おっさんにつらい過去は付き物

羽場 伊織

第1話:公園の主


 今日も今日とて、うだる暑さ。

 公園のブランコを占領して俺は酒をあおる。


 猛暑はまるで調味料のごとく酒が五臓六腑に染み渡るが、鬱陶しい日差しに文句が絶えない。


 そんな感じで気取った雰囲気で一人ボソボソ悪態をついていると、好奇心からちびっ子たちが近づいてくる。


 最初は恐る恐るだったが、俺が何もしないとわかれば俺をおもちゃだと言わんばかりに髪を引っ張ったり服を捲って俺で遊ぶちびっ子たち。

 ひとしきり遊ばれていると、保護者らしきママさんたちがやってきてちびっ子を抱きかかえて逃げていく。


 別に取って食うわけじゃないんだから……そんなことを思っても、平日の真昼間に公園で酒を飲んでブツブツ言ってる男はやばいやつなんだろうなぁ。

 よく知らんが。


 人生の大半を異世界で過ごした俺はもはや今の日本で何がまともなのかなんて知らない。

 というかもう覚えてない。


「そうだろう? だって、もう三十五のおっさんなんだぜ?」

 目の前で背を伸ばし、呑気にあくびをしている猫に話しかけたが当然返事はない。


「はぁ……」

 知り合いのあいつなら動物と会話する能力あったな、と頭をよぎったがそれはそれで大変だなぁ、と他人事にも思う俺。


 最近耳にした俺ツエーとやらは異世界帰りの俺でもできると思うが、すでに何事に対しても面倒臭く、いわば燃え尽き症候群の俺は酒を飲むだけ。

 ただただ無意味にブランコをギコギコ揺らし空を仰ぐ。


 一点の雲もないどこまても澄み切った大空。その一方、高校中退で一度も働いたこともない薄汚れた無職のおっさん。


「ぐはぁっ! こ、心が痛い!」

 詩人の真似をしたらブーメランのように跳ね返ってきて自分へのダイレクトアタック。


 ブランコから前のめりに倒れ、膝をついてがっくしと項垂れる。

 しかし今の俺は一人だ。ツッコミなんて来るはずもないが、このまますごすご立ち上がり、誰かに見られていたら……と思うと、どことなく恥ずかしい。


 そのまま数十秒地面と睨み合いをしていると、影が頭上に伸びてきた。

 顔をゆっくり上げれば、最近……最近? よく声をかけてくる女子高生。


「あれ? おじさん、今日もいるの?」

 垂れた長い髪の毛を耳の後ろへ回し、こちらを見てくる。


 可愛らしいお目目にツンとしたお鼻。

 モデルでもしてそうだが、生憎とおっさんの俺は子供に興味はない。


 制服姿だから学校終わりだろう。えーと、名前は確か……忘れた。というか教えてもらったっけ?

 まぁ、なんでもいいや。


 シッシッと腕を振って女子高生を追い払おうとするが、横の空いているブランコに座りやがる。


 おいおい、最近の女子高生は危機意識がないのか? いくらなんでもおっさんに絡むなんて……っと思ったが、別に最近の女子高生事情なんて知らんかった。

 というか俺が高校生だったのは二十年前だし……ぐぅぅ!!


 再び深いダメージを負った俺は胸を掴み、大袈裟に地面へ突っ伏す。


 い、異世界では世界を救った勇者だというのに今の俺はなんて無様なんだ……!


 もし仲間たちにこの現場を見られたら爆笑されるか、見下した目で唾をかけられそうだった。


「ど、どうしたの!? おじさん!!」

 そんな哀れな俺に女子高生は心優しい。


 ブランコから飛び降りて駆け寄ってくると、地面に転がっている俺の眼前で屈んだ。


 ……下着が見えそうだぞ。いくらなんでも無防備やすぎないか? 咄嗟にそんな言葉が出そうになったが、すぐに堪える。

 さすが俺だ。


 そんなこと言えば、猛速度でパトカーがやってきてお縄を頂戴するのが目に見えている。

 ふぅ、やれやれ。


 俺は首を左右に振りながらスカートを指差してやる。


「……きゃっっ!」


 女子高生は一瞬キョトンとしたが、俺の指の方向を見ると顔からポンッと火が吹き出そうなほど赤くしてスカートを押さえ距離を取る。


 うむ、そのままおっさんと関わり合いなんてせずに帰りなさい。

 そんな俺の心を知ってか知らずか、女子高生はなぜか眉を八の字にする。


 なんぞや? 俺は片眉を上げて女子高生を顔を見た。


「おじさんって変わってますね」

 いえ、こっちのセリフですが。


 別に女子高生と口論するつもりもないので、適当に肩をすくめる。


「ふふっ」

 というかおじさん、おじさんってやめてくれない? 普通に心が痛いんだけど。

 そんな文句を言おうとすれば、女子高生が肩からかけているスクールバックへ手を突っ込んだ。


 悪寒が身体を駆け巡り、お巡りさんを召喚しようとしている女子高生を警戒する。

 フシャー!! 実際にはそんな猫みたいなことはしていないが、心は猫になっていた。


 意味がわからんがそういうことだ、うん。


「これ、どうぞ」

 飛び出てきたのは携帯ではなく一本の棒アイス。


「お、おう……ありがとう?」

 俺は感謝しながら汚れた膝を叩き、棒アイスを受け取る。その時にもちろんペコリと首も曲げた。

 ふ。おじさんはきちんと感謝できるんだぜ?


 女子高生の横でブランコを揺らしながらアイスを堪能する。


 くぅー! うまいぜ。久々の味に感動しながら、こっそり酒も飲む。


 そんな俺に女子高生が呆れた目を向けてきたが、無視だ、無視。

 酒がないと死ぬんだよ!


 女子高生の視線を無視してパクパク、とアイスを食べ終える。ふぅ……食後を満喫していると、なにやら女子高生から手を伸びてきた。


 なんぞや? よくわからんがその上へワンチャンのようにお手をして手を重ねれば、すぐに手が引っ込んでいく。


 顔を見れば再び頬が赤く染まっていた。


「ご、ごほん! 捨ててきますってことですよ、おじさん! んもぅ、ダメですよ? そんな簡単に若い子に触れちゃ! メッ、ですよ! もし通報されても知りませんよ?」

 な、なんだと!? 女子高生の言葉に戦慄した俺は壊れたロボットのように首を縦にブンブン振る。

 すぐさま食べ終わった棒を差し出す。


 俺の変な行動に女子高生はドン引きするわけでもなく、ふふっと笑うと棒を受け取った。


 女子高生はブランコを大きく揺らしそのまま飛び降りると、近くに設置してあるゴミ箱へ歩いていく。


 い、今だ! 通報されるぐらいなら逃げてやるッ。逃走を図るため俺が地面を蹴った瞬間、意外と大きな音が響いたようで女子高生がパッと振り向き「おじさんっ!」と追いかけてきた。




 ……猛ダッシュで逃げたはずだったなのに女子高生は俺が思っていた以上の速さで、余裕で先回りされた。

 べ、べつに本気だったわけじゃないし! 一人心の中で言い訳していると、目の前で俺を通せんぼうする女子高生。


「なんで逃げるんですか! おじさん!」

 腰に両手を当てながら可愛らしくジト目で見てきた。


 漫画だったら顔の横にぷんぷんと擬音が書いてありそうな感じだ。しかし、一回りも違う女の子に説教される構図が猛烈に心が痛い。


「気のせいだ」

 俺は悪くないぞ! とむしろ女子高生を責めるように言えば、たじろぐ女子高生。


 いいぞ! そのまま俺を無視して帰れ、帰れ! 俺の心を知ってか知らずか、なぜか女子高生は俺の顔を見てまたクスッと笑う。


 お、俺の顔ってそんなに面白いの……? 勝手に傷を負っていく俺のガラスのハート。


「おじさんって……」

 女子高生は意味ありたげに言って俺に背を向けた。


 な、なんだ!? 俺はいつでも逃げれるよう足に力を入れる。


「ふふ、面白いですね」

 そんな言葉と同時にパッとこちらを振り向いた。


 笑みを浮かべとても楽しそうな表情。ちょうど落ちていく姿は赤い夕日と重なり、俺はあの子を思い出す。



 ◆◆ ◆◆   ◆◆  ◆◆



天真てんま天真てんま!』

 蜂蜜のように美味しそうな髪色をした可愛らしい幼い女の子。


 俺を見つければ、ぴょんぴょん跳ねながらちっちゃなウサギのように近づいてくる。足元まで来ると服を掴んで今度は子猫のように登ってきた。


 さすがにパーティー用に用意してもらった豪華な服がヨレヨレになってしまえば、また着替えないといけなくなってしまう。


 苦笑しながら抱き上げれば、キラキラした目で見てきた。頭を撫でてやれば本当に子猫のように目を細める。


 いくら俺が勇者だといっても所詮は平民。信用されていると理解しているが、それでも俺とこの子の身分は違いすぎる。

 当然、周りには幾人もの人がいて、剣呑な目というよりは温かい眼差しを送ってきている。


 気恥ずかしかったが、俺は心優しい人たちのためにも一層頑張ろうと心に決める。




『て、天真てんま

 いつのまにか幼い姿から成長した女の子がいた。


 思春期なのか、恥ずかしさからなのか、女の子は自分の母親の背に隠れながら俺の名前を呼ぶ。

 疲れていた俺だったが精一杯笑みを浮かべ、腰を曲げながら目線を合わせる。


 すると、母親に背を押され、おどおどしながら女の子は近づいてくる。

 ゆっくり手を伸ばし、女の子の頭に手を乗せる。いつものように撫でれば、昔と同じように気持ちよさそうに女の子は目を細める。


 それだけで疲れはなくなり、また頑張れるようになった。




折鶴おりづる様!』

 いつのまにか背がグーンと伸び、レディと呼ばれるほどになった女の子。


 昔は名前呼びで敬称なんてなかったんだがな、と寂しさがよぎるが順調に成長していく姿には嬉しさが勝る。


 女の子は軽やかな足取りで俺の横に座り、満面の笑みを浮かべる。


 学園での出来事、交友関係に勉強、そして両親の愚痴をマシンガンのように話す。時折、大袈裟に驚いたり笑ったりすれば女の子の顔は花が咲いたように綻ぶ。


 楽しい時間はあっという間で日はすぐに暮れた。ご飯でも食べようかと考えれば、何かを思い出した女の子は唐突に立ち上がり俺の腕を引っ張る。

 どこに行くか聞いても女の子は一言、『見てからのお楽しみです!』と言った。


 苦笑しながらついていけば見事な花畑があった。


 赤く暮れる空と融合した花畑は……教養のない俺にはそれ以上の表現はできない。ただわかるのは美しいという単語。


 本当に心のそこから美しいと思った。


 呆然と立ち尽くしていると、顔から一筋の何かがこぼれる。慌てて顔を拭えば、それは遠い前に枯れていたと思っていた涙だった。

 それを皮切りに堰き止められていたダムが決壊し、涙がとめどなく地面に染みを作っていく。


折鶴おりづる様』

 いつのまにか俺の背が女の子より小さくなっていた。


 いや、違う。いつのまにか俺は膝をついて赤ん坊のように泣きじゃくっていたようだった。


 そんな俺の頭を女の子が優しく胸に抱く。

 女の子は何度も、何度も俺の頭を撫でた。


『あぁ……!』

 うめき声が出る。赤ん坊のように啼泣ていきゅうする。


 それは後悔しても拭いきれないほどの悔悟かいごの念。


 女の子は知っていたのかもしれない。終わりが見えない戦いの中で俺の精神が苛まれていたことに。


折鶴おりづる様』

 再び名前を呼ばれ、ぐちゃぐちゃになった視界の中で俺は顔を上げた。


『くれぐれもお体にご自愛ください』


 夕日に照らされ、優しい微笑みを浮かべる女の子がいた。



 ◆◆ ◆◆   ◆◆  ◆◆



 呼吸をするたびにぶくぶくと口から泡が溢れてくる。動くたびに体が悲鳴をあげる。

 泡は地面に落ちてゆかず、俺を置いて天に登っていく。


 墨をぶち撒けたほど黒い世界で唯一、泡だけが黄金のように輝く。

 かつて苦しかったこの場所も今となってはすでに何も感じない。


 泡を求めて手を伸ばせば、急激に浮遊感に襲われ意識が戻る。



 目の前には訝しげな顔をして見つめてくる女子高生がいた。


 あぁ、しまった。またか……。頬をポリポリしながら、いつもの苦笑いを浮かべる。


「悪い。少し昔のことを思い出してた」

「そうなんですか? おじさん。でも! 女性と話している時に別の人を思い出すなんて、よくありませんよ!」


 ぷっ、と思わず吹き出す。


 確かにそれは失礼だったな。

 吹き出した俺に女子高生が頬を膨らませ、むくれる。


 その姿は……あの子とは違うはずとわかっているはずなのに、手が勝手に伸びて女子高生の頭に乗せた。


「あぁ、そうだな。すまなかった」

 全くの別人のはずの女子高生はあの子の姿と重なり、かつて何度もやった動作をする。


 俺のいきなりの行動に女子高生もよくわかっていなかったが、少しずつ今何をされているのか理解していくと、顔を赤らめ一気に後ろへ下がった。


「お、おじさん!!」

「ん? どうした」

「さっき言ったでしょ! だ、だめですよ! こういうことをいきなりしたら! も、もちろん。他の子にもしちゃいけないんですよ!」

 プリプリとこちらを怒る女子高生。


 それに苦笑いしながら背をグッと伸ばす。

 空を見れば、いつのまにか太陽もすでにお休みをしようとしていた。


「そろそろ暗くなるな。俺ももう帰るから、お前も帰りな」

「お前、じゃありません! 私には吹雪川ふぶきかわ 玲耶れいやっていう名前があります! って……以前にも教えましたよね! んもぅ!」


 牛かよ。ツッコミを入れそうになったが、言えばもっと怒るに違いない。


 言葉を呑み込み、牛みたいな鳴き声をする女子高生……もとい吹雪川ふぶきかわと肩を並べて公園から出る。


「送ったほうがいいか?」

「だ、大丈夫です! すぐ近くなので!」

「けど……」

 言葉をいい終わる前に吹雪川は走り去っていった。と、言ってもさすがに女の子一人で夜道は危ない。


 俺はコッソリと見つからないようついていく。



 太陽はあっという間に落ちていき、月明かりのない道に闇が広がる。そんな中を俺はコソコソと女子高生を見ていた。


 ……ま、まるでストーカーだな、しかも無職のおっさんだし。再び自分で自分に攻撃をして胸にグサリ。


 こ、心が痛い。胸を押さえながらついていく。


 傍から見れば、鼻息が荒く胸を抑えているおっさんが女子高生をついていく構図。グサグサ刺さる自分自身へのダメージに死にかける俺。


 バレずに着いていき数十分。吹雪川はようやく自分の家に到着したようで、遠くから中に入っていくのを見届ける。


 ホッと一安心だというはずなのに、右手が勝手に吹雪川の方へ伸びていき……を掴んだ。


「なっ!」

 突然やった自分の行動に目を瞠ったが、すぐに「チッ」と舌打ちをして腕を戻す。


「ふぅ……」

 眉間を揉みながら自宅への道を進む。


 あの子を思い出してから妙に感傷的な気持ちが広がっていた。


 なんとかそれをかき消そうと夜空を見上げれば、満点の星空が俺の心とは違いどこまでも広がっている。


 懐にある酒へ手が伸びそうになったが、吹雪川ふぶきかわとあの子の姿が浮かび上がり……グッと拳を握り締めた。


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