アニオタ、反社にスカウトされる

「あぁ、お茶はいいんで。お構いなくなぁ」


 ソファの一つにどっかり座ったれんは、手を振りながらそうのんびり告げてきた。……さっきまで殺し合った相手の家で普通にくつろいでいる。


 蓮の隣には、もう一人が立って控えていた。蓮との攻防が終わった後に玄関から入ってきて、大暴れした蓮をたしなめていた眼鏡の男だ。


 長身でスラッとした体格にスーツをしっかりと着た弁護士風の若い男。だが一見知的そうに見える面長の顔立ちの額には、横一線に傷がある。……蓮はこの男を「神野かんの」と呼んでいた。


 二人が室内で平然と靴を履いているのを、テーブルを挟んで対面したソファに座る常春とこはるはため息混じりで指摘した。


「……その前に、靴を脱いでもらいたいですね」


「そりゃ無理だねぇ。素足が剥き出しになったら落ちてるモノ踏んで刺さるかもしれねぇし、靴履いてた方が蹴りの威力が高いしなぁ。兵法だ兵法。まぁ、じんの奴は素足の方が蹴りの威力がすげぇけどな。あいつの蹴り、畳ブチ抜けるんだぜ? ヤベェよな」


 仁の名前を当然のごとく出してきたことで、やはりこの少年が『唯蓮会ゆいれんかい』のボスなのであるということを再認識する常春。


 頼子よりこは、カウンターの向こうで彫像のごとく立ち尽くしている。どうしていいかわからなくて、もう料理どころではないのだろう。


 そんな彼女を一瞬見やってから、常春はまっとうな疑問を蓮にぶつけた。


「……それで? どうして僕の住所をご存知で? まさか東恩納ひがおんなさんから聞いたとか」


 蓮はハハッと愉快そうに笑って否定した。


「違う違う。仁から教えてもらったのはお前の名前とガッコだけだ。ヤサのありかは冨刈とみがりの教師から聞いた」

 

 常春が意外そうに目をしばたたかせた。「何ですって?」


町田まちだっつったか。奴はひでぇパチンカスでよ、パチ屋で金擦りまくった挙句、俺らがケツ持ってるサラ金から借金してんだよ。借金の利息を軽くしてやる代わりに伊勢志摩いせしま常春の住所教えろやって言ったらあっさり教えてくれたよ。守秘義務も何もあったモンじゃねぇなぁ。ま、日本の教師なんざそんなもんか。刹那的バカばっかだもんなぁ、あいつら」


 蓮の言葉に、最っ低、と小さく呟く頼子。町田に対しての言葉だろう。


「お前もよ、教師どものクソバカっぷりはよく分かってんだろぉ? せっかく女助けるために拳を振るったってのに、クソバカ校長のせいでこんな目にあってるんだ。辛かったろぉ? 俺だったらブチ切れて校長の顔面潰してるね。大した忍耐だ」


「……それも町田先生から?」


「おうよ。あの野郎、口が軽すぎんぜ。あんなんでも教師になれんのかって感じだ。だけどよ伊勢志摩常春、溜飲を下げてくれていいぜ? ——そのクソバカ校長は「闇の集団」が半殺しにしてくれたからよ」


 いきなり何を言ってるんだ? 常春は思う。


「俺はなぁ、非現実的な綺麗事で暴力を否定する奴が死ぬほど嫌いなんだ。あいつらが否定する暴力には。犯してくる暴力だけでなく、それに対抗するための暴力までも否定しやがる。まったくもって胸糞が悪ぃ。そんな事ぬかしやがる奴は、全員無抵抗でぶっ殺されてくれりゃいいのに…………そんな俺の切なる願いを聞いた「闇の集団」がな、そのクソ校長を闇討ちしてくれたのよ。はははっ、良い薬だわな。対抗する暴力すら否定したおかげで足の骨折られてやんの。歳もあるし、ありゃ半年くらいかかるかもなぁ。これで少しは自分の馬鹿に気付けたんじゃねぇか? ま、に俺はチップを乗せるがね」


 そこまで聞いて、常春は確信した。


 おそらく、蓮は襲わせたのだ。校長を。部下に命じて。


 それを、言っている。


 彼の弁舌は続く。


「古今東西の人の歴史は「暴力の歴史」と言っても過言では無い。人の歴史は暴力によって形作られた。儒教でも「易姓革命えきせいかくめい」という言葉で、腐った王朝を暴力で打倒することを肯定している。今の世界で「最も温情ある政治体制」みたいに扱われている民主主義も、もともとは暴力を用いた市民革命を種として生まれたものだ。…………分かるか? 人類史と暴力は不可分なんだよ。にもかかわらず、この国の連中はこの事実をわきまえていない。あるいは意図的に目を逸らしている。自分の安寧が生まれた時からくたばる時まで無条件で担保されていると本気で思ってやがる。黙って屠殺されるのを待ってる豚やニワトリと何が違うよ? だから俺は暴力を否定する人間を「人間」とは認めねぇ。そんな奴らは豚だ。そうは思わねぇか? 伊勢志摩常春」


「……一理ある、とだけ」


 実際、常春もそのことで校長に憤慨したのだから。


 温情たっぷりで立派な金言を述べているように見えて、頼子という生徒のことを何一つ思っていない、大人達の浅慮さに。


 蓮は我が意を得たりとばかりにニィッと微笑する。


「やっぱりお前とは仲良くなれそうだ、伊勢志摩常春。そろそろ本題に入ろうじゃねぇの。——?」


 頼子が息を呑む声。


 常春は驚かない。ただ蓮の話に耳を傾け続ける。


「お前のその卓越した武術の腕前は、あんな豚どもの群れの中で腐らせるためにあるんじゃない。豚には豚の、優れた人間には優れた人間の居場所があるはずだ。……お前は後者だ。一騎当千の実力を誇る「選ばれし者」なんだ。俺が、お前のための「居場所」を用意してやるよ」


「……買いかぶり過ぎでは?」


「果たしてそうかな」


 蓮がそこで言葉を止めた途端。






 『気迫』が爆発した。






「きゃぁっ!?」「ぬぅっ……!」


 まるで雷が間近に落っこちたような、強烈なショックと勢い。頼子と、蓮の付き添いの神野という男が大きく体勢を崩した。


 しかし、常春は体どころか、眉すらも動かさなかった。


 その様に、蓮は嬉しそうな笑みを見せた。


「……大したもんだな。仁は俺の「気」を受けても体勢を崩したりはしなかったが、全くのノーリアクションだった奴は滅多にいない。それが、こんな小僧ときたもんだ。——賭けてもいい。お前はやはり、俺の『同胞はらから』だ」


 蓮の『気迫』ですら動かなかった常春の眉が、明確にピクリと跳ねた。


 ——その反応に、蓮は自分の中の確信をさらに確固たるものに感じつつ、それを口にした。










「伊勢志摩常春、お前は————『戈牙かがもの』だろう?」









 常春は答えない。


「かが、もの?」


 代わりに、頼子がたどたどしく、蓮の口にした単語をそらんじた。


 単語の意味を知らぬ頼子に説明するためか、あるいは単なる気分ゆえなのか、蓮はとうとうと語り始めた。


「——十三世紀後半、「元寇げんこう」という大きな戦が日本で起こった。大陸を広々と侵略しまくって、世界史上最大の版図を得たモンゴル帝国の大群勢が、日本にも押し寄せてきた話だ。鎌倉の侍達と、ほとんど国家総動員に近い形で駆り出された兵達の決死の奮闘によって、日本はモンゴルという最強国家を相手に「護国」を成し遂げた。それも二度もな。モンゴルの侵攻を食い止められたのは、アジアじゃベトナムと日本だけだ」


 だが、と区切りを設け、蓮は続ける。


「日ノ本の今後を憂う一部の有志達は、日々進化し続ける外夷がいいの軍事力に、強い危機感を抱いた。元寇は二度防げた。しかし二度あることが三度目、四度目と続く保証はどこにも無い。これからまたやってくるかもしれない侵略者にどうやって太刀打ちするべきか、有志達は考えた。そして連中の導き出した答えは——「人間を育てること」だった」


 蓮は、常春を見つめる目をいっそう強めた。虎のような瞳と、宇宙のように黒い瞳が視線を合わせる。


「産まれてから闘争が身近にある環境に身を置かせ、幼少期から死と隣り合わせの修練に身を投じさせ、戦士として優れた男女同士を交わらせ、より戦士として適正の高い個体を「生産」する——そんな純粋培養の環境で戦士を育成するシステムを、連中は作った。それによって生まれた戦闘集団は『戈牙かが』と名付けられた。その『戈牙』の戦士は、時代を経る過程で『戈牙者』と呼ばれて恐れられるようになった」


 まるで己の武勲をひけらかすように、蓮の口調が弾みを帯びてくる。


「『戈牙者』の戦闘力は圧倒的だった。屈強な肉体、卓越した殺人技能、驚異的な自然治癒力、殺し合いを楽しめる強い闘争本能……まさしく戦いの申し子だ。戦国時代では、多くの大名がこぞって戈牙者を配下に加えた。江戸時代でも、幕府は公儀隠密として戈牙者を雇った。幕末では倒幕派の破壊工作に協力し、明治時代以降も政権と戈牙の癒着は続き、日清戦争、日露戦争、そして先の世界大戦…………鎌倉時代以降の日本史の裏側には、必ずと言っていいほど『戈牙者』の存在があった。だが、先の大戦で日本は負けた。その後、GHQの日本解体政策によって、『戈牙』は政府との癒着を断ち切られた上で解体された。あのアホな戦争によって、世界最強の戦闘集団『戈牙』の歴史は幕を下ろした」


 しかし、蓮の虎じみた瞳は、輝きを一層強めていた。


 子供のようにはしゃいだ口調で、蓮は言った。


「——だが、戈牙の里は壊滅しても、。戈牙者は里の中で過酷な修行をしていただけじゃねぇ。ときどき里の外に出て、戦士として優秀な人材を探して里へ引き入れたり、もしくは現地で子を成していた。つまり、だ。それによって、いったい何が起こったと思う? ——日本人、もしくはその血を引く人間の中に、「先祖返り」という形で戈牙者の遺伝子を獲得し、生まれながらに驚異的な武芸の才能を得る者がごく稀に現れるようになっちまったのさ。


 蓮は素早く懐からハイパワー拳銃を抜き、常春へ発砲。


 しかし、常春は全く動じなかった。銃弾は常春の耳元をギリギリで通過し、壁に直撃した。……、動かなかったのだ。


 ——蟷螂拳には『十二字訣じゅうにじけつ』という、十二の体術の要訣が存在する。


 今、常春が用いたのは、そのうちの一つである『』の応用だ。

 今まさに攻撃してくる相手の「気」のベクトルを読み、そのベクトルから我が身を逃すことで、ワンテンポ速い高度な回避を実現する技術。 

 それを応用すれば、先んじて動くことで銃弾さえも回避できる。


 心底愉快そうに破顔し、興奮気味に蓮は立ち上がった。


「くくくっ……その若さで、これほどの強さを手に入れられる人間なんざ、『戈牙者』以外にあり得ねぇ! お前は間違いなく、俺と同じ『戈牙者』! 護国の意思が生み出した怪物! 戦いと殺しに特化した最強の人類! 「選ばれし者」なんだよ!」


 そううそぶく蓮を、しかし常春は表情を変えぬまま見つめていた。


「俺の母親はとんでもねぇ糞女でな、情緒不安定で男に依存がちで、母親らしい事なんざほとんどしてくれなかったもんだ。取り柄といったら男相手に雌猿みてぇによがって見せることくらい。その過程で生まれた鬱憤の主な捌け口は俺だった。よく背中に根性焼きをされたもんだよ。挙げ句の果てにヤクなんぞに手ぇ出して、それでできた借金を返すために俺の内臓パーツをヤクザに売ろうとしやがった。まごうことなき糞女だ。だが……その糞女は俺に『戈牙者』の遺伝子をくれた。糞女のものか、糞女に種付けした男のものかは知らんが、この恩恵を与えてくれたことに関してだけは、感謝の言葉も無ぇ」


 蓮は、開いた手をぐっと握りしめる。まるでその手の中にある「何か」を掴み取るように。


「俺は、生まれ持ったこの力をもって、この国の裏社会に君臨してみせる。この腑抜け腐った社会で豚のように暮らす愚民どもを、裏から飼い慣らしてやるのさ。表の世界の連中から煙たがられた俺のこの「武」の才能で、表の連中を支配してやる。その邪魔をする奴らは、誰であろうと排除する」


 そう言うと、蓮は親愛の笑みを浮かべ、握った拳を開いてその手を差し出した。


「伊勢志摩常春——俺のところへ来い。最強の遺伝子を持ち、なおかつそれを腐らせずに育て上げたお前には、その価値が十分にある。俺と一緒に「くにり」をしようじゃねぇの」


 常春の見立てでは、蓮の瞳にはかりごとの意思は感じられない。


 その虎のような瞳には、純粋な好意が輝いている。


 本当に嬉しいのだろう。自分の『同胞はらから』と出会うことができて。


 飛び抜けた才能というのは、名誉とともに孤独がつきまとう。


 しかし、同じ立場の人間に会えば、唯一無二の親友同士になれるだろう。


 だが、本当に申し訳が無いけれど——その親愛に、自分は答えることはできない。


「お断りさせてもらう」


 常春はそう断言する。


 蓮は、親愛の笑みを曇らせる。かと思えば、説得するような口調で言い募った。


「おいおいおい、分かってんのか? お前にはお前が生きるにふさわしい世界があるって言ってんだぞ? 俺がその世界を用意してやるって言ってんだぞ?」


「僕にとって相応しい世界がどこなのかは、僕が決める。あなたが押し付けることじゃない」


「だが少なくともそれは今の世界じゃねぇはずだ! 女を守ったお前に不適当な処罰をしやがった校長も、我が身可愛さでお前の個人情報を漏洩させた町田も、何も知らずにお前を不当に腐し続ける学校のクソガキどもも、みんな「豚」だ。どうしようもねぇ愚民だ。そんなくっせぇ世界なんかとっとと捨てちまえ! そんな場所にいつまでもとどまってると、お前のその素晴らしい力も使われる事なく腐っていくんだぞ! そして心も! お前そんな人生でいいのかよ? 何のために生きてんだよ、お前はっ!」


 怒るというより、説教をするような、激しくも抑制された口調。


 しかし、常春の胸にはやはり響かなかった。


 。この男の発言は。


「『日常』を楽しみ、時にそれを侵してくる者を排除する——それが僕にとっての「武」の意味であり、生き方だ」


 常春のその答えに、確固たる響きを感じた蓮は一瞬、たじろぐ。


 たたみかけるように、常春は己の知る限りの理不尽を言い募った。


安西蓮あんざいれん、あなたは直接その目で、耳で、鼻で感じたことがあるか?

 五十口径の機関銃で撃たれた人間が、赤い煙になるところを見たことがあるか?

 人体が木っ端微塵に砕けるところを見たことがあるか?

 砕けてぶちまけられた「中身」を見たことがあるか? 

 そこから漂うアンモニア臭を嗅いだことがあるか?

 四肢を欠損した人間が発する、鼓膜を突き刺すような絶叫を聴いたことがあるか?

 いつ来るかも分からない空爆に怯えながら暮らす人々と、一言でも言葉を交わしたことがあるか?

 時の女性のおぞましい悲鳴を、聴いたことがあるか?

 ——僕は、全部知っている。そういった理不尽を見て、聞いて、嗅いだ」


 心の奥底にある「古傷」が、ズキリと痛む。……


「力が無ければ、確かに『日常』は守れない。だけど——その力を自分勝手に振るった結果になるか、それもわきまえなければならない」


「はっ。弱い奴のことなんか知るかよ。弱肉強食。それが千古不易のこの世の真理だろうが。俺は弱い奴が大嫌いだ。弱い奴は勝手に野垂れ死んでカラスの餌にでもなりゃいいんだ」


「——その発言そのものが、僕があなたを袖にする理由だと思え」


 蓮はカッと眼を見開き、ハイパワー拳銃の銃口を常春へ向ける。


 しかし、やはり常春は動揺も怯みも見せない。


 この小僧を殺すことは容易ではない。難しいどころか、自分が逆に殺される可能性だってある。訓練された『戈牙者』同士の戦いだ、どうなるかは全くの未知数。


「レン坊。もうよせ。今日はもうここまでだ。この坊主がお前と同じ『戈牙者』だと確信できただけで、今は良しとしとけ」

 

 極め付けは、ここに来てようやく口を開いた神野の静止。


 蓮は舌打ちしてから、ハイパワーを引っ込めた。一度深呼吸して、昂る「気」を沈める。


 神野は懐から長い封筒を一つ取り出し、テーブルに置く。中には一万円札が、軽く目算して二十枚以上は入っていた。


「こいつは銃で壊した窓やら壁やらの修理費だ。余ったら懐に納めて構わねぇ。とっときな。——行くぞ、レン坊」


 二人の男は、玄関へと歩き出す。


 蓮はまた何か言いたげに振り返ったが、すぐに前へ向き直る。


 二人のヤクザ者が玄関から出て去った後、ようやく伊勢志摩家に普段通りの空気が戻った。


 常春は、カウンター向こうの台所で呆然と立ち尽くす頼子の方を向き、何事もなかったように笑顔で言った。


「ところでさ、ご飯まだかな?」


 それどころじゃないでしょ、と突っ込む余裕すら、今の頼子には残っていなかった。

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