第35話「俺の出張と被ってんじゃねえかっ!!」
「今日はお疲れさまでした、晃仁様」
夜、自室へと帰って食卓を囲んでいると、向かいに座るミコが神妙な面持ちで口を利いてきた。
「……大変なことになった」
「はい。その、シュッチョーというのに行かれるみたいですね。玲奈様と。お気の毒ですね」
「なんか軽い感じで話してるが、お前にも関係あることだからな?」
はて、と小首を傾げるミコに、焼き鮭を突いていた箸の手を休める。
「出張というのはしばらくこの部屋を離れて仕事をするということだ。当然その間、お前は一人で生活することになる」
「え、何言ってるんですか? そんなの無理です。わたしも晃仁様と一緒に出張に行きます」
「え、お前の方がなに言っちゃってくれてんの?」
今朝にも感じた眩暈のような感覚が頭に圧し掛かってくる。頼むからこれ以上俺を混乱させないでくれと目で訴えかけるが。このミコ、目が本気だった。
「話聞いてたか? 仕事のために行くんだよ。お前がその姿でうろちょろしていたら問題になるだろうが!」
「それは……ほら、指輪の姿でいれば大丈夫ですよっ」
「この前、指輪のままでも腹が減ってたよな。そのためにわざわざ人の姿に戻してラーメン屋に行ったよなぁ?」
「うぅ……」
「分かるか? お前を連れて行くという意味が。家でもないところに一週間だぞ、一週間。各方面にバレたら説明しきれねえよ」
今まで知り合いに会う時は苦しい言い訳で誤魔化し続けてきたが、仕事期間中にこいつといるところを見られたら、流石に乗り切れる気がしない。
「……ですけど、わたし、一人じゃ無理です……生きられる気がしません! お風呂やお洗濯ならまだしも、お料理やお買い物はどうするんですかぁ!」
「そう、そこだ。だからこんなに困ってるんだっての……全く、話が急すぎんだよな」
味噌汁を一啜り。いつもなら落ち着くはずの純和食も、この時ばかりは俺の心を癒してはくれなかった。
焦燥と止めどない思考が頭を満たしていく。
「ちょっと割高になるが飯は出前でなんとかしてもらうとして……って、そんな露骨に嫌な顔するなって」
「やっぱり無理ですよぉ! 必要な時以外は指輪の姿いますから、何とぞ一緒に……!」
「はあ……それでも泊まる宿から出られないぞ。一週間ほとんど窮屈な思いで過ごすことになる」
「もうこの際それでも構いませんからっ! お願いだから一人で置いていかないでくださいぃぃ!」
どれだけ自分の生活力に自信がないのか、食事もそこそこに俺の胸へと泣きついてくるミコ。
(まあ、俺の教育が不十分だったいえばそれまでなんだが)
それにしてもこの問題は後を引きそうだ。出張の機会はこれからもあるだろうし、その度にこうして頭を悩ませるのも厄介だろう。
根本にあるのはこいつのややこしい出自と見た目だ。アニマがどうたらと説明するのは苦労が大きいが、かと言ってそれを避けてやり過ごすと、容姿だけ見れば未成年の少女と同棲する成人男性という、変態的側面だけが残ってしまうわけだ。
「やっぱ打ち明けるべきなのか……?」
「何をです?」
「いや、お前の諸々をさ。そうすれば俺もちっとは動きやすくなるんだが」
「ああ――」
得心がいったと手を叩き、ミコが薄く笑う。
「確かにいい案だと思いますが、やめときましょう。今のままがいいです」
「それはまた、どうして」
「――結局わたしは人間ではなく、アニマなので」
やけに寂しげな表情がどうにも気にかかって、間髪入れずに訊ねようとしたのだが。
「……っ、この音、メールか……?」
スラックスの右ポケットに入れていた携帯が高い通知音を鳴らした。くすぐったい振動を伝えるそれを目の前に取り出すと、近くにいたミコがそっと立ち上がった。
「わたし、食器片付けてきますねっ」
先ほど発覚した生活力のなさを思っての行動であれば殊勝なことだが、俺にはそれが何かから逃げているように見えて仕方なかった。
肩透かしを喰らったような感覚から逃げるように携帯の画面を確認する。
「七井……?」
送信元の名前には見慣れない文字列が並んでいた。どうして彼女の名前がここにあるのだと疑問が頭を掠めるが、すぐにあの日の出来事を思い出す。
ミコと志穂と買い物をした日、何だかんだ連絡先を交換した覚えがある。
「なんで交換したんだったか……」
記憶を思い起こしながら肝心の文面を確かめる。
『こんばんは、お食事どきでしたら申し訳ございません。実は先日お話させていただいた修学旅行の件で相談がありまして連絡させて――』
「いや、文硬すぎ! 高校生だろ!?」
取引先に送るわけでもないのだからもっと砕けた文でもいいはずだろう。この真面目さは確かに志穂の美徳だが、学校での人づきあいでは苦労しそうだなと改めて思う。
気を遣わなくていい旨を添えて、その相談について具体的に訊ねることにした。
『あっ、そうですよね。あたしったら。相談というのは修学旅行の行き先についてで、明日班のみんなで具体的な案を話し合うことになったんです。でもあたし一人で考えても、ついついお寺とか公園とか、素敵なんですけど、少し地味な観光スポットしか思いつかなくて……』
『なるほど。これ以上、周囲の輪から外れたくないってことか。偉いな』
『偉いとか、そういいんじゃないだすけど……』
よほど謙遜しているのかところどころ誤字している。偉そうなことを言った手前その努力を見守ろうと、俺なりに気を回した結果だったのだが。どうやら反応は芳しくないようだ。
それならば余計なことはしないほうがよいだろう。
『カジュアルな場所と言えど、一応は修学旅行のテイは守らなくちゃいけないからな。京都の周辺だと……」
タイピングをしていて途中で気付く。
「京都……?」
あの日に志穂から聞かされた話、旅行の行き先は確か京都だったはず。しかしそれとは別の機会に、その名前を最近耳にした覚えがあったのだ。
『晃仁さん? どうかしましたか、返信が……もしかしてご迷惑だったんじゃ……』
『ああ、すまん。考えるのに真剣だっただけだ。そうだな、甘味処とかいいんじゃないか? たとえば……』
湧き出た妙な思考を追いやるようにいくつか候補を羅列していく。志穂は健気なことに、その一つ一つ全てに反応を返し、自分でインターネットのサイトを調べながら感想を述べてくれた。
そうして修学旅行での件が一段落ついた後、志穂は学校での生活を自ら語り始めた。
『昨日、修学旅行についてオリエンテーションがあったんですけど、隣に座った女子と会話が弾んで……』
『おお、それは良かったな。どういう奴だったんだ?』
『えっと……金髪で、背がすらっとしてて、とても話しやすくほんわかとした人で。話題は旅行の行き先である京都についてがほとんどだったので、あまりプライベートな話は出来なかったんですけど……意を決して、友達が少ないので少し心配なんですよねって話を振ったら、私も同じことを心配しておりましたのー、って返してくれて!』
物凄い覚えのある特徴だった。
(そういや、七井も同じ黒原学園に通ってたっけ……)
俺の頭の中にはあの社長令嬢の顔がありありと浮かんでいたが、この流れで告白するのは気が引けた。
朗らかに、当たり障りのない相槌を返した。
『すみません、長々と話してしまって。こうしてメールでやり取りするのが楽しくて、ついつい甘えすぎちゃいました』
『気にするな。お前がそうやって前を向こうとしているのを見ると、俺も何だかんだ嬉しくなるもんだ』
今だからこそ言える素直な感想だ。
そのはずなのだが対する志穂の返信はしばらく返ってこなかった。それまでは間髪入れずに返信を返してきたのに、ここにきてそのリズムが崩れてしまっている。
気が一瞬遠くなるほど時間が経って、またもや何かしくじったのかと不安になったところでようやく新たなメッセージが表示された。
『ありがとうございます! 晃仁さんにそう言ってもらえると本当に嬉しいです。おかげさまで一週間後の修学旅行も乗り切れそうです』
それからお休みなさいという一言と、可愛らしいタッチの兎が寝ているスタンプが送られてきた。
気を悪くしたわけではないようなので一安心。返事を返して携帯をしまった。
気付けばそろそろ寝る準備をしないといけない時間が迫っていた。浴室からはシャワーの音が聞こえているので、こちらは先に布団でも出しておこうと立ち上がって――。
「待て、さっきあいつ、なんて言ってた……!?」
先ほどから脳裏を掠める予感に堪らず声を上げた。
「妙だ……一条さんのことは置いておいても、なんかやけに聞き馴染みのある言葉が多かった気がするぞ」
京都、旅行、一週間後。そこまで考えてようやく辿り着いた。
「あー!! 俺の出張と被ってんじゃねえかっ!!」
そう、俺が急遽命じられた出張と、志穂が通う黒原学園の修学旅行は時期がまったく被っていた。特段それによって業務に支障をきたすとは思えないが。
「八重樫とペアでの出張で、そこにミコも連れて行かなきゃいけなくて……それで七井や一条さんも周辺を観光しに来るってことだから……」
ひたすらに面倒が起こりそうな気がしてならない。考えることが多すぎて頭痛がしてくる。
ただでさえ八重樫に怪しまれないようにミコを世話しなければならなかったのに、その上仕事中に学生組と遭遇することがあったら俺はどうすればいい。
ミコのことは親戚が旅行中に子供を俺に預けたとでも言えば、かなり苦しいが辛うじて言い訳はできる。
彩萌はあれで聡く、社長令嬢としての立場を弁えているから特に面倒にはならなさそうだ。
「だからそれ以外のこと、ここ最近で七井と仲良くなったことを他の奴に知られるのがいちばん面倒で避けたいことだな……」
激しい不安が襲ってきて、寝るどころではなくなってしまった。
「晃仁様、お風呂空きましたー……って、どうしたんですか、魂抜けちまったような顔してますよっ!?」
結局その日はあとから事情を知ったミコが慰めの言葉をかけてくれてどうにか安眠は保たれた。
しかし、翌日からの一週間は無駄に悩みながら過ごすことになってしまったのだった。
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