吉彦

武の邸は山手の高級住宅街にある。

常に陽当たりが良く静かな場所だが、今はその静寂に不気味さが漂っている。

真っ昼間だが、空が暗く暗雲が立ち込めていた。


ここからは都会の町並みを見下ろす事ができるのだが、現在そこからは濛々と野火のような煙が所々から上がっていた。


吉彦は車を降りると、館の広々とした中庭に入った。セキュリティ会社に登録しているだろうが、この事態では彼らが動く心配は無いだろう。

花の種類に詳しくないので名前は分からないが、花々や木々がセンス良く配置された庭だった。


玄関は鍵がかかっていたので、一階の窓ガラスを割り中へ入った。


広い廊下を歩いた先に、地下室へ続く扉がある。

彼の妻子を殺害する前に彼から得た情報だ。


扉を開き、地下へと続く階段を下りていくうちに段々、水飛沫の音が近付いてきた。

どうやら成功したらしい。


そこは肉食泥鰌の海と化していた。

ボロボロの服と骨が浮いている。


上から足音が聞こえ、それはどんどん近付いてくる。

階段の上に目を向けると、痩せ細った老人がヨタヨタとこちらへ向かって降りて来ている。


ホームレスが避難しに来たのだろうか。


「陛下!陛下!」


老人は吉彦を認めると、そう叫んだ。


ピンと来た。こいつは健児だ、一度送ってやった覚醒剤に嵌まり母親と恋人を殺して、父親と弟を半殺しにした…あの後閉鎖病棟に閉じ込められたはずだが、なぜこんな所にいるんだ?


「陛下!奴は…俺をハメた水玉男はどこにいるんですか?!」


健児は慌ただしく周囲を見回し、吉彦に聞いた。

どこから仕入れたのか、手に銃を持っている。


吉彦は健児を指差した。


「何ですって?!俺があいつだってのか?!」


「そうじゃよ、お前の中に奴は居るのじゃ。」


吉彦は声を1オクターブ程上げて言った。


「じゃあ俺は…俺にハメられたってのか!」


健児は悔し涙を流しながら、両手で頭を抱えた。


「朕の最後の命じゃ、さあこの中に入り浄化され、そいつから解放されるのじゃ。」


吉彦が片手で指し示した肉食泥鰌の海へ、健児は勢い良く飛び込んだ。


泥鰌が健児の飛び込んだ場所に群がり、しばらくの間「陛下」などというくぐもった叫び声が聞こえ、再び地下室は泥鰌の湿った音のみの静寂と化した。


上階からゆっくりとした足音がする。


足音の正体を見た吉彦は察した。


「なるほど、健児が来たのはそういう事か。」





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