月世界ダンジョン旅行
鮫島ギザハ
第1話 宝くじ特賞
俺をトップ探索者として育てあげるのが、父の夢だった。
……探索者になるのは、俺の夢でもあった。
自分が迷宮に入ることすら出来ないと知るまでは。
物心ついた頃からずっと、俺は厳しい訓練に明け暮れてきた。
1970年代から地球を侵食している〈
「と、父さん……もう、無理……」
「立て! この程度で甘えるような男が、命を賭けて戦えると思うか!?」
「……っ!」
血反吐を吐きながら、俺は立った。何回も、何十回も、何百回も。
思い返せば、父の執着は異常だった。自分が叶えられなかった探索者としての夢を、息子を通じて強引に叶えようとしていただけだ。
それでも、昔の俺は信じていた。いつか報われる日が来ることを。
「お、お父さん! お兄ちゃん、血が出てるよ! 痛そうだよ!」
「その通りだ。探索者になれば、もっと痛い目に遭う。今のうちから慣れておかなければ、代償を命で払うことになる。必要なことだ。分かったか?」
「でも!」
訓練の最中、妹が俺を守るように立ちふさがった事があった。
父の目に染み出した狂気を、今でも覚えている。
普段は俺に向けられている巨大で真っ黒い鬱屈が、今にも矛先を変えそうだった。
「ひっ」
妹が息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
……俺たちの母親はいない。彼女を守れるのは俺だけだ。
「夜花! 俺は大丈夫だから」
痛む体に鞭を打ち、妹の手を引いて訓練場から遠ざけた。
「でも、お兄ちゃん……」
「父さんの言ってた通りだよ。俺だってやりたくてやってる訓練だし」
「じゃ、じゃあ! わたしも探索者になる! お兄ちゃんばっかりつらい目にあってかわいそう!」
「駄目だ。部屋に戻ってゲームでもしてなよ。こっちはすぐ終わるから」
「なんで! やだ!」
「とにかく駄目!」
「お兄ちゃんのバカーっ!」
走り去っていく妹の姿を見て、かつての俺はほっと息を吐いた。
辛く苦しい訓練だ。こんな目に合うのは俺だけでいい。
彼女を守れるのは、俺だけなんだ。……俺だけだったのに。
高校に入った頃、俺は探索者としての適性検査を受けた。
そして絶望した。
〈魔力親和性〉0.001%、Fランク。
ダンジョン内に溢れる〈魔力〉との親和性が、俺にはまるでなかった。
「……無能が」
無能。
俺の心に、棘が突き刺さった。
「父さん!? 確かに俺、才能は無いのかもしれないけど、でも! 努力してきたし!」
「親和性が20%未満の者は探索者免許を取得できない。法律でそう決まっている。実力以前の問題だ」
父は俺を見放した。
「夜花。こっちへ来なさい。話すことがある」
その一方で、守るべき俺の妹は、〈魔力親和性〉99.999%を叩き出していた。
分類はS+だ。全人類でも最上位の才能。ダンジョンへ潜れば、すぐに〈異能〉と呼ばれる特殊能力を目覚めさせるだろうダイヤの原石だった。
その日から、父が訓練をする相手は変わった。
食事で顔を合わせるたびに、妹の体の傷が増えていく。
父はかつて第一線で活躍していた探索者だ。負荷が高すぎることを除けば指導は的確で、メキメキと妹が強くなっていく。
比例するように、表情もまた暗くなっていく。俺と違って、夜花の夢は探索者になることじゃない。
一度、ブックオフで看護師資格の本を読んでるところを見かけた。看護師が夢だったんだろうか?
他人に優しくて明るい夜花なら、きっといい看護師になったろう。
……そんな少女が受けるには、あまりに一線を越えた指導だった。
俺は部屋に閉じこもった。夢は砕けた。やるべきことは何もなかった。
妹から何かを訴えかけるような視線を向けられるのも、父親に蔑むような目を向けられるのも耐えられなかった。訓練を優先したせいで、学校に友達もいない。
「お兄ちゃん……」
ある日、部屋の扉の向こう側で、妹のすすり泣く声が聞こえてきた。
「助けて……」
俺は……答えられずに、布団の下に隠れていた。
無能が。父親に言われた言葉が、耳の中で反響していた。
それでも、何も出来なかった。俺は、無能だ。
そんな引きこもり生活を続けるうちに、家から妹と父の姿が消えていた。
二人に何が起こったのか、今どうしているのか、俺は何も知らない。
電話もメールもSNSも音信不通だ。
俺の妹は、迷宮で死んだのかもしれない。
……俺に才能があれば。
俺がこんな無能じゃなければ。あるいは、救えたかもしれないのに。
定期的に知らない口座から振り込まれてくる金で、俺は家に引きこもり続けた。
学校に行く気力も、まだ探索者を目指して足掻く気力もない。
真実を探る気力すら残っていない。
全てから目を逸らし続けて、怠惰な眠りに逃げた。
何もかもが鈍って錆びついていく。
無能。その言葉が脳裏に刻まれて離れない。
瞼を閉じて横になるたび、何度も何度も繰り返される。
無能。俺は無能だ。
それでいい。俺は何も出来ないんだ。
だから、仕方がなかったんだ。
そう思うと、惨めさと引き換えに気持ちが軽くなった。
……そして、しばらく月日が経ち。
ふわふわと毎日をやり過ごすのにも慣れてきた頃。
突然、俺のスマホに着信があった。
「わっ!?」
半年ぶりに鳴った着信音に驚いて、スマホが手からこぼれる。
慌てて拾い上げ、画面を見た。知らない番号だ。
……最後に他人と話したのは、いつだったっけ。
声が出る気がしない。なんだか怖くなって、俺は着信を無視した。
何回もしつこく電話が掛かってくる。
もしかして、夜花? その可能性に思い当たった瞬間、即座に通話ボタンを押す。
「も……もしもし」
「田中 夜光(やこう)様でお間違いないでしょうか?」
「は、はい」
「おめでとうございます、あなたは〈モチヅキ年末宝くじ〉の特賞に当選されました」
モチヅキ……宝くじ?
株式会社望月っていえば、迷宮産業で成り上がった世界トップの大企業じゃないか。
最近じゃダンジョン関係だけじゃなくて、先端技術とか宇宙開発とかでも凄いってニュースをよく聞く総合企業だ。
「お、応募してません。詐欺ですか?」
有名だからって、詐欺でモチヅキ社の名前を騙ってるんだろうか。
「いえ。お客様は、銀行口座経由で宝くじを購入するサービスでくじを購入されていますよね? Webで番号を確認して頂ければ、当選番号と一致していることが確認できるかと思います」
「でも、応募は……銀行口座? 確認、してみます」
あ、俺の銀行口座もモチヅキ系だっけ。
銀行のページにログインして調べると、確かにくじの購入履歴があった。
番号をコピーして、宝くじの当選番号と比べてみれば、確かに一致している。
「ありました……でも、買ってないんですけど……」
「モチヅキ銀行には引き出し回数やポイントに対応して自動的に宝くじ券がついてくるサービスがございまして、自動的に無料で購入されていたものかと」
マ、マジか。
「ちなみに、当選額はいくらぐらいで……?」
「いえ、こちらのくじは現金ではなく景品が貰える形式になっております」
あ、なんだ。大したもの貰えないやつか。
そんなことだろうと思った。俺がそんな運いいわけないよな。
「こちら特賞の景品は、七泊十日〈静かの海モチヅキホテル〉行き月面旅行チケットとなっております」
「へ?」
月面……旅行?
モチヅキ本社のある月面コロニーのホテルだっけ?
そういやあのコロニーって、元は月面の迷宮を探索するための基地だったよな?
月の迷宮なら日本の法律関係とか関係ないし、無免許の俺でも潜れたりとか……いや、何を今更。無理だって。無能だし。
「で、でも……俺、最近ずっと家から出てないんですけど……チケット、売れます?」
驚きすぎて無駄に素直な暴露をしてしまった。
人と話すのが久々すぎてボロボロだ。恥ずかしい。
「売れません。田中夜光様の名義になっておりますので」
「そ、そうですか」
それから当選手続きなんかの話をして、俺は電話を切った。
……ど、どうしよう?
俺、引きこもりの無能なのに、いきなり月面旅行って言われても……。
とりあえず、ネットでモチヅキ月面コロニーのことを調べてみる。
迷宮絡みの魔法技術を活用して作られた豪華な施設が揃っていて、一流探索者や研究者、政財界の要人やエリートが集まっているらしい。
そんなキラキラした世界、怖くて近寄りたくないんだけど……。
「ん? 最高級A6魔物肉が食べ放題……!?」
ホテル宿泊者は全サービス無料、らしい。
魅力的だ。でも外出したくない。
コンビニに行くのだって面倒なのに、月なんて最高に面倒だ。
「けど、最高にうまい肉をタダで食べまくりたい……」
引きこもり脳と食欲がせめぎ合った末に、俺の中で食欲が勝った。
「行くか……月面!」
俺の人生を一変させることになる事件は、こうして幕を開けた。
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