見えない親友

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見えない親友

 そこは、世間とはかけ離れた荘厳な景色を感じる場所だった。

 そびえ立つ木々。

 緑の峰が連なり、遠くには山脈が見える。

 空は青く澄み渡り、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。

 近くには川も流れており、小さな滝もあるようだ。

 神社から見える景色に、少女は感動していた。

 幼子ながら利発そうな顔立ちで、将来美人になるであろう事が窺える。母親に結って貰った三つ編みの髪形が良く似合っている。

 少女の着ている服は、いわゆる巫女装束である。

 白衣と呼ばれる袖の長い着物を着ていて、緋袴を穿いている。

 少女の名前は、蔦木彩と言った。

 この春に小学一年生になったばかりの、7歳だ。

 今日は宮司を務める父親と母親に連れられて、兼任している神社の清掃に来ていたのだ。

「彩。遠くに行かないのよ」

 母親が声をかけた。

 まだ幼い子供なので、目を離すとすぐにどこかへ行って迷子になってしまうからだ。

「はーい」

 彩は素直に返事をした。

 それから、母親の言う通りに境内を見て回る事にした。

 まず最初に目についたのは、大きな桜の木であった。

 樹齢何百年とも知れない立派な大樹で、花はまだ咲いていないものの、満開になればさぞかし美しいだろうと思われる。

 その根元で、彩は奇妙なモノを見つけた。

 白い半透明なドジョウのような魚。

 クラゲを思わせる透明感のあるヒレが、魚の左右に広がっている。

 大きさは掌に乗るぐらいだろうか?

 不思議な事に地面に落ちていながらも、まったく汚れてはいない。まるで水の中から出てきたかのように綺麗なのだ。

 彩はそれを拾うと、興味深そうに見つめた。

 生物は、まだ息をしているようで、口をパクパクさせている。

(なんなんだろ?)

 不思議に思った彼女は、それを両手で持ち上げてみた。

 すると突然、生物が動き出した。

 ビチッ!

 跳ねるように動いたが、動いたのはそれっきりだ。

 ヒレの部分が弱々しく波打つ。

 彩は近く川があるのを思い出すと、水を飲ませてあげることを思いついた。

 生物を大切に手に取ると急いで川へと走る。

「まってて」

 一言告げると、彩は川の縁に腰を下ろし、片手で水をすくい。生物の口に水を運ぶ。

 生物は、水を飲んでいるようで、口の端から水が漏れ出ていた。

 やがて満足したのか、生物の動きが止まった。

 彩は、死んでしまったのかと思った。

 どうして良いのか分からずに、彩は生物を持ったまま、両親の元へと走った。

「お父さん、お母さん!」

 娘の呼びかけに、両親は清掃の手を止めて迎え入れる。

「どうした彩?」

 父親は、慌ただしい彩の様子に首を傾げた。

 母親は娘の顔を見ると、心配そうな表情を浮かべた。

 何かあったに違いないと考えたのだ。

 何も言わず泣き出しそうになる彩を前にして、二人は困惑するばかりであった。

 そして、彩の持つ物体を見ると、両親は驚いた表情を浮かべる。

 だが、父親の方が落ち着いていた。

 父親は彩から生物を受け取ると、そっと撫でる。

「あなた。何なの、これ?」

 母親は不安そうな顔をする。

「分からない。だが、神使の類かも」


 【神使】

 神道において神の使者(使い)もしくは神の眷族で神意を代行して現世と接触する者と考えられる特定の動物のこと。

 「神の使い」「つかわしめ」「御先みさき」などともいう。 時には、神そのものと考えられることもある。


 父親は持ってきていたダンボールにタオルを敷き、生物を優しく入れた。

 それから、涼しい神社の本殿に運び込む。

 生物は大人しくしており、特に暴れたりもしない。

「神使さん死んじゃうの?」

 彩が尋ねた。

 ぐったりとしている生物を見て、少し涙ぐんでさえいる。

 そんな娘の姿を見た父親が言った。

 彼は優しい笑みを浮かべながら、娘の頭を撫でる。

「大丈夫。きっと大丈夫だよ」

 父親の希望のある言葉に、彩は嬉しそうに目を細めた。

 今は静かにしておくことが最善と思い、家族は本来の業務である神社の清掃に戻る。

 日が頂点から傾きかけた所で、一家は食事を取ることにした。

 木陰の下にシート広げて、母親が作ったお弁当を食べる。

 その時だった。

 生物を入れた箱が動いたのを彩は見た。

「お母さん!」

 彩は、母親の袖を掴む。

 見ると、箱の中から生物が風に乗るように浮かんでいた。半透明のヒレを動かしながら、空中を泳ぐようにして移動している。

 その姿はとても神秘的であった。

 生物は、彩達の近くに着地すると、今度は自ら動き始めた。

 彩達の方に向かってくる。

 その様子を見て、彩は目を輝かせた。

 彩は、この不思議な生き物にすっかり夢中になっていた。

 彩の目の前まで来ると、生物は自らの意思を伝えるかのように、彩を見つめながら、ヒレで宙を掻くような仕草をする。

 それから、彩の頭の上にちょこんと乗った。

 彩の頭の上に乗った生物は、不思議そうに彩の髪の毛を引っ張っている。

 彩が生物を捕まえようとすると、生物は捕らえられまいと弧を描き、瞬間的な動きを織り交ぜて宙を飛び、一家を楽しませた。

「どうやら体力を回復させるために寝入っていただけだったんだよ」

 父親はそう言うと、生物の事を彩に伝えた。

 それから、生物は空高く飛ぶと、一瞬にして姿を消した。

 まるで幻のように……。

「行っちゃったね」

 彩は、少し寂しそうにする。

「あの子も、お父さんお母さんの所に帰ったのよ」

 母親が言った。

 それから一家は、昼食の片付けを行う。

 午後からの作業を終えれば、今日の仕事は終わりだ。

 作業の大半は午前中に終えていたので、午後はその片付けた中心となった。

 午後3時前には、清掃を含めた作業は終わり一家は帰宅の準備をしていた。

「彩。もう帰るわよ」

 母親は神社の近くにいた娘に呼びかけ、持ってきた清掃道具を軽バンに詰め込もうとして、ハッとする。

 彩の背後に、茶色い巨体を見たのだ。

 猪だ。

 まだ若い猪のようだが、体長1メートル程はあるだろうか。立派な牙を持っており、目は血走っている。

 興奮状態なのだ。

 その証拠に鼻息が荒かった。

 猪はこちらを見ると、勢いよく駆け出した。

 真っ直ぐに彩の方へと向かって行く。

「彩!」

 父親は叫ぶと同時に、娘の元へと走った。

 母親は悲鳴を上げる。

 彩は、何が起きたのか分からずに、呆然と立ち尽くしていた。

 彩のすぐ側まで迫った猪は、突然、横から飛んできた何かによって弾き飛ばされた。

 彩の視界の端に、何かが映る。

 それは、半透明なヒレを持つ生物であった。

 生物は、彩の頭の上で浮かんでいる。

 

 ――逃げて


 彩の頭に、声が響く。

「神使さん?」

 生物は次の瞬間には姿を消す。

 猪は身を起こすが、見えない何かに弾かれる。

 猪は首をブルブルと震わせ、興奮した様子でいななく。

 それから再び突進する。

 しかし、猪は何かに弾かれ地面に転がる。

 彩の側に近寄ろうとする度に、猪は跳ね飛ばされる。

 父親が彩を抱きかかえると、軽バンへと急ぐ。

「あなた、急いで」

「分かってる」

 父親は、家族を車に乗せると、すぐにエンジンをかけた。

 遠ざかっていくリアウインドの向こうで、猪が山の中へ逃げていくのを彩は見ていた。


 【スカイフィッシュ】

 空中を超高速で移動する虫型生物。

 その速さは時速280km以上で、肉眼では見ることができないほど速い。

 発見の経緯は、1994年メキシコの竪穴洞窟・ゴロンドリナスで撮影されたビデオをスロー再生したところ、半透明で長い棒状の体で、胴体の両側にヒレのようなものが対になっている生物が映っていたのだ。

 日本では2007年に兵庫県で車の窓にぶつかり飛び去る姿が偶然撮影された他、2001年9月4日付の『神戸新聞』夕刊によると神戸市在中の男性が40年前(当時15歳)に六甲山ケーブル駅付近の山道にある「油こぶし」と言う地点でスカイフィッシュらしき怪生物と遭遇したと言う。

 3匹を退治するが、その男性の友人は腹部と腕を切られ、負傷。それはまるでカマイタチのようだったと言われている。

 男性は恐怖のあまり、何度も許しを乞うと、スカイフィッシュは男性の目の前で滞空し、「許してあげよう」とテレパシーで伝えた後に姿を消したと言う。


 舗装をされていない悪路を、一家は走っていた。

 ハンドルを握る父親の顔は危機を無事に切り抜けた安堵感からなのか、どこか嬉しげな表情をしている。

 助手席では母親が、娘の手を握りしめていた。

「よかった」

 母親は言う。

 今にも泣き出しそうな顔をしている。

 彩は見たのだ。

 あの不思議な生物が自分を守ってくれたことを。

 ふと、彩の頭に声が響く。


 ――ありがとう


 それは優しい声であった。

 彩は、頭の中で返事をする。

 助けてくれてありがとう。

 すると、声しか聞こえなかったが、声が笑っているのが彩には分かった。

 声はそれっきり聞こえなくなった。

 それがとても残念に思えた。

 先程の不思議な出来事を思い出すと、彩の心の中にはワクワクとした気持ちが湧き上がってくる。

 あの子は、一体なんだったんだろう?

 どうして私を助けてくれたのかな?

 また会えないだろうか……。

 そんな事を考えながら、彩はいつの間にか眠ってしまっていた。

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