Act2 シーン1 サイン会

人気アイドルユニット「フローレン」のサイン会はいつも通り大盛況だった。

デビューして五年経つのだが、「日本でもトップ5に入っているアイドルグループ!」と言っても過言(かごん)でない程にまで成長していた。

今回も、かなりのファンが押しかけており、そこには長い列ができていた。その先にはミーナ・ララ・サキが並んで握手していた。 

三人並んでいるのでファン達はミーナ・ララ・サキの順番に声をかけながら握手することができるのだが、長く話しすぎるファンとか、握手の時間が長いファンは係員に後ろから声を掛けられて急(せ)かされる羽目になっていた。そして、それでも言うことを聞かない悪質なファンは、ガードマンが出てきてそれなりに対処されていた。

一般的に、「フローレン」レベルの人気グループになると、このようなリスクを伴う握手会の開催をしなくなるのだが、フローレンに関しては、メンバー三人の「ファンを大切にしよう!」と言う方針の基(もと)、いまだにこの手の交流を続けていた。


その会場に、興奮しているフローレンファンの孝雄がいた。実験のコーラを飲んだ聡の親友のあの孝雄である。彼は必死に呼吸を整え落ち着こうとしていた。

いつもは、聡と一緒に握手会に行くのだが、ゼミの発表会があるらしく、彼は泣く泣く行くのを諦めたので、今回は一人だけだった。そのせいか孝雄の興奮をなだめる者が誰もいなく、なんとか一人で「異常な興奮」を落ち着かせようとしていた。そんな時に、前に並んでいるガチでオタクな二人の喋りが妙に気になった。

「居守氏はどなたがお好みでしたっけ? ぼ、僕はやっぱりミーナ氏がタイプですねー」

「なるほど、ミーナ氏ですかー、いやしかし拙者はやはりサキどののあのまじめさがいいです」

「このあいだ発売されたDVDよかったです。あの絶対領域は外せません」

「なるほどー。いや、しかし、サキ殿(どの)の動きのキレもー」

孝雄と聡も似たような会話をいつもしてるのだが、二人があまりにもうるさいので孝雄も独り言を声に出し対抗することにした。

「ララちゃんと握手ララちゃんと握手、 落ち着け落ち着け」

すると思惑通(おもわくどおり)り、ガチな二人は「危ない奴」がいると思ったのか、突然黙り込み孝雄を不思議そうに見つめ始めた。孝雄はララとだけ握手すれば満足だった。彼はフローレンのグループを推(お)していると言うよりも、ララを強烈(きょうれつ)に推しているところがあって、ララ以外のメンバーにはさほど興味がないのだ。

やがて、並びの先頭にいるミーナとの握手の番がやって来て、ガチガチの孝雄は独り言と同時に前に進んだ。

「あー、ララちゃん! 緊張するよ!」

「あのー、ララは隣ですよ」

当然のことながら、ミーナは失礼なファンに少しムッした顔になっていたが、すぐに怒りを打ち消してにこやかに対応を試みた。

「あ、すいません」

孝雄は、あんまり謝っている感じでもなく図々しくルーティンな感じで片手を差し出した。

ミーナは、そのぶっきらぼうな動作に大きく息を吐きながら孝雄を睨(にら)みつけた。

「ごめんね! ララじゃなくて!」

ミーナはこの変な奴の手を握り潰したろーか! と力任せに握手した。 

孝雄は、アイドルの思いがけない鋭い目線と握力に驚き、「あっ」と口を開けた。

すると、瞬間、ミーナの瞳を見つめた孝雄の動きが一瞬止まった。そして同時にミーナの動きも止まった。

その瞬間、孝雄は今まで感じたことにない光を感じて、一瞬だけ身体のバランスを崩した。

目を開けると目の前に自分がいた。 そしてもう一人の自分は、フラフラしながら後ろに並んでいるファン達に握手しようと手を伸ばしていた。

孝雄は孝雄で、隣にいるララと握手しようとするが、

「ミーナ! お客さんこっち」と肝心(かんじん)のララは首を横に振った。

その一方で、目の前に見えるもう一人の自分?は、「なんでお前は俺と握手するんだよ。さっきから気色悪いやつだな?」と並んでるファンにキレられている。

【自分ではない】孝雄は、「気色わるいって?」と言われた言葉を繰り返し、かなり動揺をしているようだった。「孝雄」は、ふと足元を見ると、自分がスカートを履いていることに気づいた。 そして、そのスカートは先程握手したミーナの物と同じことに気づいた。


間違いない! さっきの握手で自分とミーナが入れ替わったのだ!


孝雄の身体にいる「ミーナ」は、まだその事に気づかないらしく、ファンと握手をしようとしていた。 そして、係員に肩を掴(つ)まれ、その挙句(あげく)ガードマンに後ろから羽交い締めにされて、会場からつれ出されていった。サイン会は大混乱に包まれ、会場は大騒ぎになった。

ララとサキは、マネージャーの所に駆け込み、ミーナの身体をした「孝雄」もゆっくりそこに駆け寄った。サイン会は、この騒動のせいで即刻中止になってしまった。

そしてその事件は、当日、ヤフーニュースで「フローレンのファンの一人突然暴れ握手会中止」と配信された。

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