万年カノジョなしの俺、婚活の相棒は指輪の精霊でした。
鈴谷凌
第1部「九原晃仁の日常」
1章「ミコ襲来!」
第1話「言ってみろ、お前は何だ」
「クソ、折角早めに上がれたっていうのによ……」
春雨が降り
着ていたスーツが多分に雨水を吸い、濡れたシャツが肌に纏わりつく感触は不快感をもたらす。
仕事の関係上外出する機会が多く、折り畳み傘を携帯することを怠らない俺からすると、あるまじき失態だった。
「ああー、こんなことになるなら無理に受け取らないほうがよかったか……?」
手にしていたビニール袋の包みを慎重に玄関の棚に置く。
中身は会社のボーナス代わりに貰った自社製品のケーキ。折角の好意を無下にしないようにそれを庇いながら帰ってきたが、貧弱なカバー範囲の折り畳み傘では俺の身体まで守り切れなかった。
中身の無事と引き換えに、図体のでかさだけが取り柄の俺の身体はまんまと雨に打たれてしまったというわけだ。
冷笑と共に靴を脱ぐ。
一刻も早くシャワーを浴びたい気分だが、決死の思いで守り切ったこいつを冷蔵庫に仕舞ってやらなければ。
よろよろと歩を進めるたびに雫が床に滴るが、それに一瞥もくれず部屋を目指す。
程なくして慣れ親しんだワンルームが俺を出迎える。
使い古されていないキッチン。殺風景なバルコニー。書類やらタブレット端末やらが散乱したデスク。部屋の一角には脱ぎ散らかされた衣服と、弁当と酒類の空き容器とをそれぞれ纏めたポリ袋が転がっていた。
そんな見るからに汚らしい男の部屋の中央には、敷きっぱなしにしてしまった布団と、その上で健やかな寝息を立てる銀髪の少女が。
ああ、少女だ。髪色によく似合う白のワンピースドレスを身に纏った可憐な少女。年の頃は十四、五といったところだが、あどけない寝顔のせいか殊更に幼く見える。
それがはしたなくも四肢を大の字に広げているのだ。俺の所有する布団の上で。
「…………」
妻でも彼女でもない。それほど仲もよくはない。言うなれば他人。
そんな少女が目の前で眠りこけているとなれば、こちらとしても然るべき対応をとる必要がある。
何も言わず荷物を床に置き、彼女の横に腰を下ろす。
それから眉一つ動かすことなく呑気に寝顔を曝し続ける彼女の耳元へと顔を近づけて。
「だああああぁぁぁぁ!!」
「きぃやあぁぁぁぁぁぁぁっ!??」
◇◆◇
「な、なんなんですか! 気でも狂っちまったんですか!? こんな可愛らしい乙女になんて惨たらしい仕打ち……晃仁様、怖いのは顔だけにしてください、婚期を逃しちまいますよ」
「るせえ、起こしてやっただけだろうが」
「人の耳元で奇声を上げることを、人間の世界ではそう言い表すのですか。なるほど、とても馬鹿馬鹿しいですねえ!」
べーっと舌を出す少女。相変わらず丁寧だか汚いんだかの
俺はわざとらしく顔を
「そうか。お前には失望した。仕事に出かける前に言い付けておいた家事を一切やらなかったばかりか、あろうことか俺に歯向かうとはな。甘い報酬も用意していたというのに、どうやら必要なかったみてえだ」
「え」
少女の視線が座る俺の横に滑る。ビニールに包まれた件のケーキ。もちろんこいつに食わせてやるつもりなど毛ほどもなかったが、ここは敢えて甘い言葉で釣って後悔を植え付けてみよう。
その効果は
「あ、え……? そ、そいつはもしや、スイーツ的なデザート的な一たび口に入れれば頬っぺたが落ち全身が幸福で満たされる系の、あの……!?」
「それかは分からんが、ウチがつくったベリーケーキだ」
「ご主人様! 先ほどは大変申し訳ございませんでしたぁっ!!」
瞳を潤ませ、額を地面に擦りつけながら詫びる少女。変わり身の早さにはほとほと呆れるが、ここまで丁寧に謝意を示されては流石に無下にはできないだろう。
「お前の気持ちは十分伝わった。ケーキは一片たりとも食わせん」
「はい! ありが――って、ええ!? なんでですか! この流れは許してくれる流れじゃねえんですか!?」
「許しはした。ただこいつは俺が働いて、その報酬として受け取ったものだ。お前にやるという話は、単にお前の謝罪を引き出すための餌にすぎなかったんだ。すまんな」
涼しく受け流し、当初の目的である冷蔵庫へと向こうとする。しかし、歩き出そうとした脚に、少女は卑しくしがみついてきた。
「すまん、じゃねえです! 晃仁様、わたしがお嫌いですか。いくらサボってしまったとはいえ、これはあんまりですよぉ……」
「どうだろうなぁ。自分の立場を弁えない奴には、これくらい妥当な気もするが」
「立場って……」
「ほら、言ってみろ。お前が何であるかをよ」
脚に巻き付いた腕を解き、少女をその場に正座させた。
俺の本気が伝わったか、それまでの情けない顔を引き締め、少女は真面目な面持ちを見せる。
「わたしは晃仁様の幸せを願う愛の使徒・ミコ。晃仁様と運命を共にする女性を見つけて差し上げるため、あの指輪から生まれたアニマで――」
「
「……何もしていないんじゃなくて、晃仁様が冷たくあしらうから……」
「ほーお」
「うう……それを除けば、わたしはご主人様の部屋に勝手に住みつき、ご主人様の
言って崩れ落ちる少女、もとい卑しい無職、もといミコ。ようやく自分の立場が分かったようで何やりだ。俺は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
それから凱旋する英雄よろしく、今度こそ歩き出そうとしたのだが。
「うぅ……ぐす……」
まったく、本当に仕方のない奴だ。
「ミコ」
「う……なんですかぁ」
「これを置いたら風呂に入る。その間にこの汚い部屋を掃除しておけ。デスクも、床にある服とゴミも、雨に濡れた廊下もだ」
「は、はい! それはもう喜んで」
「……それから、この布団をどかして、空いたスペースに丸机を置いてくれ。机は収納棚の横だ。で、そうしたらその上に皿とフォーク、あとコップを並べておけ。どれも二つずつだ、いいな?」
「晃仁様……それって」
「イライラした拍子で少し言い過ぎた。お詫びにケーキをご馳走してやる」
眼を輝かせるミコに恥ずかしくなり、矢継ぎ早に用件を述べた俺は一目散にキッチンへ向かった。
「ありがとうございます、ご主人様!」とミコの溌溂な声に、「いいから黙って動け」とぶっきらぼうに返す。
そうして脱衣所で服を脱ぎ、煩雑な洗濯作業を憂いながら、シャワーのコックを捻る。
吹き出た温水が雨に濡れた身体に染みる。
「はあ、すっかりアイツの存在を忘れてたな」
先ほどのやり取りを振り返りながら独り言つ。
『わたしは晃仁様の幸せを願う愛の使徒――あの指輪から生まれたアニマで――』
「……出会ってからもう一週間か。そろそろ適切な距離感を掴みたいところだな」
ここのところずっとミコには頭を悩まされてきた。丁度良い機会なので、対策を練るという意味でも、あの姦しい少女との出会いを今一度思い起こしてみよう。
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