奇塔転生

華川とうふ

転生

第1話 転生

 小生はかめのあたま      ネ申      である。

 名前は「まらさま」と言う。


 なんでこんなことになっているのかはよく分からないが、虹子はそう小生のことを呼んでいる。

 森の中で自分が誰かも分からなくなっていたところを、虹子に拾われた。

 なので名前くらい虹子の呼びたいようにすればいい。

 どうせ本当の名前なんて思い出せないのだから。


 虹子は可愛い。

 夜を紡いだような真の闇とは言い切れない艶やかな黒髪に、無邪気そうな大きな瞳には星屑がちりばめられていた。

 その黒をより輝かせるのがその白い肌である。

 その肌は冬の青白い月と同じ輝き方をする。すべての人を魅了するが、誰にも手を伸ばすことができない。そんな美しさをたたえていた。

 小生のことなんかを森で拾ってくれたのがいまだに信じられない。

 屋敷の中から一歩も外にでたことがないのではないかと思うくらい白く無垢だった。


 虹子はおそらくとても大事に育てられている。

 自分が誰かもよくわからないのにも関わらず、そういう常識的な知識だけはなぜだか少しは持ち合わせている。


 虹子は紅い着物しかもっていない。

 それはたった一着の着物が紅色というわけではなく、何枚も与えられている着物がどれも紅色なのだ。

 おそらく、一般的な『お姫様』と呼ばれる少女なんかよりもたくさんの着物を持っている。

 毎日、違う着物なのだ。

 同じのを着ているのなんて、ただの一度も見たことがない。

 普通の人間は同じ着物を何度も着るはずだから、きっと虹子はとんでもなく特別な存在なのだろう。


 小生の世界はたったの三色で構成されている。

 ――赤。

 ――白。

 ――黒。

 つまり、小生にとっては虹子が世界のすべてだった。

 虹子と言う名前なのに奇妙なことだ。虹のように七つの色を持てばいいのに、虹子が持つのはたった三つだけだ。

 あんなにたくさんの紅は与えられるのに。

 そのアンバランスさも魅力にしてしまうのが、虹子の恐ろしいところでもあるが……。

 紅い着物を着た虹子が小生のことをそっとなでる。

 虹子の白い肌がほんのりと甘い香りを漂わせる。

 すりよってきた虹子の髪がそっと小生をくすぐる。

 虹子の紅い口が……。


「まらさま、おはようございます。今日もよい一日になりますように」


 そう言って虹子は手を合わせると去っていく。

 小生はまだ言葉がはなせないのだった。

 本当だったら虹子に色々聞きたいことがある。

 いったいここはどこなのか。

「時代は?」、「文明のレベルは?」、「日本を知っているか?」

 言葉がはなせたらきっと矢継ぎ早に質問してしまっていただろう。

 唾を飛ばすように話して、虹子は眉を顰めるかもしれない。

 そしたら、小生のことをもう「まらさま」なんてあの小さな可愛らしい口で言ってくれなくなってしまうかもしれないと思うと、もどかしい気もするがまだ言葉がはなせなくてよかったとも思う。


 なにか自分について思い出せるようになったら言葉をはなせるようになるのだろうか。

 虹子と話すのはまだ早い気もするが、いつか虹子と語り合い、ほほ笑みあいたいと思っている。

 おそらく、この感覚は「恋」というものにとても近いかもしれない。

 自分のことは思い出せないのにも関わらず、さまざまな恋の物語を目にしたような気がするのは、小生は多くの人にそんな願いをかけられたのだろうか。


 恋の願いが叶うと思って、虹子は小生をここにつれてきたのだろうか。

 虹子には思う相手があるのだろうか……もし、そんな相手が虹子にいるとして、そして小生にそれを叶える力があったとして……小生はその願いを受け入れるのだろうか?


 今の小生にはなにもわからぬ。


「まらさま、まらさま……」


 虹子が話しかけてくる。

 どうやら日が変わったらしい。

 薄暗い屋敷の中に何もせずにいると時間の感覚が全くない。

 さっき虹子が来たばかりのような気もする。

 それとも、人間とは違う時間の感覚なのだろうか。

 寿命によって時間の感じ方も違うという話を聞いたことがある。

 今日の虹子も美しかった。

 頬は桃色に蒸気して、目はいつもよりも潤んでいる。

「はあ、はあ……」と呼吸の音もいつもよりもはっきりと聞こえる。

 ようすがおかしい。


 いつもはそっと表面をなでるだけの指先が、そっと小生を絡めとる。

 強くはないが握りしめられると、少しだけ苦しさと切ないような感覚があった。

 熱をもった指先は微かに震えていた。


「……まらさま、お願いです。どうか……」


 虹子の紅い口から熱い吐息が漏れるが、言葉は続かない。

 そして、虹子はそのまま倒れた。

 祈るように両手を合わせ、体は胎児が母親の中で眠るときのようにまるまっている。

 虹子の指の間からこぼれた小生も床の上になげだされる。

 冷たい畳の感覚がなぜかとても懐かしかった。

 仄暗い部屋に畳の香りは妙に頭をしゃんとさせる。

 今までなかった現実感が小生のなかではっきりとした輪郭をもつ。

 何かを思い出しそうになるが、それを振り払うようにして集中する。

 虹子を助ける――。

 そう決意したとき、小生のなかに変化が起きた。

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