖怪もおるんですねぇ」


 才原さんがこれまで見て来た妖怪の容姿が、人間の常識で図るとどれだけ恐ろしいものだったのかが察せられる。双子も人間離れした見た目の妖怪は「あずき食堂」で何体か会って来たが、マリコちゃんのお陰でいものばかりだった。


 才原さんが遭遇そうぐうしてしまった妖怪の中には、きっと善いものだっていただろう。だが知識が無かった才原さんに分かれと言うのが無理だ。普通の人間や動物で無いものを怖いと思われるのも当たり前だと言える。


 だがこの酒呑童子は角こそ生えているが、見た目は美形な男性とそう変わらない。肌は濃い褐色かっしょくではあるが、日本には好んでお肌を焼いている方や、世界には黒いお肌の人種だっているのである。外見は充分人間に近い。


 才原さんも完全に警戒心を解かれたわけでは無いだろうが、酒呑童子を見る目に恐れは感じられなかった。


「綺麗か? 我ら妖怪にとってはどうでも良いことだが、人間にとっては重要だと聞く。昔もこの見目のお陰で娘が付いて来たこともあった」


 と言うことは、伝承の様に全てがさらわれたのでは無く、自分から付いて行ってしまったお姫さまもいたのか。今も昔も女性のイケメン好きは変わらないということなのだろうか。


「この人やったらあんま怖いて思わへんので、一緒におってもええかなって」


 才原さんが少しばかり照れた様におっしゃる。さくにしてみれば、才原さんが良いのならそれで構わないかとも思う。だが相手は曲がりなりにも鬼だ。今はお酒を飲むことだけを楽しみにしていると言うが、もしまた過去の様に悪いことをしたいと言い出したら? 才原さんの手に負えるのだろうか。


 吉本さんは才原さんの言葉を聞いて、「そうか」とぽつりと言った。そしてリュックを探り、四角いポーチを取り出した。そこから出したのは濃紺のお守り袋である。さらにそれを開き、小さく折り畳まれた紙片を出した。


「ほなこれを、できるだけ肌身離さず持つ様にして欲しいねん」


 紙片が開かれるとそれはおふだで、やはり五芒星ごぼうせいが描かれていた。吉本さんはそれを畳み直すとお守り袋の中に戻した。それを才原さんに手渡される。


「これは?」


「お守りや。もし酒呑童子が何かやらかした時、これで攻撃できる」


「攻撃!?」


 才原さんはぎょっとして目を見開く。酒呑童子は「何?」といぶかしげに顔をしかめた。


「僕も酒呑童子の言葉を信じたい。せやけど鬼は基本悪のもんや。いつ気紛れに心変わりするか判らん。僕がずっと付いとるわけにもいかんからな。もちろん困ったら相談には乗るけど、才原くん」


「……はい」


 吉本さんのただならぬ雰囲気に、才原さんは表情を硬くする。朔が気を引き締めると、ようもごくりと喉を鳴らす。マリコちゃんは変わらず無表情だった。


「主導権は君が握るんや。これからも酒呑童子と共生するんやったら、それを忘れたらあかん。酒呑童子に好き勝手させたらあかんのや。それはきもめいじて欲しい」


「は、はい」


 才原さんは神妙に頷かれる。すると酒呑童子は呆れた様に「おいおい」と声を上げる。


「我は本当に酒が飲めたらそれで良い。今さら悪さをするつもりは無いぞ」


「そうかも知れません。けどこっちは万が一を考えんとあかんのです。もしあなたが悪事を働こうもんなら、こっちはそれなりの対処をせなあかんのです。でもできることならそれはしたぁ無いんです」


「我ももう殺されるのはまっぴらだ。大人しく酒だけ飲んでいるつもりだ」


「ほんまに、お願いしますね。僕に酒呑童子を調伏しょうぶくさせる、なんて羽目にさせんといてください」


「解っている。全くもう」


 酒呑童子は面倒そうに頭を掻いた。


「だから見付からない様にと気配を消していたと言うのに」


「そうなんでしょうね。でもばれてしもうたんですから、これからもこれまで通り、頼んますね」


「ああ。解っている。才原よ」


「は、はい」


「そういうわけだから、これからもよろしく頼む。何、貴様はこれまで通り好きに飲んでいれば良い。我がそれを勝手に味わうだけだからな」


「は、はい。でも酒呑童子さんに飲んでもらうんやったら、安酒とか飲まれへんなぁ。もっとええお酒買わな」


「気にするなと言っている。今は酒造りの技術も上がり、我が昔飲んでいたものよりどれも旨い。日本酒だけで無く洋酒も気にせず飲むが良い」


「は、はい」


 才原さんは背筋を伸ばしてお返事をされた。そして受け取ったばかりのお守りをぎゅっと握り締める。


「このお守り、僕もできたら使いた無いです。あの、酒呑童子さん、僕ら仲良く……、できますよね?」


 才原さんのお顔には緊張がはらんでおられた。酒呑童子はその問いににやりと口角を上げる。


「おう。貴様が酒を飲むのであれば、仲良くできるだろう。毎日が望ましいが、それは人間の身体には良く無いと聞くからな。これまで通り1日おきで構わぬ」


「でも、今みたいに出てきてもらえたら、飲んでもらえませんか? 僕はさすがに毎日は飲めんので、そうしてもらえたら用意します」


「ほう、そしたら我は毎日酒にありつけるわけか」


「はい。量は僕の懐具合もありますんで、充分や無いかもしれませんけど、僕がいつも飲む量ぐらいやったら」


「それは良いな。楽しみだ」


 酒呑童子はにぃっと笑う。才原さんは少しずつ緊張を解いて行かれた。お話をしているうちに慣れて来られたのだろう。馴れ合いはあまり良く無いのかも知れないが、才原さんのこれからの生活が窮屈きゅうくつなものにならないのであれば、多少は融通を利かせても良いのだろう。


「あ〜、憑いとったんが怖いもんや無くてほんまに良かったです」


「それなんですけど才原さん」


 朔がずっと気になっていたことなのだが。


「そんなに妖怪が怖いて思ってはるんやったら、なんであの時「あずき食堂」に来てくれはったんですか? 最初来はってマリコちゃんの気配を感じはったんですよね。で、それを退治しようと思ってくれはったんですよね。妖怪が怖いて思ってはったのに、何でやろうて思ってたんです」


 その疑問に才原さんは「いやぁ」と苦笑しながら頭を掻かれた。


「もちろん怖いて思いました。でも何やこう、妖怪おるのに気付いとったのに、スルーしてもしお店に何かあったら後味が悪いて言うか。結局マリコさんはええ妖怪で、僕は何の役にも立てへんかったですけど、何とかしたいと思ったんです」


「それで怖いて思ってはった妖怪に立ち向かってくれはったんですか」


 朔は少し感動してしまう。自分個人の感情から思い立ったことではあるが、「あずき食堂」のためにと思ってくださったのだ。


「そんな勇気がありはるんでしたら、酒呑童子とも仲良うできますよ。大丈夫です」


 陽も朔と同じことを感じたのか、拳を握り締めて力説する。すると才原さんは「そうでしょうか」とはにかまれる。


「私もそう思います。またよろしかったら酒呑童子さんとご飯食べに来てくださいね。いつでもお待ちしておりますから」


「はい。絶対に来ます。「あずき食堂」さんはおかずもですけど、お赤飯もめっちゃ美味しいですから」


「ああ、そうだ、座敷童子よ」


 酒呑童子に問われ、マリコちゃんはぴくりと眉を上げる。


「貴様、あの小豆飯に何かしているな」


「判るか」


「判る。時代の移ろいもあるだろうが、あの小豆飯はかつて無いほど旨かった」


「ほう」


 マリコちゃんは面白そうに口角を上げる。


「なるほどな。お前はお前なりに努力しておるということなのかも知れんな」


 酒呑童子はマリコちゃんのご加護を感じ取っているということなのだろうか。だとすると、お酒だけで済む様に理性で自らを押さえ込んでいるのかも知れない。


 朔は背筋を冷たくする。やはり鬼は悪のものなのだ。とは言えそれを表に出さない様に尽力しているのなら、良心も持ち合わせているのだろう。もうあやめられたくないというのもきっと本心だ。それは才原さんにとって大きな救いなのだろう。


「あれはまた食いたい。才原、週に1度で良い、我はあの小豆飯を所望する」


「あ、ああ、赤飯のことですね。分かりました。ここのご飯美味しいから、週に2回は来たいなて思ってたんです」


「そうか。それは良い」


 酒呑童子は言い、それはそれは美しい笑みを浮かべた。

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