Act1 シーン2 あのコーラがない?
聡と孝雄、二人が遊んだ翌日の朝、聡はいつものようにベッドで熟睡していた。
聡は、基本的に朝一番の講義は取らないようにしていたのでお腹が空くまで寝続ける。
いつも両親から「勉強もしないで寝てばかり」と言われていたが、聡としては大学生の特権を使うことが全く悪いことだとは思っていなかった。
ただ、この日はいつもとは違っていた。白衣姿の痩(や)せた長身の男が、血相を変えて聡の部屋に駆け込んできた。父の健一郎(けんいちろう)だ。
「おい! おい! 起きろ!」
「な、なんだよ」
「だから起きろって!」
「なんでだよ。大学遅いクラスしかとってないよ。遅れないから大丈夫だよ!」
目が覚めていない聡は不機嫌に反応した。 そして父に背を向けて布団を被(かぶ)った。それを見た健一郎は小刻(こきざみ)みに顔を横に振った後、布団を無理やりかつ豪快(ごうかい)に剥(は)ぎ取った。
布団が上に舞い上がり仁王立ちで聡を見下ろした。
「なぜ飲んだ?」
「はあ?」
「だからなぜ飲んだんだ?」
健一郎は聡の手を引っ張っぱり起こして、尋問中の刑事の様に近距離に顔と顔を近づけた。
普段は大人しくて母親の尻にしかれまくっている父親が、必死で問いかけるところが恐怖で、何が言いたいのか全く見当が付かなかった。
「目を見ろ! 目を!」
聡にとっては、親子かつ男同士で見つめ合うことに、かなりの違和感を感じたが、そんなことはお構いなしに健一郎は息を激しく吸い込み吐き出した。
そしてその変な行動の後、二人は見詰め合うのだ。
「意味わかんないよ?」
「いいから目を見つめろ!」
聡は露骨に嫌そうな顔をした。
数秒後、健一郎は真面目な顔のまま、「くそ! 俺のまんまか? 失敗だ!」とため息をつき、そしてしばらくそのまま考え込んだ後、「でもよかった!」と呟(つぶや)いた。
「何なんだよ!」
聡はムカついたのだが、その態度が健一郎の怒りを呼び戻した。
「コーラだよ。コーラ! お前コカコーラ飲んだだろ!」
「俺のコーラだろ! 俺の冷蔵庫のコーラじゃん」
「黄色い付箋のついたコーラは父さんのだから飲むなっていっただろう!」
「は?」
「おまえなんで飲んだ?」
「だいたいさ! 何で人の冷蔵庫にコーラ入れる訳?」
「だから前から言ってるじゃないか! 付箋のついたコーラは飲むなって!」
「だから飲んでないよ! 台所の冷蔵庫をなんで使わないんだよ。付箋(ふせん)がついてようがなかろうが、同じコーラなんでしょ?」
父親がいつも勝手に自分のコーラ専用の冷蔵庫を間借りして、実験サンプルを入れ込むのにはウンザリしていた。
「違うんだ!」
健一郎はワガママに叫んだ。
二人の言い争う声を聞いて天野順子(あまのじゅんこ)が入ってきた。
「なによ? あなた達朝からうるさいわね!」
聡は単にムカついていたので、母親に父の変な挙動(きょどう)を訴えようとすると、「いや、 なんでもないんだ。な! 別に何でもないよな」
健一郎が急に目配せをして、聡に優しく振る舞い始めた。今までの経験上、こういう時は、父に何かしら隠し事がある場合が多く、上手(じょうず)に振る舞わないと面倒なことになるのは既に悟(さと)っていた。
「どうしたの? お父さん何か言ってたわよね?」
順子は、その小さな異変を見逃さず即座にツッコんだ。
「いや、、、何もないよ」
その瞬間、聡は本能的に父親側につくことに決めた。
母親は凶暴(きょうぼう)かつ横暴(おうぼう)で裏切りを好まないのは分かっていた。しかし、この女は悪質性においては父親なんかの比ではない。宿題をしなかったくらいで、お年玉で買ったゲーム機を、笑いながら叩き潰されたこともある。とにかく日頃の個人的な恨(うら)みと母親への反抗心があった。
健一郎は息子が味方についたことを確認し始めた。
「そうだよな。聡、何もないよな」
「うん、何もないよ」
順子は、すごい眼力で夫と息子の心の中を覗き込むように見つめると、かすかに首を縦に2回振り全てを透視した。
「ねえ、あなた。今日、本社行かなきゃいけないって言ってたわよね?」
「あ? はい」
「じゃあ行って!」
順子は穏やかだが圧がある言葉を父に放った。
「はい」
父は不安そうな眼差しを聡に向けて、「じゃあ行ってくるぞ」と力無く言い放ち、目で「喋るなよ」と合図しながらそそくさとドアに向かった。
「あなた! お仕事頑張ってね」
去っていく父に対して、母は歳の割には可愛い声で送り出した。
父親いわく、母は「結婚当初は純情でシャイで優しかった」らしい。
何も知らない第三者から見れば、母親はルックスもきちんとしているし、美容にも気を使ってて若く見えるし、世間からは美人と言われる部類なのだが、内面を知っている父子からすれば、それを全力で否定したくなってしまうのだ。
聡は不安顔な父を「いってらっしゃい」と優しく送り出した。
順子は健一郎が部屋を出ていくのを確認すると、蛇が獲物を見定めるように聡を凝視(ぎょうし)した。
「聡。ここに座って」
「まだ眠たいよ」
聡は甘えた声で抵抗してみたが効果がなかった。
「いいから! 座りなさい」
「なんだよー」
「お父さんは何を怒ってたのかな?」
「何も怒ってなかったよ。ただ、俺が大学に遅れるか心配してただけだよ」
「ありえないわ! あの男がいままでで、アナタの大学の時間とか気にしたことある?」
順子に嘘をつくのは、危険なことだ。そこですぐに作戦を変えた。
聡は貝になった。
「何か言って?」
順子は、凄みを効かせて喋らせようとするので首を横に振って耐えるしかなかった。
「どうして?」
圧力を増して聞いてくるが、再度黙って首を横に振った。
「なんで母親の私に言えないの?」
今度は一転して、母性な感じで訴えてきたが、さらに首を横に振った。
「お父さんがあなたを買収したのね?」
多分、後で父からご褒美があるような気がするが首を横に降った。
「何かの秘密があるの?」
秘密? なぜコーラは秘密なのか? 聡の顔にピクリと動揺が走り、順子はそれをも逃さない。
「嘘つくな!」
順子が吠えたが、聡は首を激しく横に振った。
「どうやらお父さんから相当もらってるみたいね! 口止め料」
まだいくら貰えるかわから無いんだけどな? と思いながら更に首を横に振り続けた。
「お父さんの倍だすわ! もしゲームソフトを1本買ってもらえるのなら、私は2本。1万円貰ったのなら2万円! どう?」
順子が魅力的なオファーをしてきたところで、聡はあっさりと裏切を決めた。彼は所詮(しょせん)まだアイドル好きの大学生、すなわちガキなのだ。
「いい! お父さんには黙っとくのよ」
「はい! もちろんです」
「いい子だわ、聡って! で?何があったの? いいなさい!」
聡はご褒美で心が開放され、なんでも喋ってやろうと思った。
「黄色い付箋(ふせん)がついたコーラは絶対に飲むなって!」
「黄色い付箋?」
「そんなコーラなんて一缶もなかったんだ! 付箋の付いたコーラなんて!」
順子は眉をひそめるや、冷蔵庫へ走り寄り、飢えた犬のように周りを見渡すと、そこから黄色い付箋を拾い上げた。
「どうやらココに落ちていたみたいよ! ということは、あなたそのコーラ飲んだのね?」
順子は犯人を落とす時の刑事のように、真っ直ぐに聡を見つめた。
「え? 飲んだのかな?」と言うやいなや順子は、聡の腕を脱臼するほど素早く引っ張り、
「ちょっと こっち来なさい!」と手繰(たぐ)り寄せ、ものすごい形相で握手してきた。
「何? 何だよ?」
聡は両親から、短時間の間に同じ奇妙な動作を強いられて不気味だった。
「目を見なさい! 目を!」
「また?」
「うるさい!」
順子が激しく怒鳴ったので目を見つめるしかなかった。そして、先程の健一郎のように激しく呼吸し始めた。
年頃の青年が、母親と黙って見つめ合い呼吸をし合うという苦痛が限界に達しようかという時に、やっと順子の距離が遠くなった。
「良かった。失敗してるわ、あの人」
「何が?」
「実験に決まってるじゃあない。あの人に、また先こされたかと思って心配してたのよ」
「いったい何の研究なの?」
日頃は親のやってることなんて全く興味がない聡だが、今回の必死すぎる二人を見て是非(ぜひ)知ってみたいと思った。
「知りたい?」
順子が怪しく微笑んだ。
「当たり前じゃん」
「時として人間は情報を知りすぎて不幸になる場合があるんだけど…。大丈夫かしら?」
「大丈夫だよ。もうガキじゃあないんだから」
ここで母親の脅しに負ける訳にはいかなかった。
「じゃあ簡単に言うわ、私の起こした会社のノートリアス社と、お父さんの働いてる会社のペッパーダイン社は、政府に依頼されてすごい開発の競争をしているの」
「何それ?」
健一郎が大手製薬会社ペッパーダインの研究員をしていた頃、大手製薬卸売会社の営業で全国トップの成績を取っていたのが順子で、彼の開発した薬のミーティングで知り合い、親交を深め結婚まで辿り着いた。順子の方から積極的にアピールしていったのはもちろんである。順子はすごいバイタリティの持ち主で、結婚して一年後にお世話になった製薬卸売の会社を退職して、ペッパーダイン社から気が合う開発者や営業員を引き抜き、彼女自身の製薬会社を起業した。
もちろんそれに驚いたのは健一郎だった。そして彼自身も妻からのヘッドハンティングのオファーを受けるのだが、生真面目な健一郎はそれを断り続けていた。 聡はもう21歳になるので、23年間、健一郎は順子の会社へ移るよう勧誘されていることになる。
順子の会社は最初こそ小さな製薬会社だったが、会社は彼女の営業力によって急成長し、ペッパーダイン社のライバル会社まで成長した。
健一郎は、穏やかで敵を作らないタイプで会社への義理を忘れない研究者だった。性格が正反対の二人なのだが、いったい何が良くて二人は結婚したんのだろう?
でも離婚の話は一度も聞いたことがない。まあ仲は良いのだろう? というのが、聡の思うところなのだ。そもそも夫婦で同じ分野で競い合うなんてナンセンスだとも思っていた。
母、順子は、有能な父親に強いライバル心を持っており、何かにつけて父に勝ちたがっていた。
「人と人が入れ替わるウィルスの研究」
「入れ替わる?」
「つまり人の記憶のすり替えね」
「記憶のすり替え?」
順子はとんでもないことを普通の表情で言った。
「さっき私達がやったように、目と目を見詰め合って。お互いの呼吸を吸ってしっかり握手すると、お互いの記憶が入れ替わり人間の中身が入れ替わるの!」
「そんなことができるの? なんか漫画みたいな研究だね」
「そう、とても難しい研究よ。このウィルスが政治的に使われたら世界が変わるわ、例えば、世界の独裁者と握手していけばいいの、そして世界は安泰。ただ!」
「ただ?」
「ただ! 悪い人達が使えばその逆も予想されるわ。つまり絶対に馬鹿が使っちゃいけないウィルス」
聡はとてつもない話に思わす生唾(なまつば)を飲み込んだ。
「すごい開発だね」
「そうよ。これは超国家機密。会社にもたらす報酬は莫大(ばくだい)。ちなみにこのこと他の人に
言ったら間違いなく政府に殺されるわ?」
「は? 殺されるの?」
人の興味を掻き立てるだけ掻き立てておいて、そのオチはやめてくれよ、と聡は思った。
順子はそれに気付き、「あんたが知りたいって言ったんでしょ!」と両手の平を上にあげて
外国人みたいにおどけて見せた。
「そりゃそうだけど、、、そんなに恐ろしいことだと思わなかったから?」
「これだからガキは駄目なのよ!」
「そんなこと言ったって、、、」
「馬鹿ね! 喋らなきゃ大丈夫よ。それにまだ完成してないんだから!」
「そうだよね」:
「とにかく、今から付箋(ふせん)がついたコーラがきたら私に知らせることいいわね!」
「分かったよ!」
聡は父親のことはすっかり忘れて順子に向かって微笑んだ。 順子は満足そうにうなずくと、いきなりゴミ箱に向かって走り出した。
「そのコーラの空き缶はあるかしら? 一応成分を調べないと」と言いながら、ゴミ箱を凄い勢いで漁(あせり)りだした。
「ティッシュの固まり。 ティッシュの固まり。 ティッシュの固まり...」と言った後に、マジマジと順子は息子の顔を見詰めて、「あんたも好きよね」と屈辱の一言を放った。
「いや!風邪引いてただけだし、、、」
「風邪ね?」
聡は、いとも簡単にプライバシーに踏み込み、下ネタをぶち込んでくる母親に、殺気と恥ずかしさを感じた。だから、話を変える必要があった。
「それよりさ、なんで同じ会社で仲良くやらないの? そんなに張り合わなくてもさ、夫婦でしょ?」
「そこが、あいつの駄目なとこなのよ、あいつの能力が金に成ることにいち早く目をつけて、会社まで設立して、ずっとヘッドハンティングしようとしてるのに、、、あいつ!
義理があるとか訳の分かんないこと言って」
「そうなんだ!」
あまり研究以外には野望がない父らしい意見だった。
「私は、単にあいつの才能が欲しいだけなんだけどね」
絶対に才能だけでなくて、それに付随する名誉や金、その他もろもろ欲しいに違いないと思ったが、そんなことを言えば、話がややこしくなるのでやめた。
やがて順子はコーラの空き缶を見つけて拾い上げ大きい声で宣言した。
「あいつが私の競争相手をしたいのなら、徹底的に叩き潰すわ、それが私のやり方よ! 分かった?」
聡が「はい」と力無く答えると、「じゃあ、これもらうから!」と言い残して、順子は空き缶を持ってドアに歩き出した。
「おそろしいな、母さんは、、、」
「あいつが悪いのよ、あいつ私に全然構ってくれないんだから!」
順子は小声の独り言に反応してクルリと振り向きボヤき始めた。
そのボヤきを止めるように「母さんご褒美の件、わすれないでよ」と念を押すと、「その代わり情報は正確に、かつ迅速に報告するのよ」と言い捨て順子は去って行った。
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