第19話「ええ。ここで祈りながら待ってますよ」
彩萌がポーチを落としたと思しき公園から少し行った先にある交番には、やけに眠たげな警官が一人立っていた。
背中は曲がり表情は
(ミコ知ってますよ! 警察組織っていうのはオショクが多いって)
(それはドラマの見過ぎだ、バカ。おおかた立ちっぱなしで疲れてんだろうよ)
相変わらず知識の偏りがあるミコに訂正してやってから、後ろを歩く彩萌に振り返る。
あれから少しは落ち着いたようだが、その表情にはまだ不安げな色が残っていた。
「さて、行きますか」
「ええ……でも、もしもあそこに行ってなかったらと思うと、胃が張り裂けてしまいそうですわ」
「あそこになければ別の所にあるだけです。形あるものに限って、簡単に消えたりはしませんので」
貼り付けた柔らかさを失った彩萌が弱音を吐くが、その度に俺はぶっきらぼうに返した。
明るく励まそうにも確証はない。
それに見え透いた世辞を言うのは嘘にも等しく、相手への善意でその欺瞞を覆い隠す様で、俺には余計に気持ち悪いもののように思えてならなかった。
(……慣れてきたはずなんだけどな)
(晃仁様?)
(なんでもねえよ)
そのまま俺たちは足早に歩き、交番前に辿り着いた。駅が近いという立地もあって人通りが多く、思わず彩萌の手を引っ張ってしまっていたが。
「俺はここで待ってます。あとは一条さん自身が、中に行って確かめてきてください」
「あ、はい、そうですわね……と、あら?」
促す俺に彩萌は少し緊張した面持ちで頷いていたが、その視線がふと下の方に移ろう。
先ほどまで繋いでいた俺の右手で光る、ダイヤモンドの環に。
「……九原様、これは?」
彩萌の目がまるで罪を咎めるかのように細められる。七井の時に続いて二度目の失態。
心臓が口から出てしまいそうになるほど強く跳ねたが、俺はそれを懸命に堪えて精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「ははは、ファッションですよこんなの。どうしたんです、そんな怖い顔をして」
「……いーえ、何も? ただ九原様はそういうことに興味がないのではと思っていましたので、少し驚いてしまっただけですわ」
「左様で」
あからさまに含みを持たせた物言いに苦笑する。
俺の失態がかえって彩萌の緊張を和らげたのか、彼女は深いため息を吐いて困ったような笑顔を浮かべた。
「行ってまいります、九原様。寒いでしょうが、それまで待っていただけると」
「ええ。ここで祈りながら待ってますよ」
笑顔だけれど、引きずるような足取りの彩萌をその背が小さくなるまで見送る。
線の細い華奢な身体はなんとも頼りなかったが、これも彼女にとっては必要な儀式なのだろう。
そう物思いにふけっていると。ふいに右手の指輪が瞬いた。強烈で、目を射るような光は、その内にいる者の感情をよく表していた。
(何か言いたいことでもあるなら直接聞いてこいよ。ただでさえ周りに怪しまれ始めてるってのに)
(……知りませんっ)
まただ。彩萌と出会ってからミコに感じていた、この非難めいた声。今までは彩萌に付き合っていたので訊ねることができなかったのだが。
丁度暇ができたので聞いてみる。すると悩ましげな吐息の後、恐る恐るミコが語り始めた。
(その、一条様と晃仁様のご関係についてですけど)
予想はしていたことではあったので然したる驚きもない。ミコはそんな俺の無反応がお気に召さないのか、先ほどよりも強い口調で続けた。
(八重樫様はともかく、七井様にはあのようにあしらっておきながら、どうして一条様にはこうも優しいんですか? もう心に決めたお相手だということですか? とっくに自分の幸せを見つけてるのですか? だとしたらわたしが今やっていることって――)
(ちょいちょいちょい、落ち着けって)
流石にこの不満の量は想定外だった。すかさず遮ってミコを宥めるが、どうやら彼女の熱は冷めやらぬ様子。俺は慎重に言葉を選んでから説明を試みた。
(別にお前を騙したりもしてなければ、八重樫たちを不当に嫌っているわけでも彩萌をどうこうしたいとも思ってるわけじゃねえ。俺のあいつらに対する言動はどれも心からのものだ)
(でも、でもおかしいです。晃仁様は変です。心からっていっても、態度がちぐはぐですっ! 七井様からの好意は怖いと言いながら、それでも一条様に対しては問題がないみたいですし)
なるほど確かに、好意という外枠だけで見たらその意見も的を射ている。ただそこに含まれる具体的な感情や、それが芽生えた経緯などを考えると、両者の本質というのはやはり違ってくると思う。少なくとも俺にとってはそうだ。
親愛と恋慕、過ごした時間、一途に向けられるものか、仄かに滲ませるものであるかの違い。
(彩萌とは知り合って長いからまだマシな方だが、前も言った通り俺は人からの好意が嫌いだ。特に女からのものはな。そいつのことが嫌いじゃなくてもだ)
あまり触れられたくないことなのでついつい曖昧な話しぶりになってしまう。これではポンコツ精霊には通じないだろう。
(詳しくは家に帰ったら話す。とにかくお前はお前のやってることに疑問を覚える必要はないし、俺はあいつらに不誠実なことをしているつもりもねえってことだ)
(そう、なんですか?)
(そうなんだ)
仕方なく折れるような形でミコの提案に乗ったことが、ここに来て裏目に出たのだろう。
俺だってこのまま独りで過ごすことに何の躊躇もないということはないが、ミコからすれば今日の俺の言動が不審に思えても仕方ない。
彼女が生まれてからまだ一週間。まともに話すようになってからは一日しか経っていない。
俺という人間を知るにはどう考えても過ごした時間少なすぎる。
そしてそれゆえに生まれた俺たちの間にある認識のズレは、早めに解決しておくのがいいだろう。
暗くなり始めた空を見上げながら、俺はそう覚悟を決めた。
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