あずき食堂でお祝いを

山いい奈

プロローグ

プロローグ

 たくさんのお茄子なすを乱切りにし、半分を適温に熱した菜種油で揚げて行く。油を程よく吸ってしんなりとした茄子を大きな網じゃくしですくい上げ、軽く上下に振って余分な油を落として、お出汁と日本酒、お醤油で作った漬け汁に放り込んで行く。


 続けて破裂しない様に、爪楊枝つまようじで穴を開けたししとうを揚げて行く。それも漬け汁に入れた。


 乱切りお茄子のもう半分は多めのごま油を引いたフライパンで炒め、そこに油抜きをした厚揚げも加えてさらに炒め、味付けは日本酒とみりんとお醤油で伸ばしたお味噌だ。


 コンロ上の鍋には昆布とかつおの熱いお出汁が用意されている。そこにお砂糖と日本酒とみりん、お醤油で味を整えたら油抜きをして短冊切りにしたお揚げを入れ、ふつふつと沸いたらざく切りにした空芯菜を投入。ざっと全体を混ぜたら火を消してしまう。あとは余熱で火を通すのだ。


 別の鍋には煮汁の中でことこととかぼちゃが煮えている。型崩れしない様に弱火にしてあるが、もう火が通ってすっかりと柔らかくなっているので、ここで止めてそのまま置いてもっと味を含ませてやる。


 さて最後の1品。ボウルに卵を割り入れて菜箸でしっかりとほぐし、お出汁とみりんと薄口醤油で味付けをし、みじん切りの紅生姜を入れて全体に混ざる様に箸を動かす。沈んでしまうのでしっかりと。


 四角いフライパンを出して強めの中火に掛け、キッチンペーパーを使って菜種油を引き、紅生姜入りの卵液を薄く伸ばし入れる。


 表面がうっすらと乾いて来たら奥から手前にくるくると巻いて行く。楕円の筒状になったそれを奥に押して、フライパンにキッチンペーパーで油を塗り直したらまた卵液を入れる。先ほど作った筒状の卵を芯にして巻き、また油を塗って、を数回繰り返した。


 そうしてできあがったものはまな板に上げて粗熱を取ってから、適当な厚さに切り分ける。


 それらをそれぞれ大皿に入れて、カウンタに上げた。


 お茄子とししとうの揚げ浸し、お茄子と厚揚げの味噌炒め、空芯菜とお揚げの煮浸し、かぼちゃの煮付け、紅生姜の卵焼き。本日のお惣菜である。


「でーきたっ」


「うん」


 五十嵐いがらしさくよう、双子の姉妹は満足げに口角を上げる。そして炊飯器ができあがり音を鳴らした。


「あ、炊けたな。蒸らしてくるわ」


「ありがとう」


 陽がプラスチック製のくっつかないしゃもじを出し、炊き上がったばかりの炊飯器を開ける。するともわっと湯気が上がり、一緒に甘い良い香りが厨房を漂う。


「今日も巧く炊けてるわ!」


 お赤飯である。陽はしゃもじで底からざっくりと混ぜながら余分な水分を飛ばし、また蓋をして蒸らしを始める。


 そのタイミングでもう一台の炊飯器が鳴った。こちらは朔がしゃもじを手に向かう。こちらは白米である。ふわりと炊き立てご飯の香りが鼻をくすぐった。ほのかなぬかと白米そのものが持つ甘い香り。これもざっくりと混ぜて蓋をして蒸らす。


 コンロにはまだ鍋が乗っている。中身のお出汁の中に短冊切りのお揚げときゃべつがくったりとなって浮かんでいる。そこに合わせ味噌を溶いた。


 こうして定番の品々ができあがった。


「今日のお惣菜も旨そうじゃな」


 それらを見て、よだれでも出そうな笑顔でそう言ったのは、紫色の格子柄の着物を着た艶々黒髪おかっぱ頭の幼女である。


「マリコちゃんにそう言ってもらえるんなら今日もきっと美味しいね。味見する? どれがええ?」


 朔にマリコちゃんと呼ばれた幼女は「ふふ」と満足げな笑顔になる。


「卵焼きと茄子の味噌炒めを頼む。もちろん赤飯もな」


「はぁい。ちょっと待ってね」


 朔は小鉢をふたつ出すと、言われた2品をそれぞれに盛り付ける。陽は小さな赤いお茶碗にお赤飯を盛りごま塩を振った。


「まだか? まだか?」


 マリコちゃんはそう言ってふたりを急かす。陽が笑って応えた。


「あはは。あと少しやからな」


 整えたそれにお箸を添えてカウンタに置いた。


「はい、マリコちゃん。どうぞ」


 マリコちゃんはちょこちょことカウンタに回ると、ひょいと飛び上がって椅子に腰掛け、行儀よく「いただきます」と手を合わせてお箸を取った。


 味噌炒めを食べて「んんっ」と目を閉じ、卵焼きを食べて「ほぅ」と目を細め、お赤飯を食べて「うむ」と目を開く。ころころと表情が変わって、まるで百面相である。


「今日もとても美味しいぞ。味噌炒めはとろとろで優しい味噌味が良いの。卵焼きは紅生姜のあくせんとが良い。赤飯もいつもの旨さじゃ。さすがじゃな」


 マリコちゃんは満ち足りた様子で言って口角を上げた。朔と陽は嬉しくなって「ありがとうね」「ありがと」と笑顔を浮かべ、「ふふ」と顔を見合わせた。


 朔と陽も腹ごしらえを兼ねてお茶碗にお赤飯を盛った。お箸を出して「いただきます」と食べ始める。


 もりもりとお箸を動かし、すっかりと皿を空にしたマリコちゃんは「ごちそうさま」と手を合わせると、ひらりとカウンタから降りて、ぴょんぴょんと跳ねる様にカウンタの中に入って行く。


「ではわしは消えておる。朔、陽、今夜もせいぜい励め」


「はーい」


「うん。また後でな」


 マリコちゃんは言うとその場から消えた。歩いてどこかへ移動したというものでは無く、文字通り消えた、掻き消えたのである。


「さ、準備の続きしよか」


「うん」


 朔と陽もお赤飯を食べ終え、驚きもせずマリコちゃんが使い終わった食器を持ち上げた。




 ここは「あずき食堂」と言う名の食堂である。場所は豊中市の曽根。阪急電車宝塚線の曽根駅が最寄りだ。


 住宅街ではあるのだが、駅前には6階建てスーパーのダイエーがあり、高架下にもスーパーが1軒入っている。ファストフードや本屋さん、和菓子屋さんなどもあり、コンパクトではあるが暮らしやすい、静かで落ち着いた街である。


 開店は夕方4時から夜の10時まで。置いてあるお酒は瓶ビール、各種焼酎、日本酒にウィスキーぐらい。なのでお酒を頼まれるお客さまは軽く飲んで食事をメインにして行かれるのだ。


 カウンタ数席だけというこぢんまりとした店である。店内はベージュの木材や白壁で造られていて、柔らかな雰囲気を醸し出している。


 ご飯は白米が基本ではあるが、追加料金でお赤飯に変えることができる。そしてこのお赤飯がなかなか人気なのである。なので白米以上の量を毎日炊いている。炊飯器を使っているがお店で小豆から茹でて炊いている。地味ながらもこのあずき食堂の名物なのだ。




 残暑もどうにか過ぎ去り、すっかりと秋めいて来ていた。夜になれば涼やかな風が身体を包む。過ごしやすい日々になっている。


 あずき食堂は開店からお客様で賑わう。仕事終わりのビジネスマンや、これから夜の仕事に行かれる方が立ち寄られるのである。


 ここではカウンタのおばんざいを2品選び、数品の中からメインを選んで、ご飯とお味噌汁を付けて定食にするのだ。


 ご常連の明石さんは奥さまが用意してくれるお弁当や、家での食事に洋食が多く、たまには和食が食べたいと、お酒はほどほどという条件で奥さまのご理解の上、週に1度ほど来られる。


 普段は怒りっぽい奥さまが、なぜかあずき食堂に来られるのだけは悪い顔をしないのだそうだ。


 明石さんはかぼちゃの煮付けと茄子とししとうの揚げ浸しを選び、今回は豚の生姜焼き、それにお赤飯とお味噌汁という定食をもりもりと頬張った。


「あ〜やっぱり出汁ですよ出汁。味噌汁旨いです」


 明石さんはそう言ってほっこりと顔を綻ばせた。


「でも奥さま、洋食しか作らへんって、何か理由があるんですか?」


 朔が聞くと、明石さんは「いやぁ」と困った様に首を傾げた。


「まだ子どもが小さいんで、子どもに合わせてるってのもあると思うんですけど、あー、でも結婚前から作ってくれるて言うたら、ハンバーグとかオムライスとか洋のなんちゃら煮込みとか、あとスパゲティとか。単に嫁さんが洋食好きなんやと思います。それか和食が苦手か。めしの支度全部任せとる俺が言えるもんでも無いんでしょうけど、和食ってそんなに難しいですか?」


「向き不向きはあるかも知れませんね。私なんかは和食を作るんも好きなんで、ここのメニューがこんな感じになってますけど」


 実際はお赤飯に合わせたので和食なのだが。


「同じ料理やのにそんなにちゃうもんなんですか?」


「ちゃいますかねぇ。奥さまは他にもいろいろ作ってくれはるでしょう? お料理の引き出しに入ってるもんがちゃうんやと思いますよ」


「はぁ〜、そんなもんなんかなぁ」


 明石さんはまだ納得がいっていない様である。朔の少ない語彙力でどうすれば伝わるのかと、じっくりと言葉を選ぶ。


「そうですよ。同じ会社で働いとっても営業が得意な人、事務が得意な人がいてはるでしょう?」


「あ、そうか。そういうもんか」


 明石さんは合点がいったと言う様に目を丸くする。良かった。ちゃんと解っていただけた様だ。


「そんなもんです」


 明石さんは「なるほどねぇ」と言いながら豚の生姜焼きを大口に放り込んで「ん、味しっかり沁みてて旨い」と満足げに頷いた。


 あずき食堂の豚の生姜焼きは、焼く前の豚ロースのスライス肉に日本酒と蜂蜜とお醤油とすり下ろし生姜を揉み込んでいる。しっかりと味の沁みた豚肉に生姜の香りを効かせた。


「生姜焼きも久しぶりですよ」


「これも和食になりますかね? 出されてはる洋食屋さんもあるかと思いますけど」


「あ、確かに。でもまぁ生姜焼きは子ども向きや無いやろかなぁ」


「ああ、そうですね。生姜はお子さまにはからいでしょうね」


「はい。なんでこちらで堪能たんのうさせてもらいます。赤飯もええですよね。気分が上がります。ここに来たら赤飯食べな損した気分になるんですよねぇ」


「ありがとうございます。ごゆっくりお楽しみください」


 朔はにっこりと微笑んだ。




 陽の前でにこにことお赤飯をかっこんでいるのは若い男性である。潤いの足りない金髪がぱさついでいて、格好も長Tシャツとジーンズというラフなものである。ビジネスマンでは無いがあずき食堂のご常連なのである。名を柏木かしわぎさんと言う。


「嬉しそうですね」


「あ、分かります?」


 陽のせりふに柏木さんは手を止めてにこーっと笑う。


「この前出したインディーズのCDが結構売れてんすよ。配信もダウンロードも良う出て。なんで昨日は打ち上げやったんす。今日はここの赤飯でセルフお祝いっす」


「凄いや無いですか。おめでとうございます」


 陽は素直に賛辞を送る。柏木さんは「えへへ」とはにかんだ。柏木さんはお友だちとバンドを組まれているのである。大阪梅田のライブハウスを拠点にして、精力的にライブ活動をされている。


「昨日は居酒屋で食ったり飲んだりしたんすけど、やっぱり祝い事っつったら赤飯やなーって。だから今日絶対ここで赤飯食うでって思ってたんす」


「それは嬉しいですね。どんどん食べてくださいね」


「あざっす!」


 柏木さんは笑顔で言ってまたお赤飯を大口に放り込み、「旨ぇっす」と口角を上げた。


「そういえばCD発売の前の日にもここで赤飯食わせてもろたんすよ。ひとりで販売の前祝いっす。なんかお陰で売り上げ良かった気がするっす」


「やったら私らも嬉しいです」


「はいっす」


 柏木さんはにこにこと上機嫌でお箸を動かした。




 あずき食堂には双子とマリコちゃんだけしか知らない秘密がある。それはマリコちゃんの正体に起因するのである。

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