第7話 悪いこと

「……この漫画の原作、本当に歌弥さんなんですか?」


 持ち込んだ漫画三冊を読み終えて、歌弥さんに小声で尋ねた。なお、ずっと俯せだと疲れるので、俺も歌弥さんも姿勢を変えつつゴロゴロ。今は仰向けに寝そべってる。


「うん。そうだよー。何か証拠見せた方がいい?」

「いえ、そういうのは求めてないですけど……すごいなと思って」

「それは、面白かったってこと?」

「……はい」

「おおー、そっかそっか。それは良かった。ちなみに、秋夜君は普段どれくらい漫画を読むの?」

「……中学の頃は結構読んでましたけど、高校生になって以降はかなり減りました。勉強しないとって思っていたので……」

「なるほどなるほど。少なくとも中学までは読んでいたってことは、ちゃんと面白かったってことだねー。よかったぁ」


 にへら。

 歌弥さんが安堵の微笑み。近くで笑われると……破壊力が強い。


「……面白かったとか、言われ慣れてるんじゃないですか?」

「まーねー。そういう感想もたくさん見てきたよ。同時に、つまんねー、っていう感想もたくさん見てきたよー」

「そうなんですか?」

「うん。全ての人にとって面白い物語なんて存在しないから、それは仕方ないことなんだよ。スイーツが嫌いな人だっているくらいだし、これはもう仕方ないことだよー」

「……面白いのに」

「それはあくまで秋夜君の感想だからさ。ちなみに、どういうところが良かったー?」

「高ランクのモンスターと一緒に、普通の人にはできないことを自重なくやっていくのが痛快です」

「おおー、素直な感想だ」

「そうなんですか?」

「うん。見てほしいところを素直に見てくれた感じ。……秋夜君の心の根っこの部分は、素直なのかもしれないねー」

「その口振りだと、俺はひねくれてるように見えてるってことですか?」

「すこーしばかりこじれてるよね。受験失敗の影響かなー? それは自覚あるでしょ?」

「……まぁ」

「拗れてるとしても、腐ってはいないみたい。良かったねー」


 歌弥さんが左手を伸ばし、俺の頭を撫でる。気恥ずかしい。


「……子供扱い、やめてくださいよ」

「嬉しいくせにー」

「嬉しくは、ないです」

「そっかそっか。こういうときは素直じゃないなー」

「……悪かったですね」

「その反応も、高校生っぽい」

「……本当に、悪かったですね」

「悪くないよ。可愛いなぁって思っただけ」

「子供扱い、やめてください」

「あーあ、いじけちゃって」


 くすくす笑いながら、歌弥さんが手を引っ込める。別に、惜しくなんてない。よな?


「秋夜君は、子供扱いしてほしくないんだよね?」

「だから、なんですか?」

「大人への一歩、踏み出してみようか?」

「どういうことですか?」


 歌弥さんが半身を起こし、かと思えば、俺の上に覆い被さってきた。


「な、なんですか?」

「あたし、若気の至りって言葉が好きなんだよね。そう言っておけば、大抵のことは許される気がするから」

「……ええ。それで?」

「たまたま見かけた男の子とカラオケに行って、食事をして、一緒にネカフェで泊まって。なかなかいい若気の至りじゃない?」

「……ですね」

「ここからさらに、こういうことをしたら……もっといい至りだと思わない?」


 とめる間もなく、いや、とめる気持ちなど起きる前に、歌弥さんが俺にそっとキスをしてきた。

 唇を触れ合ったと思った瞬間に、その唇は離れていった。

 一瞬だったはずなのに、確かに残った柔らかな感触。人の唇って、こんなに柔らかいのか。


「秋夜君は、初めてだよね?」


 歌弥さんは、俺の耳元に口を寄せている。吐息の混じるその声に、ぞくぞくした。


「……そうですよ」

「どうだった?」

「……びっくりしました」

「何それ? キスの感想じゃないでしょ」

「でも……それ以外、考える余裕ないです」

「そっか。いい反応だね」

「なんで……なんで、キス、したんですか」

「君を壊したくなったんだ」


 昼間の明るくて緩い雰囲気はどこへやら、悪魔のように甘ったるい声だ。


「……壊したく、なった?」

「生真面目で退屈そうにしている秋夜君を、一度完璧にぶっ壊して、どうなっていくか見てみたい」

「……どういう感情ですか」

「好奇心。作家っていうのはね、普通の人にはちょっぴり理解しがたい好奇心を持っていることがあるの。全ての人がそうとはもちろん言わない。意外と普通の人もたくさんいる。……そんな中で、私はちょっぴり好奇心が旺盛な部類なんだよ」

「……そう、ですか」

「ねぇ、秋夜君。あたしと、少しだけ……悪いことしようか?」


 甘すぎる囁き。抵抗する気力も、拒絶する気力も、根こそぎ全部奪われてしまう。


「沈黙は、イエス、ってことだよね?」


 空気が擦れるような歌弥さんの笑い声。耳から入って全身に響きわたり、俺を脱力させた。

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