運命の出会い
分厚いコンクリートを四角形にくり抜いて作ったような、懲罰房じみた部屋だった。
出入り口のドア、天井にぶら下がる電球、真ん中に置かれた安っぽいパイプ椅子一つ以外何も無い、ひどく飾り気と情緒に欠ける一室。
その唯一の置物であるパイプ椅子に縮こまって座る、一人の少女。
少女の前に立つ少年——
「……
少女は唇と手を震わせながら、硬い声で返した。
「……知らない。あたし、ただ客引きやってただけだもん。あたしより……
「あいつも知らねぇって答えやがったよ。いや、あいつだけじゃなく、他の野郎も知らねぇってよ」
「じゃあ……なおさらあたしが知ってるわけない。あたしは被害者だもん。悪くないもん。だから、早くここから帰してよ」
ふてぶてしさを増してきた理恵の態度に、蓮の瞳が蔑みの色を強める。
「ざけんじゃねぇよ
蓮は吐き捨てるように言いながら、黒スーツジャケットの懐中から小さなチャック袋を取り出した。中には紫色のベーキングパウダーみたいな粉。
その粉——『ウロボロス』を見た瞬間、気力の失せていた理恵の目の色が激変した。
「う……ウロボロス!! ねぇ!? それ、ウロボロスでしょっ!?」
理恵は蓮の懐へしがみつき、媚びるような態度で必死に懇願する。
「それちょうだい!! どうせあんた吸わないでしょ!? ならあたしにそれちょうだいよ!! ねぇっ、お願い!! お願い!! おねがい!!」
蓮は虫を見るような目を向けた。
「なに? タダじゃダメっ? だったらあたしと一発ヤらせてあげ——」
「——お前もう永久に黙っとけや」
軽蔑と諦念に満ちた一言とともに、蓮のブローニング・ハイパワー拳銃が炸裂。
理恵は一発で眉間を撃ち抜かれて絶命。大きく仰ぐように椅子ごと倒れた。
遺体となった理恵に唾を吐きかけ、ドアを蹴っ飛ばしてその部屋を出た。
蓮が今いる場所は、
一昔前は繁盛していたが、スマホゲーが主流になった昨今では一気に客足が減り、やがて潰れた。
今は、定期的に変動する、『
半グレというのは、ヤクザのように、鎮座する拠点を持たない。拠点を絞ってしまうと、何かあった場合に警察が真っ先にそこへ押し寄せてしまうからだ。ゆえに半グレは、雲のように拠点を逐一移動させる。
書類の類も、現在はフラッシュメモリなどといった優れた大容量記録媒体があるため、段ボールいっぱいにかさばらせなくともほぼ手ぶらに等しい重さで持ち運べる。スマホも小さなパソコンのような進化を遂げているので、書類仕事やら何やらもそれで済んでしまう。
半グレは、社会の変化と技術の進歩によって、生まれるべくして生まれたのだ。
「……また殺したのか。これで全員だぞ、売人グループを詰問してぶっ殺したのは」
部屋を出て早々、
「殺すのは構わねぇが、後の事も少しは考えてくれ。ここは発展途上国じゃない。遺体を処理するのは面倒なんだからな」
「ふん、ヤクなんざばら撒くようなゴミ共、生きてたって仕方ねぇだろ。当然の報いだ報い」
「やれやれ。それで……どうだった? 何か聞き出せたか?」
「愚問だっつーの。「ヤクは卸したが、その「卸し先」のことは全く分かりません」だよ。クソが。久しく尋問なんていうらしくねぇ事したっつぅのによぉ。こんなだったら全員瞬殺しとくべきだったぜ。ブルシットジョブじゃねぇか」
今日の昼下がりの時間、蓮は『ウロボロス』の新たな売人グループを発見したという報せを聞いた。報告してきたのは神野だ。
蓮は即刻、その売人グループのタマリ場へと足を運んだ。
普段なら事務所やタマリ場に乗り込んで皆殺しにするのだが、今回はそうするまでもなかった。ほぼ全員、すでに去った「先客」によって半殺しにされた後だったからだ。
腕の関節を折られたり、顔面を蹴り潰されていたりと容赦は無かったが、それでも死人は一人も出ていなかった。
もしかすると、その「先客」が殺さずに放置した事には、何か「意味」があるのではないか——そんな根拠の無い予想を抱いた蓮は、ワゴン車で全員を連れ去り、「尋問」をした。
しかし、やはりめぼしい情報は得られなかった。
「めぼしい情報」とは、『ウロボロス』の「
潰しても潰しても、次々と現れる『ウロボロス』の密売組織。しかもそれらは全て派生組織とかではなく、お互いに何の縁もゆかりもないグループばかり。……どこにも属していない「卸売業者」がいろんなグループに配って回っているのだろう。
しかし、どれだけ調べてもその尻尾を全然掴めない。売人どもも一様に「詳しくは知らない」なので、いつの間にか「尋問」を面倒くさがって「殲滅」のみをやっていた。
今回は久しく「尋問」をしてみたわけだ。
けれど、やはり何も得られなかった。
得られたのは、幼少期に由来する胸糞の悪さのみ。
蓮は苛立ち任せに壁を蹴る。
「機嫌が悪いな。どうしたよレン坊?」
「……気にすんな。嫌な事思い出してただけだ」
神野は、蓮が今出てきたドアを一瞥し、無言で蓮へ向き直った。
母親のことか? ——無言でそう問うているのを察した蓮は、同じく無言で頷いた。
牛久保理恵は、母親によく似ていた。
薬による偽りの楽園に耽溺し、自分の価値と尊厳を自ら捨てて己を安売りし、己のした事に対する責任は持たない。持たない以前に責任と認識していない。
人間の女どころか、獣の雌としてすら哀れで低劣な生物。
母親にそっくりだ。
——蓮は、そんな「弱い女」が死ぬほど嫌いだった。
どんなに美しかろうと、蓮は「弱い女」を情婦としてしか見ない。
蓮とて男だ。女体を求める欲求はあるし、実際数えきれないほどの女を抱いてきた。その中には絶世の美女とも呼べる女も少なくなかったし、女達からは例外なく求愛をされた。しかし、誰一人として自分の隣に置いたことはない。
蓮は「強い女」を求めていた。
出来れば——『
強靭な肉体と、戦いを恐れぬ精神。
自分の母親のような惨めな生物には望むべくもない、そんな最強の女を隣に置きたい。
その女と己の遺伝子を掛け合わせて、さらに強い『戈牙者』を産ませたい。
『戈牙者』には、強い異性を求める本能がある。
自分にもまた、強い雌に自分の種を蒔きたいと思う、『戈牙者』の本能が存在している。
しかし、それは叶わない夢であるとも同時に思った。
今の女は弱すぎる。肉体的にもそうだが、精神的にも。
基本的に誰かに寄生することしか考えておらず、少しでも失敗を犯せば、途端に母親のような惨めな生物に成り下がるほど脆い。少し力や財力を見せつければ簡単になびいてくれるズベ公のような女ども。
そういう女を、蓮は山ほどその目で見てきた。
蓮は舌打ちし、叩くように壁へもたれかかった。
「そうカッカするな、レン坊。——悪い話ばかりでもないぜ?」
「あぁ?」
機嫌悪く神野の方へ向く。
神野は、ハンディカムビデオカメラを持っていた。
今やスマホでも良画質の動画が取れるため過去の遺物となったように思われているビデオカメラだが、動画配信者の間ではスマホと接続できるタイプが今なお使われている。外観に傷がついていないところを見ると、きっと最高画質でかつスマホとともに使えるタイプだろう。それ以外を買うメリットはほとんどない。
「こいつは、あのヤクの売人グループの部屋で見つけたモンだ。部屋の広間の全体を
「……俺は児ポルで興奮するような変態じゃねぇぞ」
「そんなんじゃねぇから。まず見てみろよ、レン坊」
言われた通り、蓮はハンディカムビデオカメラの電源を入れ、中に入っている唯一の映像データを再生した。
小型のスクリーンに映し出されたのは、最高画質の映像。絨毯以外何も無い広間に立つ、たくさんの男達。それらを
どたどたというせわしない音とともに廊下から出てきたのは、三人の男女。サングラスをかけた、
「……んだとぉ?」
サングラス男に捕まったまま引きずり込まれた、一人の娘。
その女の顔に、蓮は見覚えがあった。
なるほど、こいつが
であれば、こいつらを半殺しにしたのは常春だったか。奴は温厚だが、それは自分のテリトリーを荒らされなかった場合の話だ。自分の身内に手を出されれば迷わず報復しに来る。そういうタイプだ。
——しかし、そんな蓮の予想は、すぐに裏切られた。
「何ぃっ……?」
頼子が抵抗を見せた。
最初は素人丸出しおっかなびっくりな動きだった。
けれど、再生時間が続くにつれて、頼子の動きに含有している素人らしさが急速に減っていく。まるでただの木材が削り取られ、人を刺し殺せる鋭利な形へと尖っていくかのように。
そして——尖った。
サングラスの男に一発殴られた途端、頼子の周囲を取り巻く気配が劇的に変わった。
そこから先の頼子の立ち回りは、見事と言わざるを得なかった。
敵をより効率的に痛めつけ、短時間で沈める攻撃。
多対一において理想的な自己配置の移動。
何より……それらを平然とやってのける残酷さと胆力。
多くの鉄火場をくぐり抜けた蓮をして、「素晴らしい」と思わせる戦いぶりだった。
やがて、ずっとラリって寝転んでいた牛久保理恵が、ナイフを片手に憤然と頼子の前に立ちはだかった。……大人しくしていれば、狙われずに済んだかもしれないものを。度し難い状況判断能力の低さだ。
理恵が突き出したナイフの刀身を、頼子は右手で掴んで受け止めた。手が血まみれであることにも
そのまま二人でしばらく立ち尽くしてから、寄り添った状態のまま部屋を出た。……蓮が駆けつける間、パトカーのサイレン音の一つもしなかったのは、常春が通報することをためらったからだろう。この売人グループの所業を訴えれば『ウロボロス』のことは公になるが、代わりにこの連中を半殺しにした頼子まで罪に問われかねない。ナイフを持って襲ってきた相手を返り討ちにしても正当防衛が成立しにくいのが、この国の法律の腐った部分だ。
後に残ったのは、蓮が駆けつけた時に広がっていた雑魚寝のありさまそのままだった。
——このありさまを作ったのは、常春ではなく、頼子だった。
いや、そもそも「常春が報復した」と仮定して、この程度で済んでいることの方がおかしいのだ。常春ほどの男が本気で暴れたならば、こんな生易しいありさまでは済まないだろうから。
そこまできて、もはや見る必要無しと判断した蓮は動画を止めた。
「…………どうなってやがる」
我知らず、蓮はそう独りごちた。
頼子の動きは、自分や常春よりもずっと未熟だ。武術家としての練度の裏付けが足りない。
問題なのは「そこ」ではない。
自分が最後に頼子を見たのは六日前だ。
あの時の頼子は、どう見ても素人丸出しの小娘だった。一気に近づいて瞬時に殺せるほどの。
そんな小娘が、自分よりも大柄な男十人以上を相手に戦い、勝利した。
たった六日で、あそこまで強くなった。
いや……違う。あの戦いの中で、急激に進化したのだ。
まるで地を這うイモムシが、
無理だ。そんな人間、出来の悪い漫画の中でしか出てこない。
まして、現実の人間に、そんな成長はあり得ない。
普通の人間ならば。
つまり、頼子は普通ではない。
普通ではない人間。
「まさか、この女…………『戈牙者』か」
蓮のかすれたような発言に、神野は我が意を得たりとばかりに頷き微笑した。
「俺もそう思う。俺もこの女を見たのは六日前だが、あの時のこいつは、こんな戦い方が出来るようなタマには見えなかった。どこにでもいる平凡なお嬢ちゃんって感じだった。それが「コレ」だ。……俺はお前ほどの眼力はねぇが、これでもヤクザ者だった身だ。弱い奴が土壇場でキレて強くなるなんざあり得ねぇってことくらい、分かる。つまり——そういうこった」
「弱い奴」ではないということ。
技術的に、経験的に未熟でも、その「血」と「肉」は、人類としては規格外のレベルで「強者」であるということ。
生まれついての戦争屋。
すなわち、『戈牙者』。
「お…………」
蓮は、己の体幹が打ち震えるのを実感する。
歓喜で。
「——ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」
まるで爆風のごとき『気迫』が、蓮を中心に周囲へ発散された。
神野は台風にあおられたように吹っ飛ばされ、転がった。地下ゲーセン跡地内の全てのドアが、ビリビリと震える。
その『気迫』は一分ほど続き、やがて収束した。
しかし蓮はいまだに興奮冷めやらぬまま、神野へ振り向いた。……その右手に持っていたハンディカムビデオカメラは、プレス機で潰されたように破損していた。
「おい神野ちゃん!! 新しい仕事が出来たぞ!! 今すぐこの頼子とかいう女の情報を集めろや!! 可及的速やかになぁ!!」
「……もう遅いだろう。明日からでも良いんじゃねぇか?」
「るせぇ!! 待ってられっかっての!! あの女、とっとと俺のモンにすんだよ!! ——『戈牙者』ってだけでも今どきじゃ貴重だってのに、その上「女」ときたもんだ!! これを逃せば、もう一生出会えねぇぞ!!」
誕生日プレゼントを待ちきれない子供のようなはしゃぎ方をする蓮。
対し、神野は微笑を浮かべた。
自分の思い通りに動いてくれた子供を見るような、そんな微笑を。
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