第3話「私の身も心も、魔王である貴方様のものなのですから」
ソドムに用意された魔王の別邸、その構造はよく覚えている。
一般参列のために警備兵が割かれている今、侵入は容易い。
(ちょろいな~、少したるみすぎじゃないか?)
と言っても容易く潜入したところで待つのは俺の副官と元勇者だ。
簡単にどうこうできる相手ではない。さて、2人はどこに居るだろうか。
魔王の滞在部屋として使いそうな場所に心当たりは3つほどあるが……。
3つあるうちの1つ。そこに近づいた瞬間に物騒な物音が聞こえてくる。
反射的に影の中に身を隠し、様子を伺う。
部屋の扉が強く開かれたことが音の原因であることはすぐ分かった。
「悪いけど、もう限界だ。僕が新しい魔王なんて付き合いきれない――」
開け放たれた扉からまず出てきたのは勇者様だった。
魔王としての衣装ではなく、元々自分が着ていた服を着ている。
金髪碧眼の美青年なのだけど今は顔色がかなり悪い。脂汗が滲んでいる。
「――お待ちください陛下。今、あなたに出て行かれては」
続けて出てきたのが俺の副官。燕尾服を纏うサキュバスだ。
顔と首、手と手首くらいしか肌を出さない淫魔。
だというのに纏う色気が生半可ではないんだよな、俺のレイチェルは。
「レイチェル、君には良くしてもらったよ。けれど、もう限界だ」
「何が不満なのです? 今、世界の王に最も近いのは貴方だというのに」
白い服、金髪、青い瞳の勇者。
黒い服、黒髪、紅い瞳の副官。
2人が向き合っていると、まるで絵画のようだった。
ただただ美しすぎて妙にドキドキしてくる。
……いや、俺がドキドキしているのは新魔王が逃げようとしているからだが。
「世界の王か。悪いけど毒殺され掛かってまで留まる場所じゃない。
あの薔薇はなんなんだ? 宣教局に手を回したのと同じ連中だろう?」
なるほど。顔色の悪さと脂汗は毒殺未遂が原因か。
俺がドラゴニュートだったせいで毒への備えはかなり緩かったからな。
竜人を殺せる毒なんて、この世に数えるほどもない。
「薔薇ですか。何かしらの諜報機関だということ以外は存じません。
ジェイク陛下から何も教えられていないもので」
レイチェルの言っていることは事実だ。
宣教局に手を回した薔薇について、レイチェルは何も知らない。
けれど、それを信じろという方が無理だろうな。
「またそれだ。信じられると思うかい?」
……壁ドンだ。
レイチェルを壁際まで追い詰めた勇者様がドンッとやった。
ロマンス劇画で流行っているんだよな。まさか実例を見る日が来るとは。
緊迫した空気だというのに華がある。
「この国の全てを知るような君が、僕を陥れた相手だけを知らないだって?」
勇者様の青い瞳が、レイチェルの赤い瞳を射抜く。
そのまま流れるように、男は女の顎を掴みクイッと持ち上げる。
……顎クイだ。こんなの自然にやれるあたり育ちが違うな、勇者様は。
「嘘をついていると思うのなら、聞いてみればよろしいではありませんか」
勇者様の手に触れ、指を絡めて、静かに淫魔の瞳で見つめ返す。
……おーおー、始まったぞ、レイチェルのオハコだ。
サキュバスである彼女が最も得意とする魅了の魔法・チャームだ。
「明日の朝は遅い。貴方が私を信じられるまで問い続ければいい。
私の身も心も、魔王である貴方様のものなのですから。
宣教局のご出身なのです、拷問の仕方は心得ていらっしゃるのでしょう?」
勇者様が息を呑むのが分かる。
レイチェルのチャームに掛かりかけている。
目の前の女に魅了されて、我を忘れる一歩手前だ。
「――私の胸に、好きなだけ聞いてくださいませ。痛みを伴うのも効果的かと」
ふふっ、どんなにカッコつけても男の子は男の子よ。
勇者なんていう異名を持っていても、所詮は宣教局のエージェント。
殺しを許可されたスパイは女を抱くものだ。最近読んだ小説でそうだった。
抱け! レイチェルを抱いて、逃亡に失敗しろ!
なし崩しに魔王のままでいるんだ!
そうすれば俺は心置きなく国外逃亡ができるんだから。
「っ……その手は食わない! 僕は帰る! 宣教局が心配なんだ」
流石は勇者だ。魔法抵抗力充分ということか。
あと一歩で陥落しそうだったのに。
「――ふむ、仕方ありませんね。しばらくは時間を稼ぎましょう」
「はい……?」
「晩餐での毒殺未遂により魔王様は意識不明、面会謝絶――」
“3週間は厳しくても、2週間くらいは稼げるでしょう?”
なんて続けてみせるレイチェル。相変わらず機転の利く女だ。
「それで僕が戻ってくるとでも……?」
「どうでしょうね、ただ聡明な貴方なら分かるはずだ」
「ッ――約束はしない!」
駆け出していく勇者を見送りながら溜め息を吐くレイチェル。
物憂げなサキュバスの視線が、それだけで淫靡だった。
「……隠れていなくて良いですよ、そこに居るんでしょう? 陛下」
レイチェルの赤い瞳がこちらを射抜く。
影に隠れているはずの俺を見つけ、見つけたとして8歳の身体を俺と見抜く。
流石だな、流石はレイチェル、俺の副官だ。
「分かっていたか――」
「……並の悪魔ならともかく私には分かります。
82年と9か月の付き合いが、貴方の魂を感じさせる」
影から姿を現してレイチェルと向き合う。この身体で向き合うのは初めてだ。
「新しい魔王にも、処女を捧げ損なったな?」
「笑ってる場合ですか、貴方が据え膳を食わないからこの歳でこれですよ。
悪魔の国最強の淫魔なんて謳われながら処女なんて笑い話にもなりゃしない」
悪魔の国最強(物理)みたいなもんだからな。
魔王に仕える副官ではあるが、単純戦闘力なら俺より強い、かもしれない。
それがこのレイチェルという女だ。
「――色々と言いたいことはありますが、ジェイク」
「なんだ?」
「追ってください、新しい魔王を。あの人を今、1人にするのはマズい」
レイチェルの表情を見ていればその真剣さが伝わってくる。
人間を魔王に据えたのだ。殺したがる連中は多い。
暗殺の手段が毒殺だけという保証はどこにも存在しない。
「……俺は、引退したんだぞ?」
「聞けませんか、私の願いは――」
彼女の回答を聞くよりも少し前に走り出していた。
ここから勇者様を追うのは少し骨が折れる。
単純に足が速いからな、窓から出て行かれたら見失いかねない。
「――頼みましたよ、陛下」
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