次のゴングは異世界で鳴る
古びた望遠鏡
第1話
「ファイト!」
狭い会場に鳴り響くゴングはテレビやラジオで聴くよりもずっとうるさくて盛り上がる。今日も今日とてこの会場に入った客を楽しませるべく、ファイターとしてエンターテイナーとしてリングに上がる。
スタントマンからレスラーにジョブチェンジしてから3年。俺は人生というリングに立てているのだろうか。猫の覆面を被って目の前の敵(先輩)と体を合わせて叩き合っているところを見せて客を喜ばせる仕事にやりがいはあるのか。
ラリアット、ラリアット、ラリアットこの寸止めラリアットを三発くらってパイルドライバー。これが今日の仕事だ。横断幕には今戦っている看板レスラーの名前がびっしりと掛けられている。
俺が本当になりたかったものってこれなのか。ダッサイ被り物を被って相手の攻撃を受け続ける箸休めレスラーなのか。今こんなことを思ったって仕方がないし、アドレナリンを少しでも出すために仕事に集中しなければならないのは分かってる。
「おーと岡藤。ここで決めポーズだー。」
さぁみなさん。来ますよ。必殺技が。必殺技は必ず殺すから必殺なのであって猫面レスラーが回避する術はないのですよ。パイルドライバーって言ってもマットに首を突き刺しているわけではなく、1センチの命を守る空洞がある。この空洞はズルではない。プロレスがプロレスであるための必要な空洞なのだ。これをあーだこーだ言ってくる外道はお礼にマジパイルドライバーをお見舞いしよう。
「岡藤が猫面を持ち上げたー 来るぞパイルドライバーーー」
岡藤がマットに向かって俺の首を突き刺すように見せる。いつもはここで痛がる素振りをしてカウントのパターン。
「ウグッ」
しかし岡藤の手は1センチの空洞を破り、地面へ墜落した。よく見れば岡藤は手を滑らしている。俺は首を地面に強打した。
俺はその場に仰向けになって倒れてしまった。観客はどうやら気づいていない。岡藤だけが青ざめた表情でこちらを見てくる。俺は遠のく意識の中でゴングの音を聞いて目を瞑った。
「カーン!」
―――――――――
「ファイト!」
脳内で目覚まし時計のように何度も呼びかけてくる。俺は確かリングで倒れたはず。脳内にまで入ってくるということはよっぽど嫌だったに違いない。
今は自然と首の痛みも取れて快適だ。なんとなくだが、目も開けられる気がする。おそらくここはあの世なのだろう。あの世ならいっそう何もしたくない。しかし思いとは裏腹に脳内で永遠にファイトしている。ええいうるさいんだよ。もう俺はプロレスラーでもない。だからやめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。
「やめろよー!うるさいんだよ!いい加減に…」
目が開いた。そのことが薄く感じられるくらい驚く光景が目の前に広がっていた。どうやら俺は異世界に飛んだらしい。そして今俺は熊とプロレスしてるらしい。
ツッこむ暇もなく、熊は鋭い爪で俺を仕留めにかかる。リングの外には客席があり、猿やライオン、ウサギといった動物たちが飛ぶように熱狂している。このよくわからない夢のような世界はプロレスラーにならなければ混乱してその場に倒れていただろう。
でも今俺に技の指示だったり、勝ち負けの指示をする輩はいない。ということは俺が主役。初めての気分でアドレナリンがムンムンに沸き出てくる。俺は目の前の怪物にこれまでできなかった華やかな技を繰り出していった。ラリアット、ムーンサルトプレス、パワーボムなどなどあらゆる技を繰り出した。俺が技を出すたびに客は盛り上がり、歓声を上げる。気分がとてもいい。
「よっしゃーこれで決めるぜー」
俺はずっと温めてきた必殺技を繰り出した。その技は……
「おーとここで人間の卍固めだー」
熊に卍固めを決めるものを今まで見たことがあろうか。熊はどうにかロープに逃げようとする。しかし、力尽きた。
「カンカンカン! 勝者人間!」
観客は立ち上がりスタンディングオベーション。中には銭を投げるものもいた。俺は熊と握手をしてリングを後にした。
そしてリングを出て振り返る。そこにはリングなどなく、強靭な爪を持つ熊が関節がおかしな方向に曲がったまま死んでいた。辺りはものものしく獣の匂いが風を伝っていった。
次のゴングは異世界で鳴る 古びた望遠鏡 @haikan530
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