日常系アニメとカマキリ拳法

新免ムニムニ斎筆達

伊勢志摩常春というアニオタ

 伊勢志摩常春いせしまとこはるは、「日常系アニメ」をこよなく愛するアニオタだった。


 己の金と青春と人生を、「日常系アニメ」という特定のアニメジャンルに費やすことを惜しまない、生粋のオタクだった。


 日常系アニメ……可愛くて個性的な女の子達が、ただ平和な「日常」を過ごしていくだけという、穏やかなアニメジャンル。


 「脳死系」「美少女動物園」などと揶揄され、海外のアニメファンからの人気もいまひとつなジャンルだが、常春はその日常系がどのアニメジャンルよりも好きだった。


 そこには、人類の「理想」があるからだ。


 美少女達がただひたすら平和にキャッキャウフフして、時折専門知識にも触れながら、百合の一歩手前くらいの友情を築いていく…………そう、平和なのだ。ただひたすらに平和な「日常」がそこにはあるのだ。


 現実の人間社会も、このように万事平穏な「日常」であるべきなのだ。


 しかし、現実がそう甘くないということも、常春はよく知っていた。


 頭のおかしい独裁国家がバッティング感覚で弾道ミサイルの実験を繰り返したり、

 民族や宗教の相違から戦争を起こしたり、

 領土的野心に駆られた愚かな指導者が侵略を仕掛けたり、

 ネットに出回る過激な思想に毒されて過激な活動に走ったり、

 衝動的に銃乱射事件を起こしたり、

 痴情のもつれで恋人を刺し殺したり、


 とかく現実は、平和のままではいられない。


 


 そして令和某年五月十日午後四時——下校中だった常春もまた、「非日常」を目の当たりにしていた。





「ちょっと、離してよ! この変態!」


 人通りに乏しい、高架線下の歩行者トンネル前。怒気と焦りを孕んだ女の声が響いた。


 高架橋のコンクリート柱に背を預けているのは、一人の女子生徒だった。


 一目で「美人」と形容できる美貌の持ち主。しかし瞳がやや吊り目っぽく、高い鼻や顔の輪郭のシャープさも相まって少しキツめな印象を与える。


 ブラウンが混じった長い黒髪が、着ているブレザータイプの女子制服の肩にゆるりと垂れ下がっている。常春と同じ学校——東京都立冨刈高校とみがりこうこうの女子制服だ。その制服はゆったりしたブレザータイプなので体の線が出にくいはずだが、それでも内包している曲線美は隠しきれていなかった。特に、ブレザーを山のように内側から持ち上げている大きく形の良い胸。


 少女と大人の女の間をとったようなそんな美少女は——それをコンクリート柱に扇状に囲んでいる四人の男にとってはさぞ美味そうに見えることだろう。


 四人とも、いかにも柄が悪そうな容貌と目つきをしていた。特に女子の片腕を掴んでいる男は、アフロヘアーという奇抜な髪型だった。


「いいじゃんかよぉ。ちょっと俺らと遊んでくれよぉ。ほら、あのビル! イカすだろぉ?」


「バッカお前、あれラブホじゃねーかよ! 下心丸出しだろこのドスケベ大魔王!」


「何、5Pとかしちゃうの? AVの見過ぎじゃね?」


「うはははは!!」


 女子は抵抗するが、四人にとってそれは児戯のようだった。仲間内で面白がってゲラゲラ笑っている。


(うわー。タチが悪いのに絡まれちゃってるなぁ)


 曲がり角から、常春はそんな現場を覗いていた。


(しかもあれ……確か、宗方頼子むなかたよりこさんだよね)


 直接面識があるわけではないが、それでも常春はその女子の名前と顔を知っていた。学校内で有名な美少女だったからだ。


 男子の間で秘密裏に行われたらしい非公式のミスコンで、ぶっちぎり一位を取った美少女。その大きな胸に顔を埋めたい男子多数。さらに、股間を踏まれながら「感じてるの? この変態」と蔑まれたい男子多数とのこと。これはひどい。


 おまけにスポーツ万能。去年の体育祭のクラス対抗リレーでは、ビリッケツだった六組を一位に逆転させたほどの俊足の持ち主。おまけに運動部からも助っ人を頼まれるらしく、正式な部員以上の活躍をたびたび見せ、勝利したとしても自分達の不甲斐なさで部がお通夜状態になるという。そのせいでいつしか助っ人を頼まれなくなったそうな。

 

 そんな美少女が今、大の男四人に絡まれている。


 しかもあの四人、昼間から酒を飲んだのか、顔が不自然に赤い。


 酒が入ると人は本能に素直になりやすい。


 性的であれ、暴力的であれ。


「ああもうっ……離しなさいよ、このバカ男っ!!」


「あだぁ!?」


 頼子の腕を掴んでいたアフロ男が、突然叫んで跳び上がった。アフロ男の脛を、頼子のローファーの爪先が蹴ったからだ。


(あ、やば……)


 硬いローファーの爪先部分を使ったローキックは痛々しく、確かに有効だろう。


 けれど、それ以降に何の攻撃もしないのなら、ただ火に油を注ぐ行為でしかなかった。相手が酒を飲んでいる状態ならばなおのこと。


 アフロ男は蹴られた脛を両手でさすってしばらく痛がってから、赤い顔をいっそう赤くした。怒り。


「っ…………てぇなぁっ!! 何しやがんだこのブスがぁぁぁぁっ!!」


 声が裏返るほどの怒声を吐きながら、アフロ男は拳を振り上げた。


 頼子はその拳と怒りの勢いに、キュッと目をつぶって身構える。


「ストォォ————ップ!!」


 そこで常春が、そう大声で叫びながら駆け寄った。


 反応したのか、アフロ男の拳が宙で止まる。四人全員が常春へ向いた。


 無論、全員好意的な眼差しではない。


「そんな、可愛らしい顔を殴ったら、いけない。跡が残っちゃうかもしれない。少し落ち着きましょう、ね?」


 常春は愛想笑いを浮かべ、やんわりと説得に入る。


 だが、聞き入れられるはずもなく。


「るせぇ!! テメェにゃカンケーねぇんだよ小僧!! 死にたくなきゃ消えろ!! こっちはナンパの最中なんだよボケ!!」


 アフロ男がそう胴間声で怒鳴り散らしてくる。


 が、常春はなおも柔らかく説き伏せにかかる。


「いや、ナンパは殴っちゃダメですよ。断られたなら次行きましょう、次。それを積み重ねた先に素敵な出会いが待ってるんですから」


「ウゼェよ、お前! 何でテメェみてぇなオタク野郎にナンパの指南されなくちゃなんねぇんだよ! この童貞が!」

 

 四人の一人がそう腐してくる。


 オタク野郎——確かにそう呼ばれるような風貌を常春はしているかもしれなかった。最低限に整えられた黒髪に、中学生っぽさがまだ残った童顔、綺麗に着こなされたブレザー制服……ここまでは普通だが、手に持ったナイロン製スクールバッグには、まるでセンザンコウのウロコのごとく大量の缶バッジがくっついており、それらには全て日常系アニメの美少女キャラクターがプリントされていた。異様な光景。


「いや、オタクだから童貞っていうのはいささか偏見が過ぎるんじゃ——」


 続きを言おうとするのを、アフロ男の胸ぐら掴みが封殺した。


「——おい、クソガキ。あんま生意気ヌカしたら殺すぞ? 殺されたくなきゃこれ以上喋んな。とっととウチ帰ってスマホゲーでもやってろや」


 左手で常春の胸ぐらを掴み、右手を拳にして間近で凄んでくるアフロ男。やはり酒臭かった。


 恫喝に慣れているのか、普通の人なら怯んで言うことを聞いてしまいそうなほどの圧力を感じた。それに腕力も普通じゃない。


 しかし、常春はなおも柔和に説得した。


「とっとと帰るのはあなた達です。……そうすれば、お互い傷付かずに済むんだから」


 頼子がひどく慌てた様子でこっちを見ている。なんとかしてあげたいけど、どうしたらいいかわからない……そんな態度だ。顔つきはキツめだけど、結構優しい子なのかもしれない。


 一方で、アフロ男は右拳を振り上げていた。


 石のごとく堅く握られた右拳が、轟然と常春の頬へ迫り、










 








 常春より頭一つ分ほど背が高い大柄な体が、まるで強風に煽られたダンボールのように飛び、転がり、仰向けで止まった。


「…………は?」


 仲間が突然吹っ飛んだことに、残った三人が呆けた声を漏らす。


 今、何が起こった? 風が吹いたのか? いや、十メートル以上人が吹っ飛ぶ風ってどんなだ。というか、それなら自分達も同じ方向へ吹っ飛んでいる。


 では自分で飛んだ? ますます意味が分からない。そんなことをして何の意味が?


 であれば、可能性が一番高いのは——三人は常春へ視線を移す。


 常春は、前に出した片足へ深く重心を乗せた立ち方をしていた。しかし上半身は何もしていない。右手に缶バッジだらけのスクールバッグを持っているだけ。


 いまだに、何が起こったのかは分からない。


 けれど三人はこれだけは理解した。——、と。


 三人の表情が、驚愕……困惑……不快感……怒りへと至る。


「……このガキャァ——!!」


 一斉に、常春へ迫った。


 まず一人が殴りかかってくる。しかし、力みの多い大振りのパンチなので全く遅い。常春が垂直に片足を蹴り上げる方が圧倒的に速かった。稲妻が昇るような蹴りで顎を打ち抜かれ、男が空を仰ぎ見ながらぶっ倒れた。


 もう一人迫る。ボクシングをやっているようで、パンチが速く鋭い。そんなキレのあるパンチを繰り返しながら足を進めてくるが、常春は軽やかに後退しながら全てのパンチを避け、絶妙のタイミングを見計らって風のごとく一歩踏み込み、肘を腹へ叩き込んだ。常春より十センチ近く大きなその男は、まるで空っぽの段ボールのごとく吹っ飛んだ。標識に背中を打ち、そのままぐったり動かなくなった。


 三人目は、すぐそこまで迫っていた。両腕を翼のごとく横へ開きながら、前のめりで猛然と突進してきている。巨体の重みを活かしたタックルだ。


 しかし、そのタックルは空気を抱いた。


 常春が、


 タックルを飛び越えて着地した常春に、信じられないものを見るような目を向ける男。


 常春はスクールバッグを真上へ高く投げる。——次の瞬間、はるか遠くにいたはずの常春の姿が、一気に間近へと近づいた。


「ぶっ!?」


 それと同時に顔面に感じた、硬い激痛。


 縦に突き出された、常春の拳だった。


 意識が遠のく中、男は見た。


 常春が瞬時に元の立ち位置へ戻り、「妙な構え」を取るところを。


 左手左足を前にした半身はんみの立ち方。前後に構えられたその両手は、親指を人差し指と中指の腹にくっつけた形——そう、まるで蟷螂カマキリの鎌のような形をしていた。


 男が倒れた。その音と、常春が落ちてきた缶バッジまみれスクールバッグをキャッチする音とが重なる。


 一分と経たないうちに、四人は全員路上に寝転がっていた。


「………………うそ」


 その一部始終を見ていた頼子は、呆然とそうこぼした。


 自分よりも体格の良い男達を無傷で全滅させたそのアニオタの頭の中は、


(さ、家に帰って、録り溜めたアニメ見なきゃ。それからSNSやまとめサイトでみんなの反応を見よう)


 どこまでも「日常系」だった。

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