Act6 シーン1 リビングでのバトル
天野家のリビングには健一郎、不動社長、川上の三人が、それぞれの方向を向き解決策を考え込んでいた。 聡と「ミーナ」が部屋にこもってから、もう30分以上は経っていたが部屋に戻ってくる様子はなかった。
健一郎は開発者として何か手を打たなければいけないと焦っていた。そして、ミーナの説教のおかげだろうか? 新薬開発の興奮をおさえて不動もミーナと孝雄のことを心配し始めた。
「川上君、まだあの二人は部屋に閉じこもったままか?」
「はい、おしっこした後から泣いてますうぅ」
「社長、今お昼の3時、孝雄君が握手したのが今日の12時、社長! 大至急吉村孝雄君、すなわち、外見で言うところのミーナさんの確保が必要です」
健一郎の研究では、肌と肌の接触、口内飛沫感染(こうないひまつかんせん)、視線の一致が同時に起こった時に感染が発生して精神が入れ替わり、そしてウィルスは接種または接触後24時間で消える。
孝雄がコーラからウイルスを摂取したのが昨日の13時くらいと思われる。 24時間以内に濃厚接触した為に、今日のお昼の握手会で孝雄はミーナと入れ替わった。この入れ替わった二人がまた24時間以内に握手、呼吸、目線を誰かと合わせるとまた他の人と入れ替わる可能性が大きく、 この感染の連鎖を完全に止めるには最初の体と精神に戻した上で、24時間の対人非接触が必要だった。
「ああ。しかしだ! 誰にも警戒されずに、そのフローレンというグループに会う方法か? それも目立たずに?」
不動はいいアイディアが浮かばずにヒゲを触り、三人はそれぞれ「うーん」と唸りながらリビングルームを歩き回った。
「いい方法ないかな?」。
「社長ぅ! コマーシャルです。我々の製薬会社のコマーシャルをつくるんですよ」
健一郎が呟(つぶ)いた時、急に川上が閃(ひらめい)いた
「なるほど、フローレンの3人を使ったコマーシャルか! いいぞ川上君! コマーシャルのスポンサーとしてなら彼女達に会えるし孝雄君とも話しができる」
「さすが! 川上君!」
不動も健一郎も嬉しそうに同意した。川上は空気が読めない天然気質だが、いつも良いアイディアがひらめく!
「よし、俺は本社に戻ってさっそく掛け合ってくる。予算はメンバー3人で破格の2億円でどうだ? そして明日早朝の撮影が条件だ」
不動はドヤ顔で指を2本つき立てた。
「うわぁ、アメリカの俳優のフレッド・ピット並ですねぇ。いいと思いますぅ」
川上は軽く拍手しながら小躍(こおど)りして喜んだ。
「よーし、君達はミーナちゃんの世話と次の対策を考えてくれ! くれぐれも外部に知られないように!」
「わかりましたぁ」
健一郎と川上が元気よく返事すると、「じゃあ」と不動はドヤ顔で去っていった。
リビングルームで健一郎と川上は二人きりになった。緊張が切れたのか健一郎は
大きくため息をついた。
「俺のせいでこんなになってしまってすまないな。川上君」
「大丈夫ですよぅ。天野さん。元気だしてくださいよ」
「ああ」
川上の純粋さが健一郎の心を急速に癒(いや)していくのが分かった。 思い起こせば、最近妻の順子にも、こんなに優しくされたことがなかった。
「実験は成功しているんですからぁ。社長も怒ってないしぃ」
「ありがとう励ましてくれて」
新入社員で入った時から、助手として働いてくれて、最初は足手まといで大変だった川上が、今となっては上司の健一郎の支えになってくれているのだ。 川上は、自然に健一郎の手を取った。そこには純粋な上司への尊敬しかなかった。
「私ぃ、天野チーフが目標なんですぅ。尊敬してるんですよ」
川上はそう言いながら少し顔を赤らめた。そこには純粋な上司への尊敬しかないと思われた。
「俺だって! 川上君のひらめきにどんだけ助けられたことか」
「チーフぅ」
「川上君」
お互いを呼び合い見つめ合ってしまった。 健一郎の頭の中はもう何も考えられなくなって、川上君の愛おしさでいっぱいになってしまった。急な展開過ぎて止めようがなかった。今起っている大変な状況が、二人を強烈に愛の世界に導いているような気がした。
川上君の紅潮(こうちょう)した顔が近くにあり、ゆっくりと瞳を閉じた。これが何を意味するのか?
健一郎には分かっていた。唇をゆっくりと前に押し出そうとしていた。
ただ、不思議なことに、よくわからないのだが、何か不気味な気配がちょうど顔の左側から漂っているような気がした。少し怖い気がしたが、思い切って左側を見た。
いつの間にか、女が二人の横に立っていた。 それは恐ろしい顔をした魔王のような女だった。妻の順子だった。
「あら、自宅で浮気なんていい度胸してるわね。あんた!」
冷静な声だが決して冷静ではない、強い殺気を感じるような語りかけは、順子が激昂(げきこう)していることをあらわしていた。
「いや、これは違うんだ」
「何が違うの?」
「彼女は俺の部下で川上君」
とにかく、まだ未遂(みすい)だったのだから、どうにかして誤魔化(ごまか)すしかなかった。順子は不気味に微笑むと川上を睨(にら)みつけた。彼女は意外にも順子を恐れることもなく冷静に挨拶(あいさつ)した。
「こんにちはぁ」
順子は目線から火花が飛び散るくらい見つめた後、健一郎に目線を移した。
「今、手握りあってたわよね! 川上君と」
「いや、それは感謝の気持ちで」
「感謝の気持ちで部下と手を握り合って、見詰め合うかしら?」
「いや、誤解だよ。本当になにもないんだってば」
状況は明らかに不利だった。たまりかねた川上は助け舟を出した。
「あのーぉ奥様ぁ、私達先ほどまで息子さん達と話してましたから」
言い訳には絶好の理由だった。隣の部屋に息子達がいるのに浮気なんかできるはずがない。
「そうだよ。 向こうの部屋で泣いているよ。 ミーナ○△×...じゃなくて、孝雄君と聡が」
「何で泣いてるのよ」
順子は当然ながら理由を尋ねた。
「いや、孝雄君のほうが、あの、女の子に振られたんだよ。なあ川上君」
「えーぇ、それで私達どうやって孝雄君慰めようか考えていてぇ、本当に浮―――」
「浮気娘(うわきむすめ)はだまってなさい!」
順子は川上に向かって吠(ほ)えた! いい具合に説得していたはずが、妻の一吠(ほ)えで状況が最初に戻ってしまった。
「本当に怪しいわね。あんた達」
「本当に今仕事の話してたんだよ」
「あんた本当は、浮気の為に私の会社に転職しないんじゃあないの?」
順子の会社に転職しない理由は、今の会社に特に不満がなくずっとお世話になってるという理由なのだが、今説明しても聞いてもらえないのは確実だった。
「だから違うって」
「じゃあなんで今、手握ってたのよ」
「だからあれは偶然感謝した時――−」
「あんたの浮気は感謝でやるんだ」。
「だから違うって!」
「証拠みせろよ!」
「向こうの部屋に行って聞いてこいよ。聡と孝雄君に! だいたい息子と友達が隣の部屋にいたら浮気は無理だろ!」
だんだんエスカレートする順子に負けないように大声で返した。
「ふん!浮気してたらどうなるか分かってるよね」
「煮るなり焼くなり好きにしろよ!」
健一郎は覚悟を決めて言い放った。
「よおし! 逃げんなよ!」
順子は二人を威嚇(いかく)すると、まるで戦国武将のような貫禄(かんろく)で聡の部屋に歩を進めた。
「天野さんやばいですぅ。もしミーナちゃんが、全て奥さんに話したらぁ」
「大丈夫だよ」
川上は心配な顔で囁(ささや)き健一郎はその不安をかき消した。
「あんまり話をさせないほうがぁ」
「そうだな」
川上の言う通り長い時間話をされるとボロがでるのは間違いなかった。新ウィルスの開発が成功したのが知れたら、かなり面倒臭いことになるのは分かっていた。
「おーい、順子! 俺の言ったとおりだったろ、孝雄君落ち込んで泣いてるからさ、早く戻ってこいよ!」
やがて。順子は薄ら笑いしながら部屋を出てきた。右手には紙切れ、そして左手にはホウキを持っている。
「な、あいつら居ただろ、落ち込んでただろ! な、ホウキなんか持ってなんなんだよ。さ、冷静に話そう!」
順子が部屋から出て行って、わずか数分しか経ってないので、聡と「ミーナ」と長く話す時間は無いはずだった。 ただ順子は不気味な表情を変えなかった。 …。
「あれ? なんでしゃべらないんだ? ん?」
順子は、右手に持っていた紙を、健一郎達の目の前にバンとつきだした。
「部屋に紙が落ちてたわ! そしてこう書いてある。「窓から出て行きます。とにかく一緒に出て行きます。父さんにはがっかりしました。 聡」」
「ヤバい!」
今、聡とミーナに出て行かれると大変なことになる、と健一郎は思ったのだが、順子は、その「ヤバい」の言葉をそう言うふうには取ってくれなかった。
「そうよ! 本当やばいわよね! 家での浮気を妻と息子に見つかって開き直る男、あんた最低やね。こいつでぶっ殺してやる」
言ったと同時に、順子は紙を上に放り投げると、カンフー映画の中国の拳法の使い手の様に、左手のホウキをくるくると回しながら右手に持ち替えて、健一郎の頭上に振りおろした。順子は結婚する前にカンフー教室なるものに通っていた。順子は、ホウキをクルクルと回しながら健一郎を倒しにいった。
鋭い一撃をかわすと、今度は川上にも攻撃が向けられた。悲鳴を上げながら健一郎にもたれかかると、それがまた順子の怒りに火をつけて攻撃がさらに強力になっていった。順子のホウキはリビングの花瓶(かびん)や置物(おきもの)をギリギリでかすめていった。
「いや、誤解なんだよ」攻撃をさけながら大声で説得する健一郎と、「チーフ、大丈夫ぅ」
と叫び続ける川上、、、。
「本当に往生際悪い男ね! ほら、ねーちゃんもこれをクライな!」
順子は不気味に笑いながら攻撃の精度を上げていった。 とにかく順子が強すぎて、健一郎と川上はいっさい抵抗できずに、部屋の端に追い込まれていった。
二人は一瞬(いっしゅん)見つめ合うと、その後、全速力で部屋を飛び出した。
「にげんなや。おらー」
順子は家の外に走り出す二人を、ホウキを振り回しながら追いかけた。
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