第10話 お赤飯に込めた思い

 マリコちゃんに被せたタオルケットの上に置かれたおふだの五芒星と縦線は、まだ青く光っている。吉本よしもとさんはリュックから先ほどとは違う四角いポーチを取り出し、中から何も書かれていない長方形の和紙と筆ペンを出した。


 吉本さんは筆ペンのキャップを開けると、和紙にさらさらと六芒星を描いた。それを五芒星のお札と入れ替える様に置く。すると六芒星がオレンジ色に光った。


 それもまた綺麗で、さくはつい見入ってしまう。先ほどの五芒星の青も含めてその意味は判らないが、マリコちゃんに作用していることだけは明らかだった。


「あの、これ、何してるんですか?」


 ようが聞くと、吉本さんがにこやかに応えてくださる。


「さっきの五芒星に縦線引いた札で、マリコさんの状態を確かめていたんです。マリコさんが健康やったら、緑色に光るんです。でも青く光った。それはマリコさんが霊的な悪影響を受けていることを示してます」


「まぁ、やはり私がマリコさんを護ろうとしたことがいけなかったのですね」


 伊集いしゅうさんががっくりと肩を落としてしまう。


「いや、そうや無いんです。護っとったからこの程度で済んでるんですわ」


「どういうことでしょうか」


 いつも冷静な伊集さんが、珍しく前のめりになられた。


「マリコさんの中に残っとるんは、悪霊の残滓ざんしです。相性が悪過ぎたんでしょうなぁ、あの場に立ち会うたことがまずかったんですわ」


「……私は、マリコさんを護り切れなかったということなのですね」


 伊集さんが表情を曇らす。ショックを受けられておられる様だ。護っていたことが原因だと思っていて、それでも心痛いかほどかと思うが、力が及んでいなかったとなると、ますますその傷は深くなる。


「でも、私は何ともありませんでした」


 朔がためらいつつ言うと、吉本さんはこともなげに口を開く。


「そりゃあ五十嵐いがらしさんは人間ですから。マリコさんは妖怪です。綺麗な綺麗な、妖怪なんです」


 吉本さんはいつくしむ様にマリコちゃんの額に優しく触れた。


座敷童子ざしきわらしは、妖怪ではあるんですけど、存在がね、清浄なんですわ。妖怪にもいろいろおるんです。しきもんもぎょうざんおります。その中でも座敷童子は稀有けうな存在。さっき言うた昔の虐待、それがある前から座敷童子は少なかったんです」


「清浄、ですか」


 朔はぽつりと漏らす。マリコちゃんは双子と意思疎通いしそつうができるし、見た目も幼い子どもの様だし、何より五十嵐家の助けになってくれている。なので悪いものだという印象はまるで無かったのだが、それでも妖怪である。清浄という言葉がいまいちしっくりと来ない。


「幽霊かて同じです。マリコちゃんに影響したみたいな悪霊もおれば、ただ成仏を望んでるだけの善霊もおる。人間かて善人もおれば悪人もおる。魂の汚れの度合いちゅう点で一緒ですわ」


 そう言われると、なるほどなと思う。朔は小さく頷いた。


「私は浄霊の時、かれたお嬢さんを隔絶し、朔さんとマリコちゃんには結界に入っていただいた上でお護りしました。それでも清浄なマリコさんには足りなかったのでしょうね……」


「そういうことになります。そんだけ2重3重に保険掛けてはったんですから、本来なら充分なんです。せやから五十嵐さんには何も無かったんでしょう?」


「ええ、幸いにも」


 伊集さんは少しほっとされた様に表情を緩められた。確かに朔自身はぴんぴんしている。伊集さんのお陰なのだ。


「せやけど、清浄なマリコちゃんには耐えられへんかった。目ぇ覚まさへんのは自衛行為やと思います。マリコちゃんに中に悪霊のかけらがあって、それがガンになっとるんですわ。交ざり物っちゅうやつで。それから自分を護るために、スリープ状態になっとるんでしょうね。せやからそれを消してやれば大丈夫です」


 マリコちゃんの上で、六芒星のお札はまだ光っている。だが先ほどよりは光が弱まっている様な気がする。


「この光が消えたら大丈夫です。間も無くですわ。マリコちゃんは目を覚ましますよ」


 朔たちはマリコちゃんを見守る。ゆぅるりと光が落ち着いて行く。早く消えてくれ。そう願いながら待った。


 やがて、すぅっと光が止んだ。皆揃って腰を浮かせた。


「マリコちゃん」


「マリコちゃん?」


 双子が慌てて呼び掛けると、ずっと閉じられていたマリコちゃんの目が薄っすらと開いた。


「さく、よう……」


 マリコちゃんの小さな口から、双子を呼ぶ声が零れた。双子は歓喜で目を見開いて、マリコちゃんに手を伸ばした。


「マリコちゃん!」


「マリコちゃん、ほんまに良かった!」


 ふたりでマリコちゃんを抱き締める。朔は感極まって泣いてしまいそうだった。良かった。本当に良かった。伊集さんも安堵あんどされた様で「良かったですわ」と穏やかに言った。マリコちゃんが見えなくとも、双子の行動で何があったのかは察せられただろう。


「朔、陽、苦しいのじゃ」


「ちょっと我慢してマリコちゃん! ほんまに良かったぁ〜」


 陽が泣き叫ぶ様に言う。マリコちゃんは「むぅ」と不満げな声を上げるが、朔も今はマリコちゃんを離したく無かった。


 どれぐらいそうしていたのか。マリコちゃんが「そろそろ離すのじゃ。苦しいぞ」と言うので、双子は渋々手を離した。


 するとマリコちゃんはまた、その場にばたんと倒れる様に横たわった。朔はもちろん陽も驚いて「マリコちゃん!?」と声を上げる。


「大丈夫じゃ。腹が減っておるだけじゃ。何か無いか?」


「お赤飯があるで」


 朔が嬉々と言って包みを出す。開くと、お赤飯で作ったおにぎりがごろんと出て来た。朝に家で炊いたものを、結んで来たのである。起きたマリコちゃんに食べさせてあげたい、そう思って用意したものだった。


「赤飯か! うむ。これは嬉しいぞ」


 マリコちゃんはいそいそと上半身を起こすと、ラップで包まれたおにぎりに手を伸ばした。ラップを丁寧ていねいがして大口でかぶり付く。「むふ」と漏らしながら嬉しそうにお赤飯を頬張った。


「いつも食堂の客を助けたりしている赤飯じゃが、今回はわしが助けられたな。さすが朔と陽じゃ。わしが認めた子たちじゃ。暖かな思いが込もっておる。力がみなぎって来る様じゃ」


 当然だが双子にマリコちゃんの様な力は無い。ただお腹を空かせているだろうマリコちゃんに食べて欲しくて、元気になったマリコちゃんに喜んで欲しくて、心を込めて炊いて握ったのだ。それが伝わって様で嬉しい。朔は一心不乱にお赤飯を食べるマリコちゃんを微笑ましげに見つめた。


「座敷童子の好物が小豆って言うんは、ほんまやったんやな」


 満足げに口を動かすマリコちゃんを見て、吉本さんが感心した様に言うと、マリコちゃんが顔を上げて吉本さんを凝視ぎょうしした。


「お前、わしが見えておるの?」


「はい。僕は妖怪に関わることを専門にしています。吉本と言います。初めまして、マリコさん」


 吉本さんがうやうやしく頭を下げる。


「ふむ、察するところ、今回はお前の世話になった様じゃな。礼を言うぞ」


「いえいえ、僕は稀少きしょうな座敷童子に会えただけで満足です。無事目覚めて良かった」


「不覚を取った。せっかくの浄霊を見損ねてしもうた」


 マリコちゃんは不満げに頬を膨らます。確かに見たがっていたのはマリコちゃんなので、悔しいのだろう。


「こればかりは仕方がありません。マリコさんは存在が存在なんですから」


「そうじゃのう。その代わり伊集、ことの顛末てんまつ仔細しさい話してもらうぞ」


 マリコちゃんが食べ掛けのお赤飯を手にしたまま、好奇心丸出しで伊集さんに詰め寄る。伊集さんには見えていないので、反応は無い。朔は伊集さんにマリコちゃんの希望を伝えた。


「ええ、もちろん。お話させていただきますわ。それもですけどもマリコさん、この度は私の力不足ゆえ大変な目にわせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 伊集さんがマリコちゃん、座布団に向かって深々と頭を下げる。マリコちゃんは一瞬きょとんとした顔になり、だがすぐに「いや」と首を振った。


「わしも浅はかだったのじゃ。よもや悪霊の影響などというものが、妖怪のわしにあるとは思わんかった。じゃから気にするで無い」


 朔がマリコちゃんの言葉を伝える。伊集さんはほっとした表情になった。


「そうおっしゃっていただけますと救われます」


 マリコちゃんは「うむ」と鷹揚おうように頷いた。

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