LGBTのBの人の独り言

三郎

本文

 初めての恋は異性だった。その次も、その次も。だけど中学生になると、初めて同性に恋をした。戸惑った私を救ってくれたのはLGBTという言葉だった。LGBTとは、女性の同性愛者であるレズビアン、男性の同性愛者であるゲイ、男女両性に恋愛感情を抱くバイセクシャル、心と身体の性別が一致しないトランスジェンダーの総称である。現在はその四つ以外のセクシャルマイノリティも含めてクィア、LGBTQ、セクシャルマイノリティなどさまざまな呼ばれ方をしているが、以下、ここではクィアと表記する。私はその中のバイセクシャルに当てはまるらしい。異性に対してのみ恋愛感情を抱くことが正解では無く、人間の心というものはもっと複雑で多種多様で、だからこそ争いが生まれるが、だからこそ面白いものなのだと、そう開き直れるようになったのはあの日LGBTという言葉を知ったからだった。

 それからは私は、ゲイやレズビアンやトランスジェンダーの人達が差別を無くすために戦っている姿を仲間として応援していた。仲間として。仲間だと、思っていた。

 だけど少しずつ、異性愛者に対して怒りをぶつける一部の人達に違和感を覚え始める。同性も恋愛対象になるが、異性も恋愛対象になる私は、彼らにとって本当に仲間なのだろうかと。

 そしてある日、一人の俳優がバイセクシャルであることをカミングアウトした。彼はとある作品でクィアの役を演じていた。私はその作品もキャラクターも俳優のこともよく分からないが、彼がカミングアウトした理由を知り、憤りを覚えた。

 クィアのキャラクターはクィアの俳優が演じるべき。巷では度々そういわれている。私も出来るなら極力そうした方が良いと思っているが、必ずしもそうであるべきだとは思わない。

 俳優の彼がカミングアウトするきっかけとなったのは、彼が女性とデートをしたことが報じられたことだ。女性——つまり、異性とデートをしていた。それだけのことで彼をクィアではないと決めつけた人間達が、クィアじゃないのにクィアを演じるなと批判したのだ。

 異性と付き合っている人間が異性愛者ヘテロセクシャルかどうかは、本人に確認しなければわからない。何故なら、私のようなバイセクシャルも居るから。クィア界隈にいると、そのことを忘れているであろう人をよく見かける。

 ずっと、私の居場所はそこにあるのだと思っていた。しかし、その事件以来私は、レインボーフラッグを見るのも辛くなってしまった。この人が掲げるその虹色の旗の中には、果たして私のようなは入っているのだろうか。そう思うようになってしまった。

 もちろん、全ての人が敵だとは思っていないし、差別と戦う人々を応援することをやめるつもりはない。だけどきっと、私はもう二度と虹色の旗を手に取ることはないだろう。

代わりに私は、赤と紫と青の三色旗を振って応援しようと思う。全ての人間が同性を愛そうが異性を愛そうが、恋愛をしない生き方をしようが、誰からも責められることのない世界になることを願って。

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