嘘つき隊長とポンコツ部隊

真杉圭

第1話-目覚め

 目を覚ますと、声が聞こえてきた。耳によく響く高い声だ。

 彼にはその声が誰のものであるのかわからなかった。そもそも、何もかもがわからなかった。あるのはただ己という意識のみだった。

 不明、というのはとにかく不快なものだった。恐れではなく、嫌悪。何もわからないという状態から脱するために、彼は動かせるものを動かす。

 動かすというのは正確ではなかった。既に作動していたからだ。

 適当な器官にアクセスする。それは視界だった。つまり目だろう。どういうわけかそれは複数ある。でも彼はそれらを混乱なく使う。

 殺風景な通路などは飛ばし、動いているモノを探していると、まだ声が聞こえていた。

 すぐに声がした場所に目を向ける。

 焦点を当てるのは声の主たちだ。話しかけられているのではなく、誰かが誰かと言葉を交わしていた。赤髪の背の低い少女と、黒髪の背の高い少女が言い合いをしている。

「君は前に出すぎなんだ。索敵も満足に済んでいないのに、飛び出たら的になるだけだってわからないのか?」

 そう言うと背の高い少女は表情を崩さず、僅かに顎を動かした。

 それを受け、食いかかるように身を乗り出して背の低い少女が言う。

「避けられたからいいじゃない。あんたがとっととあいつらを片付けないからよ」

「狙撃できる範囲は決まっているんだ。前に出るのはまだしも、これぐらいは考えてもらいたい。どうしてそんなに焦るんだ?」

 背の高い少女は感情的にならずに、淡々と口にした。あどけなさが少ない顔の輪郭からも、背の低い少女より大人びて見える。クールな少女らしい。

 だが、背の低い少女はそれが気にくわないらしく、不満そうに息を短く吐く。

「あんたのような天才にはわからないわよ。そもそも、フォローが下手なだけでしょ」

「ふーん」

 初対面の彼にも背の高い少女が怒ったのが雰囲気でわかった。しかし、彼女の表情は大きく変わらない。落ち着いている。大きな衝突はなかった。

「ちょっと、ティスちゃん」

 新たに現れた少女は二人のちょうど間ぐらいの背丈の少女だった。茶色の髪で優しそうな顔つきである。

「なあによ、オウカ。ウォルが喧嘩を売ってきたから買っただけよ」

 背の低い少女がティス、普通の背丈の少女がオウカらしい。

 そして、背の高い少女がウォル。

 彼は彼女らをつぶさに観察しながら、他の目も操作する。

 内部の壁と床は鈍色で重苦しい。三人がいるのが最後部で、そこから真ん中に生活部と電算機室、前方には指揮室がある。

 よく見てみると生活部にあるシャワールームだけはピンク色のタイルと白いパテーションで仕切られていたが、他は鈍色だ。まるで船のようだ、と彼は思う。

「ちょっと、ここのシステムはまだつかないわけ?」

 ティスの声が聞こえてきたので、彼は意識を切り替えた。

「仕方ないよ。最後に選んだやつだし」

「こんな不完全品じゃ勝てるものも勝てないわ」

 オウカに言われ、ティスは怒りを倍加させているようだった。オウカは落ち着いてほしい一心で言ったようだが。

「さっさと返事しなさいよ」

 ティスと彼の目のうちの一つと視線が重なる。彼は顔の角度から間違いなくこちらを見ていると判断する。

 念のためにティスの灰色がかった茶色の瞳に寄る。そこに映るのは、天井だった。その中でも隅を見つめており、天井からカメラがぶら下がっている。

「こちらに話しているのでしょうか?」

 彼は言葉を発した。息を吸い、吐いて声帯を震わせ気管で振動する。そういう過程を思い描いて声を出した。が、実際の動きは違う。彼の声は口や喉という器官を伝わず、スピーカーから音を震わせることで発せられる。

 その声は女性とも男性とも取れる声だった。

 そもそも、そんな考えが無駄なのかもしれない。彼はそう思った。

 なにせ、正体に気づいてしまっている。

「そうよ、司令プログラムさん」

「司令プログラム」

 彼が繰り返すと、ティスは「げっ」と声を溢した。

 どうやら、自分は司令プログラムという名らしい、と彼は自身を定義する。しっくりこないがそう呼ばれているからには仕方ない。

 もっと温かみのある名前がいいが、確かにこの船のような機械に相応しい名前だ。

 どうやら彼はこの船の意識らしい。どうしてベッドから目を覚まさないのかも疑問だが、船に意識があることも不思議だ。何もかもが彼にはわからなかった。

「もしかして、記憶があるのですか?」

 ウォルに尋ねられて、彼は混乱する。機械に意識どころか、記憶があるのだろうか?

 そう考えたが、不思議とあった。断片的でおぼろげで、声も形も匂いも完全には覚えていないけれど確かに存在しているとわかる。

 彼の記憶は何らかの事情で損傷してしまったらしい。どれだけ考えても性別はおろか、名前すら思い出す事はできなかった。記憶が存在するのはわかっているが、その記憶という箱がぼんやりと見えるだけなのだ。自分に関しての記憶は一切なく、輪郭が辛うじてわかる。その程度だ。

 思い出は再生できないが、知識は呼び起こせるというアンバランスな状態である。

 でも、確かな寄る辺だった。なにせ、性別などという感覚があるのだ。無機質な機械にはないものだろう。

 いきなり船になっているという状況や記憶がない状態に混乱はあったが、不安は薄い。断片的であっても記憶という存在が、彼が彼で、元は人間であるということに疑問を抱かせなかった。これがあるから取り乱さずに済んでいる。それにこの船に馴染みがある気がするのだ。

 自分は自分で、どうやら元は人だったらしいという記憶が寸での所で支えてくれている。

 とはいえ、これを口にするにはあまりに抽象的だ。しばらく考えてから思考を伝え始めた。

「すまない、こちらは自分という意識があるし人だったような気もするが、この現状に関しては何もかもわからない。今、こちらがわかっているのは、自分がこの船のような機械であるということ、ここには君ら三人しかいないということだ」

「その受け答えは外れね。噂には聞いていたけど、ここに来て引き当てるとは」

 ティスは天井をあおぎ見て、ため息をついた。

 いきなり船になった人間に対して配慮が足りていないのではなかろうか? もっと優しくしてもいいと思う。

「最後の最後くらいって思ったけどダメみたいね。悪いけど、お守りは二人に任せる。あたしには時間がないの。出来損ないのポンコツだから」

 そう言い、ティスは後方にあったコンテナに近づいた。

 すると、コンテナが独りでに開く。中に鎮座していたものを見て、彼は呟きを漏らした。

「ロボット?」

 中にあったものを彼はロボットして認識した。

 十五メートル前後の大きさの頭があって四肢がある人型の機械を、ロボットと認識したことに驚きと興奮と安堵を覚える。こういうものを見て、熱狂していた過去があった。少なくとも確かなのは、記憶の彼が生きていた頃には存在しえない代物だったということだ。この世界は彼がいた頃より遥かに進んだ科学技術があるらしい。

 彼は自分の仕様に関して少し理解した。思い出す事はできなくとも、記憶で判断や比較はできるらしい。

 そして、一つ気づく。ここは自分の生きていた世界とは違う世界か、遥かに時が流れた世界だろうと。彼の知り得る技術をこの世界は悉く凌駕している。

「ったく、オフナーマもわからないなんて最高ね。私はシミュレーター動かしているから、あとはよろしく」

 ティスはロボットの腕からよじ登り、胸の辺りにあるハッチを開けた。中には人が一人体を伸ばせるだけの狭いスペースしかない。もはやロッカーだ。そこに彼女は入り込んだ。

 あんなところでロボットを操作できるのだろうか、と彼は心配した。

「あの」

 オウカの声がしたので、彼はカメラを彼女に向ける。

「なんでしょう?」

「えっと、オウカ軍団兵です。Nー五○七さん」

「えぬごーまるなな、というのがこちらの名なのでしょうか?」

 サイエンスフィクションか何かのコードネームみたいでカッコいい。司令プログラムよりも彼は気に入ったので、弾んだ声になってしまった。

「名、ですか。そうなりますかね」

 それにしても機械的な名だなと思ったが、今の彼はまごうことなき機械だった。昔は人と言っても信用してもらえるはずもない。それに肝心の名前を思い出す事はできなかった。ティスやウォルという名には何も感じないが、オウカという響きに懐かしみを覚えるので似たような名だったかもしれないというぐらいだ。

「了解した。そう記録しましょう」

「待ってください。それは飛行船の端末番号なので、名前というほどのものでは」

 口を挟んだウォルは口元に手をやった。彼女の髪は、黒は黒でも青みがかっていた。その髪を後ろで一つ括りにしているので、形のいい顔のラインがよく見える。

 それよりも、と彼は思う。ここは飛行船らしい。何だかテンションが上がる。飛行がつくのがどうして嬉しいのかはわからなかったが。

 微かに音がする。プロペラの回る音だ。が、意識を集中するとそんな音は鳴っていなかった。

「ロート、という名はどうでしょう?」

 彼にとって、ロートというのは名前としては不自然な響きだと思った。が、些細な違和感だ。もらったものは大事にしよう。新たな出発として、新たな名というのは悪くない。思い出せればその時に訂正すればいい。

「ロート、ですか。いい響きだ。ありがとう」

 礼を言うと、ウォルは顔を下に向けた。

 そんな彼女を見てオウカは微笑んだあと、ロートの方を向き右腕で左胸を叩いた。

「では、簡単な説明をします。隊長さん」

「隊長?」

「はい。私たち三名の軍団兵の小隊を率いる隊長が貴方です」

 記憶のない人間に隊長が務まるのか疑問だったが、先に把握すべきは現状だ。ロートは黙ることで、オウカに続きを促す。

「五十七軍団、三十九期五十七訓練小隊、飛行船Nー五○七というのが、ロート隊長の所属です」

「見事に五と七が揃っている」

「ああ、それは」

 今まで説明をしていたオウカが口ごもる。

 代わりに答えたのはウォルだった。

「五十七軍団、というのは不名誉なことではありませんがその後ろ、五十七訓練小隊、そしてNー五○七というのは不名誉なことなのです」

「というと?」

「今は戦時下です。私たちは軍団の訓練学校に所属していて、現在、模擬戦闘を行っています。それは今まで何度も行われており、私たちはその中で一度も勝ったことがありません。なので、末尾の五十七というポンコツ小隊で、渡される飛行船も余り物のNー五○七なのです。五十七と五〇七が被ったのは偶然ですが」

「なるほど。自分の体は飛行船でポンコツなのか」

 ウォルもオウカも否定しなかった。ロートにとって初めての体なので実感はない。

 数分の沈黙のあと、オウカがおずおずと切り出した。

「それだけじゃないんです」

「というと?」

「あ」

「あ?」

「頭も」

 ロートは目眩がした。といっても、カメラが揺れたわけでもなければ、頭が揺れたわけでもない。心理的なものである。

 だが、その心理的なもの、というのにも疑問を感じる。自分に心などあるのだろうか?

 その疑問は不安にはならない。心なのか、頭なのか、そういう風にプログラムされているのかはわからないが、おぼろげな記憶が彼の心というものを保障してくれているような気がする。

 記憶に関して疑いはない。五体を動かす感覚を、陽だまりの中でまどろむ心地よさを、人の体温を彼は覚えている。

 これ以上自分について悩むのは止めよう。わからないことを考えたってどうしようもない。曲がりなりにも隊長だそうだ。しゃんとしなくては。

「頭とはどういうことだ?」

 今度はウォルが答えた。

「本来、司令プログラムには事前に設定されたデータがつまっています。そして、部下の軍団兵に指示を出し、私たちの隊長として起動しているはずなんです」

「確かに隊長らしさはないな」

「そうですね。本来ならとっくに指示を出しています。ですが、ロート隊長はそうではない。恐らく、貴方には手や足といった感覚があるのではないですか?」

「その通りだ。ウォルさん」

 ロートはカメラを動かすのを目と思っていたし、スピーカーから声を出すのも喉を震わせようとした。

 今は船の体なのに、人だと言われる方がしっくりくる。

「でしょうね。普通、上官である貴方が私たち一介の軍団兵のことを、さん、なんて呼びませんから。いえ、そもそも会話なんてありません」

「ああ、隊長だもんな」

「そうです。ロート隊長、貴方は私たちのデータにアクセスできるはずです。船のデータベース、いえ頭の中から私たちのデータを探し出してください。戸惑うことはありません。カメラを目のように動かし、スピーカーを使って話せる貴方なら可能なはずです。口頭で説明されるよりよっぽどわかりやすいでしょう」

 ロートは目を瞑った。カメラを切ったわけではなく、意識をカメラから切り離した。無論、今でもカメラは動き続けているし、記録も止めていない。ただ、その情報を直視しないようにしているだけだ。

 考え事をする時には目を閉じた方が良い、という考えが彼にはあった。これはデータとは別のもの、経験であるという感覚もあった。

 知識は引き出すというものではなく、浮き出てくるものだ。

 そして、データとは調べて触れるものだった。

 ロートはイメージする。感覚を呼び起こす。人であった自分を、その頃の自分がどうやって調べものをしていたかを。

 そう、パソコンだ。インターネットブラウザにキーボードで入力する。

 ウォル、情報と。

 そのワードで検索すると、彼女のパーソナルデータが閲覧できるようになる。どうやら上手くいったらしい。

「ウォル軍団兵。第五十七軍団、五十七訓練小隊所属。十六歳」

 ロートがデータを読み上げている最中、身長の項目が瞬時に書き換えられた。見た事もない単位で記載されていたが、自動的に彼が知っているメートル法に変換される。

 ああ、少しずつ思い出してきた。長さの単位はヤードではなくメートルだ。彼の住んでいた国ではそういう決まりだった。

「百六十三センチ。体重は五十一キロ。前期の成績は一位」

 そう言った自分の声が、彼女らには違うように聞こえることもロートは理解する。彼女らには記載された数値で聞こえている。無意識のうちにシステムが稼働し、自動的に翻訳してくれているのだ。

 ロートは自分の境遇に初めて感謝した。機械の体というのは便利なものだ。言語の違いで躓かなくて済む。恐らく話している言葉もそうなのだろう。

「ロート隊長、口頭で言うのには何か意図があるのでしょうか」

 後ろで手を組んだウォルが顔を赤くして言った。確かに、これでは恥ずかしいだろう。

「すまない。アクセスできた喜びでついつい口にしてしまった。信じられない技術だ。パソコンいらずだな」

「いえ」

 後半部分をスルーしてウォルは返事をした。

 気まずくなり、ロートは話の矛先を変える。

「えっと、オウカ軍団兵」

「なんでしょうか」

 オウカは背筋を伸ばし、そう言った。彼女もまた後ろに手を組んでいた。

 ロートは遅れて軍だからと納得した。こういう姿勢で待機するように言われているのかもしれない。

「確認したい。今は五十七軍団の訓練小隊が模擬戦闘中で、私はその隊長。任されたのは五十七訓練小隊。そして、この小隊は同期で最弱ということだな?」

「はい、違いありません」

 五と七という数字がたくさん出て来たり、馴染みのない言葉が多かったりしたがロートは一つ一つ理解していく。

「模擬戦闘と言ったが、それはどういう形式だ?」

「我ら五十七軍団訓練学校の模擬戦は、五十七ある小隊を三つのグループに分けた十九組で争います。全隊、一機の飛行船とオフナーマ、そして私たちが扱う四機の親機と六機の子機を支給され、それを以て戦うというものです」

「十九組の中からトップになれれば良しということか」

「そうなりますね」

 沈んだオウカの返答を気にしつつ、ロートはオフナーマという情報を検索する。結果はコンマ数秒で出力された。

 戦闘機の総称。オフナーマは人型以外も存在していたそうだが、人である以上、前後という感覚はなくならず、現在は人型が主流。ブースターであるバックパックが二機の小型僚機となっていて、子機と呼ばれる。核装置は完全なるブラックボックスで、そこからエネルギーを取り出すことだけしか出来ていないのが現状とのことだった。

 親機と子機に分かれているのは、侵略のためとある。戦時下で、違う星を攻め落そうとしているらしい。だから、船なのだ。

 宇宙を渡り船で輸送。その後、その星に降下するが、一機でも十分な戦闘ができるよう子機を不随させているらしい。離れた地での戦闘のため、親機子機間で修理などを行えるよう互換性もあるそうだ。

 確かに理に適った設計だ。戦地に一人で飛び込んでも集中砲火に合うだけだが、それが一人で三機となれば少しはマシだ。とにかく、離れた地での運用を考えているらしい。

 訓練で船からの出撃という形態も、侵攻を見越してのものだ。移動し戦うということを徹底させるためである。

 どうやらティスが乗ったロボットがそのオフナーマらしい。

 戦闘ロボで戦争する世界なのかと、ロートは感慨深くなる。彼にとって、オフナーマという名称よりもロボットの方が馴染み深かった。

 そして、ちょっとワクワクしていた。ロボット部隊の指揮はロマンがあった。上官というのは悪くない。

 弱小チームを勝たせるというのも夢がある。やる事は単純だ。たった一文で済む。

 起きたら人から船になっていて、落ちこぼれの小隊を勝利に導くことになった。

 スポコンものみたいだ。訓練だし死ぬこともないだろう。いきなり戦地でなくてよかった。

 右も左もわからぬ中、やる事が与えられるのは悪くない。何かをしたいという目的もないのだ。とりあえず、司令プログラムのロートという役割を全うしようと決める。楽しそうという軽い気持ちだった。

「感謝する二人とも。少し整理してくるから自由にしていてくれ」

「はっ」

 オウカとウォルは声を揃えてそう言い、同時に右手で左胸を叩いた。


 ロートは情報を整理するためにオウカとウォルに待機を命じたが、その不必要さに気づいてしまった。

 今の彼は船だ。どこにいるという感覚はない。そこに意識を向けるというものだ。

 しかし、改めて考えてみれば必要だったとも言える。

 ウォルとオウカは正しく機能しない状態でも、自分のことを上官として敬ってくれているとわかったのだ。この船に乗っている間は、ロートの命令で行動するつもりらしい。

 模擬戦のことは後回しだ。敵を探し出すなり、逃げるなりする前に、ロート自身のことを整理する必要があった。

 今のところ、記憶があるということだけしかわからない。それはひとまとまりになっているのではなく、かなり断片的なものだ。記憶というにはお粗末なものなのかもしれないが、それが他の司令プログラムと違う要因であることは確実だろう。

 データを調べてみると彼のように、機械に記憶がある場合が稀にあるらしい。

 イレギュラーが発生する理由は、司令プログラムを開発するにあたってサンプルとして集められた人間の思考パターンが濃く残ってしまった結果と考えられていた。

 本来の司令プログラムというのはもっと機械的らしい。持っているデータから、望まれた状況を導くための作戦を算出し、その都度修正して個々人に指示を出す。そこには最善という価値基準しかない。与えられた式を解く機械だ。その命令に従い戦うらしい。

 が、彼は自我があるせいでそこまで徹底できない。迷うし、今のように余計なことだって考える。感情だってあるのだ。つまるところ不完全なのである。

「人から船だもの。完璧にできやしない」

 スピーカーを使わず心の中で呟く。目を覚ますと人から船になっていて、記憶を失い、弱い小隊の隊長を任された。それがロートの現実だ。だが、暗くはならない。

 記憶が完全でないことや、自分が何者であるのか全くわからないことや、人体の感覚を覚えているのに機械になっていることに対して悲しみはなかった。

 それらの問題が解決することはないという予感があったせいかもしれない。

 ロートはあっさりと船になってしまった現状を、記憶がないという状況を受け入れてしまった。考ええることが出来、知識もある。言葉だって通じる。だったら構わないと。

 ウジウジ考えたって仕方ない。記憶はこれから積めばいい。

「過去の自分ではなく、ボクはボク、ロートだ。ボクのことはなるようになるさ。まずは名前のお礼に注文ぐらいはこなそう。その後は考えればいい」

 そう言い聞かせる。生きていれば記憶が戻るかもしれない。

 ともかく、彼がすべきことは隊長の仕事だ。この模擬戦で部下の三人に勝利を与えることだった。

 模擬戦と言えど遊びではない。調べてみるとこの戦いでの事は成績として残る。そして、成績ごとにポイントが割り振られ、ポイントが多い者ほど今後の進路での幅が広がるという仕組みらしい。

 なるほど。正常でない隊長を引かされたら怒るのも無理はない。遊びならともかく、進路のかかった重要な訓練なのだ。試験や受験のようなものと同じだろう。

 進路のことまでは見切れないが、この模擬戦だけは勝たせてやりたい。ロボット部隊を率いる好奇心はあったが、勝たせたいという願いは真なるものだった。

 その覚悟さえ決まればすべきことは自ずと見えてくる。

 まずはキチンと働けることのアピールだ。信頼が必要である。いつまでもポンコツと思われていては困る。特にティスには。彼女はいつ爆発するかわかったものじゃない。

 ロートはデータから招集のサイレンを探しだし、それを鳴らした。

 一分も経たず三人は前方の指揮室に集まった。背筋を張って、手を後ろで組んでいる。

 改めて見れば、彼女らが軍人であることがわかる。カーキー色の軍服を纏っていた。

 もっとも、彼女らのような目鼻立ちが整っている少女たちが着ていると、非現実感があってコスプレにしか見えない。

 三人とも覇気もなければ、明るさもない表情だ。病気だろうかと思えるほどだ。背筋が伸びているだけに、自信なさげな顔が目立つ。

「敵?」

 ティスが食いぎみに尋ねてきた。パーマがかった赤色の髪が揺れている。よく見るとこの中で一番幼く見える。先ほどの悪態もかわいく思えてきた。

「いや、敵は捕捉していない。私が君らを呼んだのはこれからのことだ」

「一丁前に作戦でも立てるの? 不完全な隊長様が? あのねえ、優秀な二人と違ってあたしは時間がないの。さっさとしてくれる?」

 急に爆発した。ティスの導火線はどこにあるのかよくわからない。

「ティス、上官になんて口の聞き方だ」

 ウォルの注意を受けても、ティスはウォルを横目に見るだけだった。

 しかし、オウカにも睨まれていることに気づくと、ティスは申し訳ありません、と小声で言った。ティスとウォルは不仲だが、オウカは二人ともと仲がいいらしい。

 それよりも気になった点があった。優秀な二人という言葉だ。

「ティス軍団兵の心配も尤もだ。資料によると、記憶がある司令プログラムは混乱して使い物にならないと多数報告がある」

 ロートはデータベースにアクセスしながら話した。カニングし放題である。

 記憶がある司令プログラムというのは稀にあるが、大抵役立たずらしい。その主だった原因が、記憶の混濁に混乱し現状を受け入れられないようだ。場合によっては船を扱えないどころか爆発させてしまうこともあった、という報告がある。

 ロートにはその気持ちを理解できた。自分が人であるという漠然とした自我があるが、それを立証する手段はほとんどない。そんな状態で体が機械ときた。人間の五体よりも繊細かつ幅広い船の体に混乱するのは自然なことだ。船のうっかり触ってはいけない部分を触ってしまうことはあって当然だろう。自分はどういう訳か飛行船に馴染んでいたが、これは幸運だったわけだ。

 勝手は違うが、空を飛ぶならわかる。そんな自信があった。

 が、悪いことばかりでもない、とロートは思っていた。

 衝動的に招集したが、何の策もなく焦っていることもバレない。顔がないというのは便利なこともある。表情から嘘を見抜かれないし、機微も感じ取りにくいし、カンニングだってし放題だ。

「それで隊長殿のお話は?」

 今までよりかは幾分か丸くなってはいるが、それでもティスは刺々しい。まだ爆薬は残っていたようだ。

 とりあえずティスの敵意に近い侮蔑の目をどうにかすべきだろう。上官に不安を持ったまま戦うというのは、勝つためにもよろしくない。不安を払拭できる根拠が必要だ。

 しかし、ロートには提示できる根拠はなかった。どうすればいい?

 彼の悩みに答えてくれる者はいない。頼れる者もいない。

 自分の他には、目の前にいる三人の少女しかいない。皆、黙っているロートを不安気に見ている。船が動かなければ模擬戦が始められないのだ。当然の不安だ。

 彼女らを見ているとロートは落ち着いてきた。自分のすべきことが見えてくる。根拠がないのであれば作ればいい。

「初めは取り乱したが、安心してほしい。私の記憶には軍の将校だった時のものがある。どの規模の部隊かは覚えていないが指揮の経験もあるようだ。もちろん、指導も」

 その言葉で、三人の姿勢が変わるのがわかる。彼女らは目に見えてだらけていたわけではなかった。あるとすれば気持ちだろう。

 だが、その気持ちが伴っていなければ芯がないのと一緒だ。あるとないとでは話が違う。

 もちろん話は嘘だ。はったりで姿勢を正せればいいだろう。さて、どうすべきか。

「では、隊長。何を改善すれば?」

 オウカに尋ねられ、ロートの頭は真っ白になった。こっちが尋ねたい。意気込んだのにどうすれば、と。

 アイデアは浮かばない。出てくるのは自分への文句だ。思いつきで行動しやがって。

 自分が船になったことを大して悩まなかったのも、考えなしに嘘をつくのも、彼が深く考えない質だからのようだ。なので、また適当なことを言う。

「何もかもだ」

 全く答えになっていないが、三人は深々と頷いていた。ロートはため息をつく。くそ、ちょろすぎて可愛い。余裕が出来たおかげで、少しまともな考えが浮かんだ。

「この船には君らの戦闘データがある。それを見て、これから君らの連敗の原因を洗い出す」

 ロートは自分でもまともだと思えたので、自然と声に張りが出ていた。上官らしくて大変よろしい。そのことに満足しつつ、彼は戦闘データにアクセスする。

 改めてデータを見てみると、この小隊の悲惨さがわかる。十一回ある模擬戦の全てで惨敗していた。一度だって白星はない。真っ黒だ。

 ロートは心の中で浮かれた。全戦全敗の最弱小隊。結果は悲惨だが、改善という点で見るとやりやすい。ここまで負けているのだから、大きな欠点があるはずだ。勝ち負けが半々ぐらいだと具体的なアドバイスが必要になってくるだろうが、全敗ならば偽りの将校でもどうにかなるに違いない、と思ったのだ。

 そんなことを悟られぬよう、抑揚をつけずに続ける。

「連戦連敗となれば偶然ではない。何かしらの原因が存在するのだ。配備されている装備の差など、訓練校では誤差だ。君らには他の隊よりも劣っているところがある。それを払拭しない限り、勝ちはやってこない」

 正論を言っている間に、ロートはどうすべきかを考えていく。

 将校であった記憶など存在しない。信用を得るために嘘をついただけで、将校の記憶が急に出て来たりしない。ちょっとはそんなご都合主義的な覚醒を期待したが、起こることはなかった。残念無念。

 別にロートは偉ぶりたい訳ではない。信用の有無は彼の損得や自尊心とは関係ない。ただ、この隊を勝たせるために必要不可欠だからだった。

 不安は消せたと思うが、具体的なプランが浮かばない。なので、彼はデータから過去の模擬戦の映像をモニタに再生した。

 ビデオを見せている間に眠る教師のように時間を稼ぐのだった。

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