笑顔
風凪 颯音
不笑少女
少女が居た。少女の周りには全てが揃っていた。年頃の女の子が憧れる洋服、可愛らしい人形……何でも手に入れる事が出来た。両親は全てを与える力を持っていた。
しかし、少女は満たされなかった。美しい宝石で着飾っても、人形を抱きしめても、何かが足りなかった。少女の住む屋敷は広く、人に満ちていた。だが、両親と顔を合わせる事は週に数度、月に数度。贈り物の服や人形は、いつも両親の席に置かれていた。付き人ですら少女の笑顔を最後に見た日を思い出せずにいた。広く、物に満ちた屋敷の中で、少女の心は何処にもなかった。
ある日の事だ。夜も更け草木も眠る頃。ふと目が覚めた少女は、窓の外に人影を見た。
右へ左へ、振り子のように動く影はやがてどさりと音を立てて倒れ込む。思わず外に出て走り寄った。影の正体は、一人の男だった。整った身なりではあったが、その腹部は赤い血で染まり、呼吸にも力が感じられない。
少女は気が付くと、走り出していた。使用人室の戸を叩いて、寝起きの老執事に男の様子を見る様に頼み込んでいた。何を察したのか老執事は町から医者を呼ばず、住み込みの医者に治療を依頼した。……屋敷の者達は皆驚いていた。少女が何かを願ったのは初めてだったのだ。
男が目を覚ますと、ベッドの傍らには少女が立っていた。年齢は6,7歳程だろうか。男と目が合うと、少女は口を開いた。
「お外の事を教えて」
男は少女から話を聞いた。両親が不在の事、言いつけで屋敷の外には出るのが叶わない事を。少女の目は、期待と希望で輝いているように見えた。男は話をした。町の賑やかさを、行き交う人の笑顔を、花々の美しさを。一つ答えると、少女は十の問いを投げかけてきた。その度に、目の輝きは光を帯びて、口元には笑顔が咲いていた。……屋敷の者達は、その姿を温かく見守っていた。
両親から急な連絡が入った事を、少女は男に伝えた。明日には帰る、と。傷も癒えた男は屋敷を出ていこうとする。少女は引き留めたが、男は聞かなかった。そして、どこかから一輪の花を取り出して少女に持たせてこう言った。
「また会える日まで、この花を君に預けておくよ」
自分を初めて笑顔にしてくれた男に、少女は別れを告げた。男の正体は盗人だった。少女に迷惑を掛けられないと、二度と会えないと心では分かっていた。
両親が屋敷に戻り、沢山の贈り物が少女に渡された。しかし、贈り物に目もくれずに少女は願ってみた。街に行ってみたい、と。少女は、両親が見た事ない笑顔で笑っていた。不審に思った両親は、不在中に娘に何があったのか屋敷中の者に訪ねて回る。少女には口止めをされていたが、そのうち一人が口を滑らせた。両親は街に使いを出して、男の事を探させた。
男の所在を探し当てる事は、両親には造作もなかった。そして娘に害をなしたとして、その命を奪う事も。屋敷に盗みへ入った、という名目で男は首を吊られた。事の顛末を新聞で読み、両親は満足そうに笑っていた。その様子を見てしまった少女には、もう笑顔は見られない。
男が吊るされた数日後、町で一番の屋敷が燃えた。巨大な屋敷の為に消火が追い付かず、全てが灰になった。妙な話では、屋敷が燃えたその日に、街で見た事のない女の子が目撃されたという。枯れそうな花を手に、血にまみれて、しかし満足そうな笑顔の少女が、どこへともなく歩いていく姿が。……少女の行方は、誰も、知らない。
笑顔 風凪 颯音 @komadenx
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます